「メジャーの打法」~ブログ編

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ら抜き言葉

2008年11月23日 | どうでもいい話
 むかし、「生きているうちに見たいものは富士山の爆発だ」と言った覚えがある。

 こないだテレビで同じことを言っている奴がいた。しかし他人の口から聞くとあまりにバカっぽいので、取り下げようと思う。そこで何か代りになるものを―ということで、
ら抜き言葉がテレビで公認されるかどうか?


に注目することにした。これならいくらか品がいい。

 現在のところはテレビで「見れる」というと、よっぽどくだけた会話の中でなら別だが、字幕では「見られる」に直される。

 こちらに「ら抜き」言葉の解説がある。

「見る」のような上一段活用動詞、「食べる」のような下一段活用動詞、また「来る」のようなカ変動詞の可能表現としてそれぞれ「見れる」「食べれる」「来れる」と綴られるものは、「ら」の文字を含んでいないということから「ら抜き言葉」と呼ばれることがある。


 「来れる」は使ったような気がする。「食べれる」を使うことはないだろうな。発音がまどろっこしいが、「食べらいる」、「食べらんない」のように言えば解決する。「見れる」はむずかしいところだ。自分はこれまで使ったことはないが、最近は頻繁に使われている。こないだ吉瀬美智子が使っているのを聞いて、とくに違和感はなかった。例えば里田まいあたりならともかく、彼女のような大人の女性が普通の会話で使って聞き苦しくないのだから、こっちもだいぶ慣れてきたのだろう。一度使ってみようかな?とも思う。そういえば筑紫哲也も使っていた。

 きのう、NHKの字幕に「来れる」とあった。「来れる」はすでに解禁なのだろうか? 「見れる」がそのままだったり、「見られる」に訂正されたこともあったから、単なる間違いかもしれない。


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