「メジャーの打法」~ブログ編

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伊勢佐木町ブルース

2011年07月21日 | どうでもいい話

 原田芳雄はブルース歌手でもあったんだ・・・。

 しかもこの曲なんかは本当に『ブルース』だ。二重カッコは「ブルース形式に則っている」という意味で、ここに説明がある。日本のブルースのほとんどは『ブルース』ではない。別れのブルースも、港町ブルースも、柳ヶ瀬ブルースも違う。

 本場アメリカ産ブルースで、団塊あたりに一番名の知れているのはG.I.ブルースかな? これは正真正銘の『ブルース』だ。この形式はモダンジャズに受け継がれた。だいたいが器楽曲で、この曲あたりを聴けばわかるように、ブルーな気分は削ぎ落とされている。ブルーノートは経過音という新たな役割が与えられ、流麗なアドリブを可能にした。テーマも音楽形式の提示程度の意味しかない。しかし、このように粋でお洒落な曲もある。

 この形式は色々なポピュラー音楽に採用されて、日本に入ってくる。たとえば、ブギウギ。ダウンタウン・ブギウギバンドのスモーキング・ブギが『ブルース』なのもこの流れだ。しかしなんと言ってもメインはロックンロールで、この曲なんかは神格化されているが、われわれの若い頃だと監獄ロックだろうか? はじめのⅠの部分が長いが(ウィキ参照)、やはり『ブルース』と言っていい。「一度は刑務所に入ってみたい」と思っているような連中(本当にいた)がプレスリーのあとをゾロゾロついて行ったわけだ。

 その連中が歩き疲れた頃にビートルズがやってきた。彼らもアメリカン・ロックの方を向いていて、チャック・ベリーのこの曲をカバーしたりしている。初めのころはキモカワだけだったが、日本のやさぐれロッカーと違うのは、本場のロックに戦いを挑んだところだ。ロールオーバーすべきは、ベートーベンではなく、プレスリーであり、チャック・ベリーだったというわけ。やがて独立を宣言するときが来た。『ブルース』で勝負したデイ・トリッパーだ。なんとも印象的なイントロ。後ろの方も処理にもハードデイズ・ナイトのサビに見られる幼さはない。

 そして、デイ・トリッパーの独自性と技法の高さから窺い知れる民族自決の精神が鈴木庸一をして伊勢佐木町ブルースを作らしめた。

 この曲は『ブルース』の最大の特徴とも言える、Ⅰ→Ⅳを採り入れている。「あなた知ってる」と同じフレーズを4度上(「街の並木に」のところ)で繰り返している。この動画の取ってつけたようなセントルイス・ブルースまがいのイントロも、Ⅰ→Ⅳへの注意を促しているのだ。港町ブルースにこのイントロがつくことはない。
 曲がヒットしたのだから、試みは成功したと見ていい。鈴木はしてやったりの面持ちだったろう。何しろ、天下の服部良一でさえ、なし得なかったことなのだ。もっとも戦前有名だったベイズン・ストリート・ブルースは『ブルース』ではないし、セントルイス・ブルースの有名な部分も違うから、形式にこだわるべきではないと思ったのかもしれない。

 この形式は日本人にとっては扱い難いようで、作曲者が代わった青江三奈のその後のブルースも『ブルース』ではなくなってしまった。それどころか、沖縄ベイ・ブルースも大阪ビッグ・リバー・ブルースも違う(ただし、おそうじオバチャンは『ブルース』)。だから原田の『ブルース』に驚いた、ってわけなのだ。

ただ、例えばいとしのマックスあたりは『ブルース』がベースになっている。ほかにも、ビートルズ経由で、この形式を採用している曲があるかもしれない。

 



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