ビジョンマネジメントな生き方

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総裁選について(毎日新聞モニター)

2006年10月03日 | Private Matters
 自民党総裁選が告示された翌日(9月9日)の社説「言葉だけが上滑りしている」を読んだ。3候補の論戦が抽象的であり、美辞麗句を並び立てても、本質的には何も語っていないという主張には頷ける。
 特に安部氏の「誇りが持てる国」「開かれた保守主義」、麻生氏の「豊かさの実感」などといった表現が何を意味するのか、どこを目指そうとしているのかが見えてこないという指摘はその通りであろう。平易な言葉を組み合わせて作られたフレーズは、その意図するところを十分に理解していなくても何となく分かったような気にさせられる。雰囲気だけに流されてしまいそうな論戦内容の一字一句に細心の注意を払おうとする姿勢は、まさに活字メディアに求められている使命だと思う。
 また、谷垣氏の消費税引き上げが手段に過ぎず、歳入増加で何に取り組むのかといった政治目的が明らかにされていないという指摘についても当然ながらその通りであろう。手段が目的化しているような例は、政治の世界でも枚挙に暇がない。こうした例の中でも、特に消費税率の引き上げはすべての国民に直結する問題だけに、何の財源のための増税なのかをしっかりと知っておかねばならない。活字メディアは、国民(有権者)のこうした知的欲求を満たすものでなくてはならない。
 これに応えるかのように、同日社説は「候補者からどれだけ具体論を引き出すか。私たちメディアの責任も重いと肝に銘じたい。」と締めくくっていた。しかしながら、期待して注意を払っていたその後の総裁選報道について十分な具体論が引き出せていたかといえば、主観に依存せざるをえない問題ではあるが、答えはノーといわざるを得ない。
 政治経済の懸案事項ごとに各候補者の政策を比較する類の表などは多く見受けられたが、そこで記述されているのは候補者自身のロジックでありフレーズである。社説が指摘しているような、本質が見えてこない内容ばかりである。共通の本質的な切り口を貴紙が設定して回答を求め、それを候補者別に徹底比較する。これがなければ、社説の表題「言葉だけが上滑りしている」状態を脱することはできない。来夏の参院選には、是非期待したい。

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