佐賀の旅 その1
帰国中の10月に佐賀県に行った。2007年の10月に全国特別支援教育研究会が佐賀市で開催され、それに参加して以来ちょうど4年ぶりである。
今回の佐賀に行くきっかけは因通寺、マハサラカムに赴任して2ヶ月ほどたった頃、京都の日本タイ教育交流協会が主宰した日タイ友好京都府会議員団に同行させてもらった際に訪問したチェンマイ県バンカート村のバンカート中・高等学校にあるビルマ戦線での旧日本兵の慰霊碑での聞いた話がきっかけである。(09年12月21日のブログ「戦没者追悼之碑」)、すごく印象に残る話であった、佐賀県のお寺の住職が何度もタイに来て祀られたということで、その時、一度行って見たいという思いをもった。(写真:チェンマイの追悼之碑)
昨年の1月、タイに中国隊員で佐賀県出身の同期のJVが遊びに来た時、佐賀県にもたくさんお寺があり、わからないだろうと思いながら「因通寺というお寺知っているか」と聞いたら、何と因通寺の幼稚園で教育実習をしたということで案内するという、それなら当人が帰国して佐賀にいる間にと訪問することにした。
因通寺は真宗の寺で、同じ敷地にある幼稚園も「見真幼稚園」という、幼稚園を通って本堂に行くのだが、街中では考えられない出入り自由、門もない、場所は駅からも遠く、案内の人がいなくては行けそうにない場所であった。(写真:追悼の碑にある鐘楼)
お寺には事前に連絡してあったので、住職も対応してくれる、実際に「追悼の碑」を作られた住職は亡く、長男が後を継いでおられた。「追悼の碑」を建立されるまでのいきさつ等をていねいに説明していただき、新聞記事や写真も見せていただいた。因通寺境内にも慰霊塔を建立しておられ、最後に案内してくださった。高齢の先代住職の思いがひしひしと伝わる因通寺訪問であった。(写真:因通寺の慰霊碑)
子どもの頃、ビルマで参戦した亡くなった父親からよくビルマの話を聞いた。しかし、当時はさほど興味もなく聞き流していた、思い返せば、終戦からまだ十年余しかたっていなかった訳だが、その時は大昔のできごとのような感じだった。関心を持ちだした頃は父親と話をすることも少なくなり、きちんと聞き出す前に亡くなってしまった。来週末にメーホーソンとクンユアムへ行く、どちらも旧日本軍が助けられ、追悼されている地である、2度目の訪問になる。じっくりとお参りしたいと思っている。