野老の里

奥武蔵をメインに日帰りの山歩きを中心としたブログです

「つまらない」とは書きたくない

2015年08月25日 | tokoroの日常
山の記事を書いているとき、気を付けていることがいくつかあります。まず、出来るだけ記事は正確に書くということ。ボクも一応「山行記の利用による事故などの損害については責任を負いません」とは書いているものの、この一文だけで免責されるというわけではありません。誤記によって他の登山者を危険な所へ誘導するようなことがあれば、重大な過失があったものとして不法行為責任を負う可能性というのはあります。また東京オリンピックのエンブレム問題ではありませんが、他者の記事を借用していないかということには気を付けなければなりません。山歩きの計画を立てる際、どうしても他人様のサイトやブログを参考にすることが多いわけですが、現地で経験した事以外の知識というのはたいていその他人様のサイトやブログに既に書いていることが多い。ボクも他人様の記事を要約して書いてしまうことはあるのですが、ネットという文明の利器を使っているならば、リンクを張れば良い訳です。そうでなければ自分で資料に当たるという手間を省くべきではないでしょう。

さて山の記事を書く際にボクが一番気を付けていること、それは山に対して「つまらない」、「退屈だ」と書かないことです。もちろん他人様のサイトやブログが山の優劣を付けているのは個人の自由なので、それについていちゃもんを付けようということではありません。ただボクは山の優劣は論じたくないし、つまらないとも退屈だとも書きたくない。何故かというと一つにはどんな山にもファンがいるからです。末席にいるボクのブログをわざわざ見に来てくれる人というのはその山なり観光地なりに関心を持っている人なのは間違いありません。単にボクの記事を参考にするだけの人もいれば、その山なり観光地なりがどう評価されているか気になる人もいるでしょう。そうやって関心を持ってやって来た人に「この山はつまらなかった」と言うのはやっぱり失礼に当たる。ボクは正直な話、山についての議論というのは下らないことがほとんどだと思っています。わざわざブログを訪れた人と山について議論するのは不毛なので、燃料となるようなことは書きたくないのです。

そしてもう一つの理由は自分が「つまらない、退屈」な人間であることがばれてしまうのを避けたいからです。たいてい人間というのは自分が興味を持っていないことはつまらないと感じます。しかしそれを公言してしまうことは自分が無知であることをさらけ出してしまっているのと同じです。例えば奥武蔵の山などは杉や檜ばかりの所も多いのですが、それだけでつまらないと断定してしまうのは勿体ない。手入れのされ具合だったり、植栽の仕方の違いだったり、あるいは画一的な景色だからこそ地形を読んだりと楽しみ方は色々あるわけです。それらを否定してしまうのは結局のところ皮相的な歩き方しかしていないのだというのを認めたのと同じでしょう。

ボクはときどき山を楽しめるかどうかは歩く人次第だ、と書いてきました。なんとか百名山を制覇して山を理解したような気になっている人は多いですが、それは山の一部を理解したにすぎないよ、と思っています。自然の美しさを知るにしても百名山だって春夏秋冬訪れなければならない。しかも山は無数にルートがあります。その全てを制覇することは通常の人には無理でしょう。それが二百名山、三百名山となれば尚更のことです。その上、山にはそれぞれ歴史があります。その全てを理解できている人などこの世にはいないでしょう。深田久弥という人が素晴らしかったのは自ら山に足を運んだだけでなく、山を調べ上げて、その上で山の格を論じたことにあります。前述したとおり山の優劣を論じるのは個人の自由。でも「深田久弥でも気取ったつもりか。このクズが。」と言われてもたいていの人は納得しなければなりません。何故なら深田久弥氏のように他人を納得させるほど調査し登っている人はほとんどいないからです。山を厳しく評価していると自認しているのならば、自らの記事もまた厳しく評価されなければなりません。ボクは精神的にそこまで強くは無いので、「つまらない」とは書きたくないのです。
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