「メジャーの打法」~ブログ編

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加藤和彦

2009年10月20日 | どうでもいい話
 自殺とはねぇ・・・ 同い年だった。

 だいぶまえに、青山三丁目の交差点付近をひとりで歩いている彼に出くわした。他人の視線を感じているような表情をしていたから、こっちも無遠慮に見ていたのだろう。

 鬱病だったと聞いてあっさり納得してしまう自分にちょっと苛立っている。かれの音楽上の悩みと鬱病の関係について、
  • 深い悩みで鬱病にかかり、ついには死に至った。
  • 鬱病が悩みを死に至らしめるほどに深くした。


の、どっちなのかがよくわからないからだ。後者、つまり悩みの原因となる音楽的創造力の衰えが鬱病から来るものなら、病気を治すのが先だろう。しかし前者、つまり病気は結果であって、創造力の衰えが直接は病気と関係なく、たとえばスポーツ選手のように年齢から来るものなら、病気を治したところで回復するわけではないし、悩みが消え去ることもないだろう。そしてその悩みが音楽家のかれにとって死活問題となるほどに深刻なものだったというのは十分に考えられる。

 「テレビで鬱病患者の自殺をむやみに取り上げるべきではない」という精神科医の意見があって、もっともだとは思ったが、どうせ取り上げることになるなら、むしろ彼の死を鬱病と関連付けるのはやめて欲しかった。音楽家としてのかれの苦悩がずいぶんと軽く見えてしまうような気がするからだ。音楽と向き合う真摯な姿勢が数々の名作を生み、最後にかれを自殺に追いやった・・・そこまででよかったのではないか?

 まぁこんな素朴な疑問には専門家から明快な回答が用意されているんだろうが、結局「一番大切なのはいのちです」とかになるんならバカバカしい。



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