野老の里

奥武蔵をメインに日帰りの山歩きを中心としたブログです

奥武蔵へようこそ 2021年3月14日 高麗川左岸の山上集落を結ぶ道 駒高から高山

2021年03月21日 | 奥武蔵へようこそ
(風影集落)

飯能から秩父へと抜ける国道299号線と西武池袋・秩父線が通る谷は刈場坂に源を発する高麗川が作り出したものだ。その高麗川の両岸には長い尾根が連なっており、右岸は天覧山から伊豆ヶ岳を経て刈場坂峠、左岸は日和田山から刈場坂峠にかけてハイキングコースが設定されていて、一般に親しまれている。この二つの尾根を見比べてみると左岸尾根に山上集落が多いのに気付く。何故山上集落が多いのか理由は定かではないが、左岸尾根が甲斐と武蔵を結ぶ秩父往還道として使われ、越生やときがわ方面からの往来が多かったためだと考えられる。

今回は高麗駅からこの高麗川左岸尾根にある山上集落を東から順に訪ねて西吾野駅まで歩いてみることにした。駒高からユガテと阿寺から高山の間はそれぞれ集落同士を結ぶ道があり、尾根道を使わずとも行き来できる。そこで出来るだけ尾根道を使わずに歩くことにしたい。

高麗駅から駒高集落
緊急事態宣言が延長となり、外出自粛が呼びかけられている状況ではあるが、山に行くことにした。緊急事態宣言が解除されると山も相当の人出が予想され、かえって新型コロナウイルスに感染する可能性が高くなりそうだ。そこで暖かくなり次第山に行こうと考えていた。ただ若い頃に患った坐骨神経痛の再発でしばらく歩くのも困難だったため、所沢では梅の花が既に散ってしまうほどの暖かさとなった今日出掛けることにした。

電車に乗ると登山姿の乗客が多く、あまり外出自粛の呼びかけは功を奏していないように感じる。高麗駅に降りた乗客は少なく、他の登山者はもう少し奥地の山へと行くらしい。駅前の広場に出ると山の寒さは感じず、かといって着ている裏地付きのジャケットを脱ぐほど暖かくもない。高麗駅から日和田山へは歩き慣れた道だ。今回未踏のルートは中野・土山集落内の一部と中継地点である新田・間野の集落、そして八徳から嶽ノ越への峠道だけで大半は当ブログでも紹介済だ。したがってあまり細かなルートの紹介はしない。鹿台橋(ろくだいばし)を渡った先の信号で坂道に入ると有料駐車場のある日和田山の登山口がある。少し上がった所にベンチ・東屋と案内板があるので、ここで準備を整えていく。

(日和田山を望む)








(登山口の様子)

日和田山は過去何度も訪れていて、案内板を見た限りでは主要なルートは大体歩いたことがあるようだ。さてどの道を行こうか。10年以上前に見晴らしの丘に寄った時、全く見晴らしがなかったと記憶しているのだが、現在は大分変っているかもしれない。見晴らしの丘経由で金刀比羅神社二の鳥居へと行ってみよう。明るい雑木林の坂を上がり、道がフラットとなる辺りに一の鳥居がある。ここは女坂・男坂の分岐でもある。鳥居を潜って男坂方面へ入り、杉林を下っていくと案内板に書かれていた水場に出る。男坂・見晴らしの丘・クライミング場の分岐となっており、以前は少々わかりにくい所だった。今では道標が複数設置され、迷うことはない。

(金刀比羅神社一の鳥居)


(水場)

見晴らしの丘への道は水場までと比べると細く荒れた感じではある。杉林を抜けて雑木林となれば見晴らしの丘は近い。山頂への道の脇にちょっとした広場があり、ベンチが置かれている。ベンチからはなるほど見晴らしの丘と言えるほどの好展望が広がっている。見えるのは東京スカイツリーを含む都心ビル群でそれほど広い見晴らしではないが、訪れる人は多くない所なので、静かに過ごしたい人向きだろう。見晴らしの丘から岩が露出したやや急な斜面を登っていく。男坂の岩場の西側を登っているので雰囲気は似ている。上部で男坂と合流し、二の鳥居に到着する。

(見晴らしの丘)


(見晴らしの丘から東京スカイツリーが見える)


(二の鳥居)

二の鳥居からは今回の行程で最も広い見晴らしが得られる。しばらく写真を撮っていると同年代の男性が下からやって来る。今日山中で初めて会う登山者だ。慌ててマスクをして挨拶をする。昨年は山中にいる間、あまりマスクをしなかったのだが、今日はほぼ全般に亘り歩く人の多い一般ルートを歩くので、人とすれ違う時は常にマスクをするようにしたのだ。

(二の鳥居からの眺め 富士山と大岳山)


(巾着田)


(大岳山 御前山 川苔山)




(二の鳥居からのパノラマ パノラマ写真は別窓で開けると大きくなります)

二の鳥居から上がると金刀比羅神社の拝殿がある。普段は拝殿の右から日和田山の山頂へと向かうのだが、左にも道があり、山頂を巻いて駒高へと行けるらしい。今日は山頂を目指す山歩きではないので、歩いたことのない巻き道に入る。巻き道は細いものの、特段危険と感じるような所はない。緩斜面となり、尾根に上がった所で山頂からの道に合流する。後で地理院地図や古い地形図を確認したところ、この巻き道だけが描かれ続けているというのが興味深い。アンテナ施設の立つ高指山へ向かう道は、アップダウンは大きくないが、岩が露出して滑りやすく歩きにくい。舗装路に出たら高指山へは向かわずに駒高集落へ向かう。暗い杉林を抜けると西側が大きく開けた駒高集落に着く。富士山と大岳山、御前山を一度に見られる展望地に立つ「ふじみや」という茶店があるのだが、コロナウイルスの影響か店は開いていない。但し自動販売機は動いているので、そばにある東屋で休憩していくには良い所だろう。

(金刀比羅神社の左から巻き道が延びる)




(歩きやすい巻き道が続く)


(日和田山頂上から合流する)


(駒高集落 右に見える建物はふじみや)


(ふじみやからの眺め)

ふじみやから少し歩くと物見山へと向かう尾根道が分岐する。古い地形図を見るとかつての主要な生活道はこの尾根道を使っていたようだが、今回は更に車道を進む。途中安州寺という寺があり、駒高の文殊様として親しまれてきたようだが、ハイキングルートから外れているせいか訪れる人は多くないようだ。安州寺からは下り坂で、ヘアピンカーブの所で細い舗装路が分岐している。入口には私有地のため通行止めと書かれた看板が立つ。う~む。奥武蔵登山詳細図(吉備人出版)には赤破線の一般ルートとして描かれている道で、かつて逆ルートで下りてきたこともある。イボ石ノ峠側では特に通行止めとしていないので、歩く分には通ってよいものと考えて細道に入る。

(ふじみやを過ぎると大山も見える)


(安州寺)

細道といってもクルマ一台は通れる広さで、綺麗に草刈りがされた広い庭の中を真っ直ぐに延びている。最後の民家の脇を通ると一段と道は細くなるが、依然として舗装されている。やがてジグザグの九十九折となり、結局イボ石ノ峠に着く直前まで舗装された道が続いていた。これだけの手間をかけているということは今でも駒高の住人がこの道を利用しているということなのだろう。

(舗装された九十九折)




(イボ石ノ峠まで駒高からの舗装路が延びている 出典:国土地理院発行2.5万分1地形図 地理院タイルに赤文字を追記して掲載)

小瀬名・中野・土山・ユガテ
イボ石ノ峠は稜線縦走路だけでなく、小瀬名集落への道も合流している。縦走路下の道に入ると緩やかなトラバース道で整備状態はかなり良い。馬頭観音の碑が立つ辺りで一旦尾根を乗越し、下っていくと小瀬名(こぜな)集落に着く。道の上に二軒の民家があり、住人が庭仕事をしている。車道の通らない山中に今でも人が住んでいることに驚きを隠せない。無人販売所があり、ふきのとうや柑橘類を売っていたので、夏みかんを買う。どこか休憩できる所があれば食べてみよう。道は開けた農地の中を通っており、大山と丹沢の山並みが見える。道の上の民家からだともう少し広い展望が得られるのかもしれない。

(右上の道が縦走路である尾根道 左下の道が小瀬名方面)


(フラットな尾根を越える辺りに馬頭観音の碑がある)




(小瀬名集落)


(小瀬名からは大山が見える)

農地から杉林へ入るとやや急な下り坂となる。九十九折というほどではないが、ジグザグのトラバース道となっていて、歩きやすい。整備も行き届いており、ここも現役の生活道として使われているのだろう。下りきった所が中野集落と五常の滝との分岐となっていて、五常の滝から上がってきている舗装された関ノ入林道がそのまま中野集落へと延びている。ここは小瀬名へ行くときにしか訪れたことがないので、中野方面へと入るのは初めてだ。大きなカーブを描く車道を上がると空が開けた中野集落に入る。最初に見えてくる大きな建物は啓明荘だ。現在営業中かどうかは不明だが、近年まで営業は続けていたようだ。

(五常の滝・中野集落方面へと下る)


(中野集落 啓明荘の建物も見える)

くねくねと曲がる車道を進んでいくと道が二手に分かれる。2017年に上の道を通って北向地蔵へと向かったが、今日は下の道を使って五差路へ向かう。林に囲まれた五差路へ下りてくると数人の登山者に出会う。単独だったりカップルだったりと一つのパーティでは無いにもかかわらず、皆土山集落へ向かう小道に入っていく。北向地蔵へ向かうのならこの道はやや遠回りになるからユガテへ向かう人が多いのだろうか。ハイキングルートとして歩くのなら随分渋い道を選ぶものだと感じる。



(五差路 今回は④の道を行く 出典:国土地理院発行2.5万分1地形図 地理院タイルに赤文字を追記して掲載)


(五差路と土山集落の間は歩きやすい小道が続く)

歩きやすい小道を抜けると車道の通る土山集落に着く。ここからユガテと北向地蔵とを結ぶ道に合流するまでの短い区間が未踏となっている。鎌北湖・北向地蔵と書かれた道標の示す小道に入ると綺麗に草刈りのされた丘の上にお堂と記念碑が立っている。「山と高原地図 奥武蔵・秩父」に書かれている地蔵堂とはこれのことらしい。地蔵堂から先は緩やかなトラバース道で東には土山集落の民家を枝越しに望むことができる。土山は今回訪れた集落の中で唯一民家に隣接した道を歩くことがなかった。

(土山集落内の古い道標 それぞれ権現堂方面、深澤平戸方面、横手方面と彫られている)




(地蔵堂と記念碑)


(土山集落を見下ろす)


(短い区間だが良い道だ)

深沢山からグリーンラインへ延びる尾根を乗越す辺りでユガテと北向地蔵とを結ぶ山腹道に合流する。ここからユガテへはやはり2017年に歩いている。分岐に立つ古い道標を見ると今歩いてきた道は横手方面と彫られている。古い地形図を見ると土山集落から五差路・五常の滝を経て武蔵横手駅へと下っていくのが一般的だったようだ。尾根を越えてユガテへと向かう山腹道は今回歩いた山上集落を結ぶ道の中でも一番歩きにくい。道は明瞭でよく整備されているが、意外とアップダウンが多く、雨降り後ではどうしても滑りやすい。丸太橋で小沢を渡るとしばらくは歩きやすい道で、緩やかに高度を上げていくと81号鉄塔下までやって来る。山頂へは寄らないが、鉄塔下からの景色は見ておきたい。西側から鉄塔巡視路を上がり、振り返るとこれから向かうユガテが見下ろせる。

(土山集落・ユガテ・北向地蔵の分岐)


(尾根を越えるとやや急な下り坂が続く)


(丸太橋で沢を渡る ここから81号鉄塔まで登りかえす)


(越し方を振り返る 道は割と明瞭)


(81号鉄塔下からの眺め)


(出典:国土地理院発行2.5万分1地形図 地理院タイルに赤文字を追記して掲載)

81号鉄塔のピークから大きく下って沢に出る。2017年に歩いたときは地形図に描かれた沢沿いの道形を見つけられなかったのだが、今回丸太橋まで下りてよく周囲を観察してみると、沢が浅く、沢沿いに断続的な踏み跡らしきものがあるようだ。ユガテから深沢集落へ下る道があるくらいなので、ここは歩けないこともないのだろう。沢から登り返して竹林を抜けるとユガテ(現地看板では290m)だ。日当たりの良い広い農地には梅などの花を咲かせる木が多く植えられているが、3月半ばということもあり、ハクモクレンの大木が沢山の白い花を咲かせていた。人気の観光スポットということもあって行き交う登山者は多い。農具小屋脇のベンチに腰を掛け、小瀬名で買った夏みかんを食べる。硬い皮に悪戦苦闘しつつ中の房を一つ口に入れるとかなり酸っぱい。でも何故だか懐かしい感じがする。子供の頃は伊予柑やデコポンのような甘い柑橘類は少なく、八朔や夏みかんのような酸っぱいものばかり食べていたせいなのかもしれない。

(地理院地図や古い地形図を見るとこの橋が架かる沢沿いに道形が描かれている 実際は藪だらけだ)


(ユガテに着いた)


(ハクモクレンの大木)


(農具小屋脇にある地名看板)

新田・間野・阿寺
ユガテにはこれまで何度も訪れたことがあるが、新田集落へ下りる道は初めて歩く。ユガテの農地の南端へ行くと吾野駅へと向かう飛脚道と新田へ下る道との分岐に出る。新田への道に入るとやや傾斜が急ですぐにトラバースする林道が横切る。林道との分岐に立つ道標にはユガテしか示しておらず、林道を使うのかそれとも正面の薄い踏み跡を行くのかわからない。思い切って正面の踏み跡に入るとしっかりとした道で、ジグザグに下るようになると道標の立つ舗装路に出る。舗装路を下っていけば明るい新田の集落に着く。交差点に立つ道標を見ると新田は「しんでん」と読むとのことだ。ここから虎秀川沿いに車道を登っていく。

(飛脚道と新田へ下る道との分岐)


(分岐にはこの案内板がある)


(新田へ下る道に入るとまずはこの分岐にぶつかる 正面を突っ切るのが正解)


(新田への道も歩きやすい)


(舗装路に合流)






(新田集落)

東吾野駅から阿寺集落へと向かう車道は対面通行ができる程度に広く、それに伴って民家も多い。切り出した丸太が置かれた材木店のある辺りが間野の集落で、小さな石仏を覆う立派な小屋掛けが印象的だ。住宅地を抜けて杉林の中を行くとヘアピンカーブに差し掛かる。カーブの先に駐車スペースがあり、阿寺の岩場と書かれた看板が立っている。ユガテなどで見られる案内板によると阿寺の岩場を経由する道が旧道(奥武蔵登山詳細図によると阿寺峰坂と呼ばれている)であるという。道標にしたがって旧道を登っていくと沢沿いとなり、正面に大きな岩場が見えてくる。ここが阿寺の岩場で、日当たりがよく、かつて訪れたことのある北川の岩場と比べるとかなり大きい。登山道は岩場の右側に付いていて、滝枕と呼ばれる滝を見下ろすことができる。岩場の下からだとよく見えるのかもしれないが、岩に取り付くクライマーがいて邪魔をしたくないので、今回は登山道から眺めるだけとした。



(間野集落 材木店の向かいに小さな祠がある)


(阿寺の岩場への道)






(阿寺の岩場 横からだと大きさがわかりにくい)


(滝枕)

阿寺の岩場を過ぎても沢沿いの道が続く。右手から沢が合流してくる所で橋を渡ると尾根道が分かれる。正面の広い道は虎秀山へ延びる尾根へとつながる道で、今回は右に分かれる尾根道を上がる。尾根道も重機で造ったような広い道で、阿寺の各民家に通じているのか細いトラバース道がいくつもある。そういった分岐に惑わされず道なりに進むと民家の裏手に出る。民家の敷地に入ったようで居心地は良くないが、道標が立っているので通行は認められている。民家の中を抜けていくと権現堂林道と名付けられた車道に出る。この林道沿いに阿寺の集落が形成され、人の住む民家が多い。虎秀山ルートの入口に差し掛かる手前にビュースポットがあり、大山から西武ドームにかけての展望が得られる。

(岩場を過ぎても沢沿いを行く)


(沢の合流地点 橋を渡ると道が分岐する 右に入るのが旧道)


(民家の分岐が多いが飯能市の杭を目印に歩けばよい)


(阿寺集落に出た 民家の裏手なので騒がしくしないように気を付けたい)


(阿寺集落 日当たりは良い)


(阿寺からの眺め)








(阿寺集落の梅の花)

風影と八徳
阿寺を出て育代山への尾根を見送ると車道が分岐する。上り坂は顔振峠・諏訪神社へと向かう道だ。風影へは道なりに更に進む。顔振峠の峠道が横切る先が風影(ふかげ)集落だ。顔振峠付近にある摩利支天から眺める風影の景色は有名だが、集落内を通ったことがある人はあまり多くないかもしれない。集落内を抜ける車道は風影林道と名付けられているが、かつて小学校があったことから地元では学校道と呼ばれているという。確かに今回歩いた集落のうちでは最も広く、往時はもっと賑わいがあったのだろう。今は人ではなく民家で咲き誇るたくさんの花々が出迎えてくれる。

(顔振峠の峠道が横切る この先は風影集落)


(風影集落からの眺め 左端に武甲山が見える)






(花の多い風影集落)

林道を下っていくとコの字を描く辺りで細い舗装路が分岐する。集落内は細い舗装路が多いのだが、ここは鉄塔管理用の黄色いポストが立っているのが目印となる。舗装路は民家の敷地内を行く私道らしい。住人に咎められないかビクビクしながら歩く。最後の民家の前で砂利道となり、杉林に入ると荒れた感じの山道が延びている。10年以上前に逆方向からこの道を歩いた時もかなり荒れた道だったので、通る人は少ないのだろう。ただ以前と異なり、小沢を渡る際の朽ちかけた丸太橋は確りとしたものに架け替えられていた。小沢を渡った後は明瞭な山道となるが、尾根を越える手前で道が分かれる。尾根を越える道が八徳へ通じていて、巻き道は大松尾根へと引き込まれてしまうので、そこだけは注意したい。尾根に上がると十字路となっていて、顔振峠への近道・八徳集落・大松尾根と分かれている。道標がよくわからない方向に向いているが、明瞭なのは近道と八徳方面だけなので、特に問題はないのだろう。

(この民家の前の道を抜けて杉林に入る)


(杉林に入ってすぐはやや荒れた道)


(顔振峠への近道に近づくと良い道に変わる)

分岐から八徳に向かっては下り坂が続く。次の尾根を越えるまでは緩やかなトラバース道が続き、風影から八徳へ向かう分には歩きやすい。再び尾根を越える所で道が横切る。一応道標はあるが、地面に倒れていて少々わかりにくい。この尾根を越えると急斜面の九十九折だ。八徳から風影へ向かう際に最もしんどい思いをする地点だ。急傾斜の道なので、下りでもそれなりに脚へのダメージがある。九十九折が終わると沢沿いに進み、杉林を出れば八徳(やっとく・やっとこ)の集落に着く。集落内に入ったとはいえ、ここは集落の下部に当たり、全体を見るのであれば傘杉峠へ向かって車道を登っていく必要がある。

(二度目の尾根を越える辺りで広い道が横切る 倒れた道標のすぐそばの道を行けばいい)


(八徳へは大きく下っていく)


(歩きやすい中腹道)


(沢沿いとなれば八徳は近い)

下部の集落も日当たりは良く、現住の民家が多いようだ。スタートから5時間以上が経過し、かなり疲れもあるので、民家の草地に腰を下ろして昼食のカロリーメイトを摂る。のんびりしていると若い男性のランナー二人組が通り過ぎて行った。外出自粛要請中にもかかわらず山に入ってから20人以上は登山者・ランナーと出会った。終始マスクをしているソロ登山者もいれば、マスクをしないトレラングループもいる。それぞれが考えて対策を取っているのかもしれないが、感染の危険度が全く同じと捉えられてしまうことにはどうにも抵抗を感じざるを得ない。



(八徳集落)

嶽ノ越を越えて高山、そしてゴールへ
八徳沢沿いにある八徳林道へと下り、少し上流へ遡ると橋が架けてあり、嶽ノ越への道が延びる。昨年「山と温泉の風」のリブルさんが歩いた道で、「かなりの急登で結構きつい」という。疲れた身体で果たして嶽ノ越まで行けるのだろうか。道に入るとすぐに墓地があり、周囲に植えられた三椏が黄色い花を付けている。3月の花というと梅も良いが、ボクには三椏の花という印象が強い。沢沿いの道は最初比較的緩やかで、谷も広く、開放的で気分良く歩ける。杉林に入り、岩場が現れるとトラバースの九十九折となる。高度を上げるにつれて九十九折の間隔はどんどん短くなり、休憩を挟まないと足が上がっていかない。木の間越しに青空が見え始めると九十九折の間隔が再び長くなり、鞍部が見えてくれば嶽ノ越に出る。標高差は260m以上あり、体力的に厳しい道なのは間違いない。しかし良く整備されていて、九十九折の区間が長いので歩きやすい部類に入るだろう。

(三椏の花)


(嶽ノ越の登山口)


(沢沿いの比較的緩やかな道を行く)


(開けた谷に出る 気分が良い)


(岩場が現れると沢から徐々に離れる)


(最初は長いトラバースの九十九折)


(短いトラバースになると傾斜も急になる)




(嶽ノ越 正面右手は高山集落方面 出典:国土地理院発行2.5万分1地形図 地理院タイルに赤文字を追記して掲載)

嶽ノ越から高山集落へは昨年も歩いており、特筆することはない。民家の下の道を進むと高山小学校跡地から高山不動下の広場に出る。大イチョウの脇から子の権現方面を望めるが、あまり広い展望ではない。関八州見晴台も枝が伸びて眺めが悪くなってきており、高山集落周辺は以前ほどには良いビュースポットではなくなってきている。

(高山集落 高山不動関係の建物が多いようだ)


(不動堂下の大イチョウ)


(広場から不動堂を見上げる 石段はかなり急)


(広場からの眺め 中央に子の権現が見える)

広場を出て、後は西吾野駅へ下るだけだが、次回のために大峠までは寄っていく。次は大峠から高畑集落を訪れ、前坂峠を越える計画を立てている。大峠への道は初めて高山周辺を歩いた10数年前は道標が少なくてわかりにくかったが、不動三滝への道標が完備されて格段にわかりやすくなった。祠が脇に置かれた大木から尾根に上がると大峠なのだが、倒木に邪魔される。昨年歩いたときはこんなもの無かったのになぁ…。大峠から西に延びる尾根を下ると高山不動からの道に合流する。石地蔵のある赤坂までは緩やかなトラバース道で身体に優しい道だ。

(高山不動から出るとしばらくは歩きやすい道が続く)


(右の大木の裏に祠があり、大峠への道が延びる)




(大峠 出典:国土地理院発行2.5万分1地形図 地理院タイルに赤文字を追記して掲載)




(赤坂 出典:国土地理院発行2.5万分1地形図 地理院タイルに赤文字を追記して掲載)

広場になっている赤坂から最短のルートは茶屋跡を経由する萩ノ平コースだ。でもここはしょっちゅう使っているので、今回はパノラマコースを下る。赤坂から南にフラットな尾根が延びる。突き当りで尾根が左右に分かれ、左がミイ道、右がパノラマコースだ。次回大峠を訪れるときはこのミイ道を使っても面白そうだ。パノラマコースは以前坂石山を歩いた際にも一部歩いているが、急傾斜で歩きにくい印象は変わらない。踏み跡も消えがちであまり良い道とは言い難い。ベンチの置かれた広い道に出た所が坂石山方面への分岐だ。パノラマコースはここから九十九折に下っていく。重機で造ったらしくヘアピンカーブの先も道が続いているが、下へ下へと下っていけばよい。杉林から明るい雑木林へ出ると谷側に本陣山を中心とした景色が広がる。但しパノラマコースというほど壮大なものではない。

(ミイ道とパノラマコースとの分岐に立つ道標 ミイ道を示す道標も別個にある)


(坂石山との分岐にあるベンチ 奥は坂石山方面へと下る)


(中央手前の山が本陣山)


(日当たりの良い九十九折が続くので晩秋から初春までがおススメ)

明るい谷を下っていけば建物が点在する砂利道に出る。道なりに下れば北川の畔で、橋を渡り、駅へと向かう。駅前の最後の急坂をのんびり歩いていると飯能行きの電車がやって来るとのアナウンスが聞こえてくる。ホームへ駆けあがり、なんとかセーフ。ホームには数グループの登山者がおり、春の陽気に誘われて結構な人出があったことを窺わせる。自粛解除前でこの人出では解除後しばらくの間は山に行っても人込みを避けられそうにはないなと思わずにはいられないのであった。

(明るい谷を下っていく)


(北川の畔に出る すぐそばに休憩所の吾笑楽がある)

DATA:
高麗駅6:46→7:04日和田山登山口→7:12金刀比羅神社一の鳥居→7:20見晴らしの丘→7:31二の鳥居7:40→8:00駒高→8:21イボ石ノ峠→8:29小瀬名→8:41中野→8:57土山→9:30ユガテ9:43→9:57新田→10:05間野→10:24阿寺の岩場(滝枕)→10:39阿寺→11:01風影→11:26顔振峠分岐→11:51八徳→12:10嶽ノ越入口→12:44嶽ノ越→12:48高山→13:02大峠→13:15石地蔵→13:47吾笑楽→14:00西吾野駅

地形図 飯能 越生 正丸峠

トイレ 日和田山麓 駒高 ユガテ 高山不動

交通機関 
西武池袋・秩父線 小手指~高麗 272円 西吾野~小手指 377円

関連記事:
 平成22年11月13日 飛脚道とスカリ山
 平成26年11月3日 前編 高山不動から黒山三滝
 平成27年11月28日 高山不動から正丸峠
 平成29年1月29日 関ノ入尾根から黒尾根(訂正版)
 平成29年3月12日 山王峠から鎌北湖を経てユガテ
 平成30年2月17日 柏木尾根から六万部塚を経て弓立山
 2020年8月29日 不動三滝から黒山三滝
 2020年11月15日 虚空蔵峠の峠道を探る 芦ヶ久保駅から西吾野駅

駒高集落からイボ石ノ峠の間は私有地との注意書きがあるので、心配な人はこのルートを避けましょう。今回歩いた道は全般において一般ルートで奥武蔵でも歩きやすい部類ですが、ユガテで分けると体力的にちょうど良いかと思います。

今回から試験的に国土地理院の地図をダウンロードしてウェブ上で掲載してみることにしました。当ブログでは「承認を得ず利用できる範囲」の「上記以外のうち、作成する成果物が測量成果としての正確さを要しないもの」のうちにある「書籍、パンフレット、ウェブサイトへの地図の挿入」に該当します。なお地理院地図をダウンロードして利用した部分については個々に出典の記載をしています。

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