東京リサーチ日記

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1年3カ月にわたって“懸賞生活”を送ったなすびさん・・・

2020-01-22 00:00:00 | 日記
 2020年1月22日、毀誉褒貶あった日本テレビの「進ぬ!電波少年」で1998年から1999年の1年3カ月にわたって“懸賞生活”を送ったなすびさん(2015年1月当時39)。その様子がテレビ放映されてたことをまったく知らされておらず、本人が知らぬ間に誰もが知る有名人になっていた。しかし、その企画終了後から徐々に露出が減り、最近はあの長~い顔を見ない。さて、今どうしているのだろうか。ある週刊誌記者が世田谷線若林駅に近い喫茶店で会ったなすびさんにインタビューで、「KFB福島放送で『なすびのギモン』って番組をやらせていただいてましてね。毎週土曜日、放射線量、拡散情報や除染状況をお知らせするんです。あとはボランティア。まだまだ手が足りない。それで通い続けてます」と近況を述べている。また、「ボランティアは大震災直後から始めました。行く先々で被災した方が、“なすびクンが来てくれた”と喜んで下さった。福島市出身のボクとしては、その笑顔に触れたら、ジッとしてられませんよ。以来、声がかかればどこへでも行き、何でもしてます」また、なすびさんは、エベレストに挑戦したようだ。「福島の応援と震災記憶や被災支援の風化を防ぎたい。そうした気持ちを8848メートルのテッペンから発信したかったんです。準備に1年余り、国際山岳ガイドのサポートを受け、一昨年4月にアタックしました。でも、残り200メートルの地点で体力が限界に達し、下山せざるを得なかった。悔しいので去年4月に再チャレンジしたんですが、ルート上に雪崩で遭難したご遺体があることがわかり、断念しました。エベチャレは多くの方のカンパで実現したのに、その人たちの期待に応えられず、申し訳なく思ってます」(2015年1月現在での回答)また、バラエティーはもうコリゴリのようだ。「応募は20人。運だけが必要な企画と知らされ、クジ引きで当たりました。それから1年3カ月、目標額の100万円を目指し、アパートの一室に閉じこもり、ハガキを書きまくる生活を送ったわけです。1日300枚は書いてたでしょうね。結果、75キロあった体重は半減、精神的にもボロボロになった。バラエティーはもうコリゴリ、金輪際やりません」と述べている。それは、「ボクはお笑いじゃなく、もともと役者になりたかったんです。『フーテンの寅』の渥美清さんの大ファンで、喜劇俳優が夢でしたから。で、ドラマや映画から声がかかった時は、正直、やったと思い、うれしかったですね。今は舞台に取りつかれてます。去年10月にも『カサブタかきむしれっ』って芝居に出させてもらいました。福島が舞台。だけど、コメディーなんです。いや、楽しかったですねえ」その後、役者に転身し、「電車男」(フジテレビ系)、「TRICK」(テレビ朝日系)、「嫌われ松子の一生」(TBS系)など多くのTVドラマに出演。また、「るにん」「M」といった映画でも活躍したようで、2015年現在は、世田谷区内の「帰って寝るだけ」の1Kアパートに一人暮らしである。2020年現在はどうなっているのか・・・(井森隆)