刑務所では体調が悪い人のために回診日というのを決めておいて、その日の朝、担当が各人に「どこか悪いところはないか」と聞いて帳面につけ、それを基に医者が診察して投薬する。
一般社会で何不自由なく生活している人たちには刑務所の、雰囲気というのが分からないのでこれからの話にはついていけないとは思うけど書いてみる。
刑務所というところは昔の軍隊とよく似たところがあって、受刑者は常に担当の目を気にして緊張している。
そんな状態の中で、先の医務回診のために担当が病名を聞きに来た担当「お前どこが悪いんや」受刑者「すみませんぜんそくが出てしんどいので診察お願いします。」
担当「おおそうかぜんそくかよし」と言って帳面には「前足」と書いて医務の担当医に渡す。
それで順番が来て医務の担当によばれ担当医「どうしたんや、何処が悪いんや、んお前、前足が悪いんかホナ出してみや」
そうでなくても緊張している上にぜんそくで苦しい。そこへ持ってきて担当医からは前足を出せと怒鳴られる。当然、受刑者は前足を出すわけにいかないからもたつく。
それに怒った担当医は「何をしてるんやお前、悪いとこ出さんことにはこっちも分からへんやないか」ぜんそくで苦しいから余計にドモリってしまう。
担当医「お前、前足が悪いんと違うんかい。いったいどこが悪いんや、いうみ いわなわからんやないか」
受刑者「ぜんそくです」担当「おう、そうか喘息か薬だしとく」
そうでなくとも苦しいのにアホの担当が喘息を前足と書いたので起きた刑務所ならではの嘘みたいなホンマに悲劇である。
ちなみに、刑務所の新入り担当にはアホが多くてこんな間違いはしよっちゆう。
長谷川という漢字をナガタニガワと読むのなんか珍しくもなんともない。
私は、本年五月で満60歳になるがこの間に、約20年間刑務所に服役している。
その中でのホンマにくだらない話を二つ三つ書いてみようと思う。
大阪拘置所で裁判街していた夏のクソ暑い蚊の多い日、以前に京都刑務所に服役したことのあるという男が私に
「糸さん、京都刑務所はこんなもんじゃないですよ。蚊が多くて大変でしたよ」という。他の人間が「網戸があるやろう。」
するとこいつが「網戸はあるけど隙間から入ってくるんや。」という。
「そんなもんちり紙を丸めて隙間塞いだらいいんや。わしらはそうしてたで」
「いやそれがな糸さん京都の蚊は頭がいいから隙間にちり紙押し込んでいても、こう斜めになって入ってくるんや。」
といかにもという感じで両手を広げて体を斜めにして説明する。
ここで「ああそうか。」といってほっといたらいいのに性格的にそういうことはできないという犯罪者がいる。
「おまえこら、わしらをなめとんのか、おまえ蚊が斜めになって飛んでるんか、まっすぐ飛んでるんか見て分かるんか。いい加減なこといっとったらしょうちせんぞ。」と我慢できない犯罪者がいう。
「いやいやほんまでっせ、京都の蚊は賢いんや」「ゴメン」といったらそれでおわっとる話なのに、ここは引くに引けない塀の中。
どっちも引くに引けないのでこれでけんかになってしまった。
ホンマにマンガみたいな話やけどホンマにあった話です。
そうかと思えば美空ひばりか島倉千代子か忘れたけど一人の受刑者がアイツの歳は38やといい、もう一人がいや39やという。
一般社会で暮らしている人間からしたらそんなもんはどっちでもいい話なのに刑務所という塀に囲まれた狭い社会ではそうはいかない。
中で、仲良くなった友達まで引き込んで派閥同士のけんかに発展して全員懲罰になったというバカらしい話もある。
この件は刑務所でも有名な話なので多くの服役経験者は知ってるはずです。
他にも、バカみたいな笑い話はいっぱいあるが長くなるので今日はこの辺で失礼します。
この前の、十九にち日曜日淀川河川敷で徳之島の犬田布校区の運動会が開催され、大勢の先輩後輩が参加して盛り上がって一日大変楽しひと時を過ごした。
私の同級生が約二十人集まって子供当時の思い出話に花が咲き、酒も進む。
同級生の秀子さんには徳之島料理を作って持ってきてくれるように頼んであったので、たくさん持ってきてくれて有難かったのだが、
同じように他の同級生も腕によりをかけて美味しい料理を作って持ってきていたので食べ切れずに,だいぶ残っていた。
中学生時代の昔は、可愛かった女の子も御年60歳にもなると、自然と厚かましくなってパン食い競争に出場した時など、口ではなく手でパンを取って走っている。
無理もないか。
この後、だれが言い出したのか知らないが近くで食事でもということになり、かごの屋へ十人くらいで移動して飲食後、十二月
忘年会を約束して解散する。
私も、これで帰ったらよかったものを守口の八雲神社で秋祭りがあったので孫におもちゃでも買ってやろうと思い寄り道する。
孫が、だんじりの上でキツネ踊りをしているのを観たり夜店をのぞいてウロウロしていたら知ってる人間に会いまたここでもカンビールをごちそうになる。
これで帰ったらいいのをさらに帰り道でラーメン屋へ寄り、またここでも瓶ビールやら生ビールを飲み結局、帰ったのが夜中の十二時
運動会で飲み始めたのが昼の十二時やから延々と十二時間のみ続けたことになる。
さすがに、翌月曜日は二日酔いで頭が上がらない。それで早い時間から寝たので昨火曜日は気分爽快。
今日は仕事が入っていたので昨夜は早く寝た。
そんなことで今日はこの辺で失礼します。
さっき、古川橋近辺の道路を車で走つていたらH工業
のI社長が道端に立っていたので声をかけたら子供が悪戯してばれた時のような、嫌そうな顔をして私の車に近ずいてきて二言三言しゃべってどこかへ行ってしまった。
もう半年くらい前から私はこの社長に一度食事でもしましょうと声をかけてるのだが、そのうちに返事しますという割には未だに返事がない。
私をのけ者にして裏で社会通念上よろしからぬ輩と飲食しているとのうわさも聞く。そんなことは置いといて、明日は私の生まれ故郷徳之島の犬田布高区の運動会が淀川河川敷で開催されるので行く積りでいる。
もっとも、私の故郷の人間はお酒大好き人間が多いので運動会とは名ばかりで大酒飲み会みたいなものである。
そんなことで「酒なくてなんの己が桜かな」ではないけれど私も、飲む気満々で、さっそく同級生の秀子さんに「明日の酒の肴は徳之島料理を頼むで」と電話しておいた。
やはり徳之島料理は徳之島人間が創った方が昔懐かしい味と思い出がよみがえって美味しい。
他に、懐かしい先輩や後輩の顔も観れるので幼いころのように今からわくわくしている状態である。
そんなことで今日はこの辺で失礼します。