野老の里

奥武蔵をメインに日帰りの山歩きを中心としたブログです

11年ぶりの谷川岳を歩く 天神平から土樽 2019年10月5日

2019年10月09日 | 山の思い出
(茂倉新道から矢場ノ頭と足拍子岳を望む)

若い頃、JRが発売している青春18きっぷを使って旅をすることがマイブーム(なんて言葉は今は使わないか…)だった。列車を乗り継いで4泊5日の旅をしたこともあれば、日帰りの旅を楽しんだこともあった。その後、山歩きをするようになり、当然のことながら18きっぷを使った山歩きもするようになった。本格的に山歩きを始めて2年目だった2008年には大菩薩峠、蓼科山そして谷川岳を歩くのに使った。この頃は泊まりで山歩きをすることはなく、全て日帰りであった。つまり蓼科山や谷川岳は所沢からギリギリで日帰りできる山だったのだ。

それから11年が経ち、久しぶりに谷川岳に再挑戦してみることにした。きっかけは職場の同僚に今年の夏はどこに行くか聞かれて、何気なく「日帰りなら谷川岳辺りかな…」と呟いたことだった。結局夏は忙しくて山どころではなく、9月は悪天続きでなかなか山に行けなかったため、10月最初の週末に出かけることになった。台風一過のため天気が心配ではあったが、10月半ばだと雪が降ってくる可能性もあり、そうなるとボクの実力では歩き切ることができない。この週末がラストチャンスと考え、11年前と同じく天神平までロープウェイで上がって山頂に至り、下山は一ノ倉岳・茂倉岳を越えて土樽へと下りる予定を立てた。

谷川岳ロープウェイの土合口駅から熊穴沢避難小屋
所沢から谷川岳ロープウェイの土合口駅まで行くにはいくつかのルートが考えられる。11年前は自転車を使って川越駅に行き、そこから東武東上線・八高線・上越線と乗り継いで水上駅に行き、関越交通バス谷川岳ロープウェイ行きの始発に乗った。現在でも川越から列車に乗るのが最速なのだが、今回は最寄り駅である新所沢から出発して池袋・赤羽・高崎の各駅で乗り継いでいくことにした。この行程でも新幹線を使わずに水上駅から始発の次のバスに乗ることができるのだ。

順調に列車を乗り継ぎ、水上駅を降りると長袖を着ていても肌寒い。慌ててシェルジャケットを着込むがそれでも寒いくらいだ。前日の予報通り群馬県内は好天で榛名山や赤城山が車内からも良く見えていた。ところが水上駅に着くと山の上のほうがかなり曇っている。寒いのも太陽が雲で遮られているせいだ。11年前に歩いたときは天神平から矢場ノ頭までずっと雲の中で真っ白な光景しか記憶にない。今回もその二の舞になるのかと暗澹たる気持ちになった。バスは席が埋まる程度で出発したが、途中の温泉街で観光客を拾い、土合口駅に着く頃には混み合うほどになった。

駅舎内のカウンターで片道券を購入し、乗り場へ向かうとそれなりの行列ができている。11年前に訪れたときも行列ができていたのでそれほど驚きはない。フニテルという愛称が付けられたゴンドラ内には16の席があり、立ち乗り無しで運行されていた。以前乗ったことのある那須岳のロープウェイに比べると居住性は良い。10分弱で天神平駅に到着。予想に反し、晴れている。曇っているのは当面山頂だけのようだ。


(ロープウェイ乗り場へ続く通路 奥にロープウェイ待ちの行列が見えている)


(天神平に到着 目の前にはリフト乗り場がある その上に谷川岳の山頂部が見える)

天神平駅の脇にある鐘のある展望台から谷川岳への道が始まる。展望台から見えるのは白毛門・笠ヶ岳辺りだろうか。こちらも山頂部は雲に隠れていた。小沢を渡り、先ずは天神尾根の北側にある巻道を行く。滑りやすい木道が続く所で個人的には苦手な道だ。アップダウンを繰り返しつつ徐々に登り、20.分ほどで天神峠の分岐に着く。ここで地形図上では尾根に乗るのだが、実際にはまだ巻道が続く。分岐から5分ほど歩くと名無しの小ピークに出る。南西側が少し開けていて、山頂部が平たい山が見える。「山と高原地図(昭文社)」を見ると吾妻耶山というらしい。みなかみ町周辺にはこうしたテーブルマウンテンが多いという。


(天神平駅の傍にある鐘のある展望台からの眺め 奥の尾根は白毛門・笠ヶ岳辺り)


(巻道を行く)


(木道が多く滑りやすい)


(天神峠分岐 まだ巻道は続く)


(小ピークから見える吾妻耶山 その左の盛り上がりは大峰山)

名無しのピークからはやや大きく下る。途中谷川岳の山頂が見えるのだが、残念ながら雲に隠れていた。登り返すとしばらく泥濘んだフラットな道が続く。やがて赤い壁の小屋が見えてくる。熊穴沢避難小屋だ。いわお新道の分岐にもなっている所で、休憩を取っている登山者が多い。小屋の中は土間の部分が広く、板敷きは狭い。慣れている人でないと宿泊はしんどいだろう。


(紅葉の始まった尾根)


(名無しのピークから下る際に見えた谷川岳の岩壁)


(泥濘のフラットな道)


(熊穴沢避難小屋)

渋滞する登山道を登って谷川岳山頂へ
避難小屋での小休止を終え、山頂を目指す。標高はおよそ1470mなので、山頂までの標高差は500mほどだ。それほどきつい標高差ではないが、結構時間がかかった覚えがある。何故だろう?避難小屋を出て歩き始めるとすぐにその答えがわかる。岩場に差し掛かると渋滞が起きていたのだ。登る分には大して急な傾斜ではないのだが、滑りやすく段差も大きいのでどうしても遅れる人が出てきてしまうようだ。まだそれほど急ぐ時間でもないので、写真を撮りつつのんびりと後を付いていくことにした。越し方を振り返れば天神尾根から吾妻耶山までを見渡すことができた。


(岩場に差し掛かると渋滞が起きる)


(天神尾根を振り返る 右側には吾妻耶山の姿も)

最初のうちは渋滞の後ろをのんびりと付いていたが、流石に段々と苛々してきた。観察していると遅い人の後ろを足の速そうなグループがノコノコと付いていることが多いのだ。道が狭くて追い抜きづらいのかもしれないが、余裕のある人がどんどん先へ行かないと渋滞の行列がどんどん長くなってしまう。そこでやや幅の広い急な岩場に差し掛かった所で少しずつ追い抜いていくことにした。するとボクの歩きに触発されてか足の速いグループがボクの前を行くようになった。一先ずこれで良し。ただここで少々体力を使ったことが先の行程に支障を来すことになる。


(岩場は結構滑る 前を歩くおじいさんのストックに刺さりそうで怖かった)


(山頂へ近づくにつれて色付きが進む)

一通り足の遅い人たちを追い抜くと山岳部らしき若い男性グループの後ろに付いた。彼らはかなり健脚で結構距離を離されるが、急な岩場になると下りの人を待つ渋滞が発生し、その度に追いつくことができた。そんなことを繰り返しているうちに森林限界に出る。道型のある西黒尾根が見えたがどのくらいまで登ってきているのだろう?大岩のある平坦地に出たところで避難小屋からどのくらいの時間登ってきたか計算するとまだ30分しか経っていない。それにしては消耗が激しい。


(森林限界に出た 前を行く青ザックの男性は山岳部の子だったらしく足が速い)


(西黒尾根が見える)


(大岩のある平坦地 あと30分は登らなければならない)


(紅葉の尾根 山岳部の子が女性を追い越してからは急激にペースが上がる)

平坦地を過ぎると灌木類も無くなり、笹原の広がる尾根へと変わる。だいぶガスが垂れ込めてきて視界が利かなくなってきた。写真を撮ることは諦め、只管山岳部の子らしきグループを追っていく。再び大岩に差し掛かると彼らは休憩を取っていくようだったので、ボクは先へと急ぐことにした。同年代らしき男性グループがいたので彼らに付いて登っていくと、やがてその中の一人が小屋が見えてきたと話している。顔を上げると確かに肩の小屋だ。小屋の前で休憩を取ろうと思っていたのだが、周辺は酷い混雑だ。とりあえず谷川岳は越えてしまったほうが良さそうだ。


(山頂へ近づくとガスが垂れ込めてきた 相変わらず数珠繋ぎの渋滞は続く)


(多くの人でごった返す肩の小屋)

肩の小屋から谷川岳の山頂の一つであるトマノ耳へは緩やかな岩場の道が延びる。ところが歩みは捗らない。ヨタヨタ歩いて何とかトマノ耳(1963)に着くが周囲は真っ白だ。記念写真も撮らずにもう一つの山頂であるオキノ耳へと向かう。トマノ耳からはやや急な下りがあり、登り下りどちらも渋滞が起きている。11年前に訪れたときは山頂での渋滞には合わなかったので、ここで時間を使ってしまったのは誤算だった。何とかオキノ耳(1977)へと登り返したが、こちらも周囲の視界は利かなかった。展望を諦め北に下ると混雑を逃れてきた人たちが鞍部の辺りで休憩を取っていた。休憩を取らずに去ろうとすると一瞬ガスが取れて薄靄の向こうに白毛門の南尾根が見えた。


(谷川岳の山頂の一つであるトマノ耳 肩の小屋から結構歩かされる)


(オキノ耳 ここまでは人が多い)


(オキノ耳から北へ下りた鞍部から白毛門の南尾根を望む)

意外に厳しい一ノ倉岳を越えて茂倉岳へ
とりあえずオキノ耳と一ノ倉岳との稜線の間で休憩を取れる所を探すべく先へ進む。オキノ耳のすぐ北にある岩峰には鳥居が立ち、富士浅間神社の奥の院があるという。だが自分にはあちこち見ていく余裕はない。岩峰を西から巻くが、結構な崖地でしかも滑りやすい蛇紋岩質なのでへっぴり腰で慎重に下らざるを得ない。すると前からトレラン姿の若い男性がやって来た。「馬蹄形」ですかと声をかけると朝出発でここまでやって来たという。凄い体力だ。滑りやすい岩場をゆっくり進んでいると後ろからパーティがやって来る。どこまで行くか聞いてみると蓬峠までだというので、先へ行ってもらうことにした。道の細い岩場では体力の無い者が道を譲らないと後ろのパーティに迷惑をかけてしまう。


(オキノ耳のすぐ北にある岩峰)


(岩峰の西側を巻くように道が付けられている 鳥居は富士浅間神社のもの)


(ボクの前を行く3人パーティ 蓬峠まで行く予定だとか)

オキノ耳から下った当初はガスも晴れたのだが、再び濃いガスに覆われて周囲の様子は窺えない。11年前と同じく展望に恵まれず残念だ。唯一紅葉した灌木類だけが慰めとなった。群馬県側は岩登りで有名な一ノ倉沢であり、凄まじい崖地である。そのため道は新潟県側を下ることが多いのだが、笹原とはいえこちらも急斜面。歩きにくい道にどんどん体力を奪われる。ノゾキと書かれた木柱のある崖地を過ぎると長い鎖の付けられた岩場が現れる。鎖場は途中二か所あるのだが、ノゾキの近くにあるほうは長いのでかなりの緊張を強いられる。岩場を下りきった頃には珍しく左手の握力が無くなっていた。


(赤く紅葉する灌木類 ツツジ科の植物だろうか)


(群馬県側は切り立った崖になっていることが多い)


(ノゾキ)


(滑りやすい鎖場を下る こんな感じの鎖場が2か所くらいあった記憶がある)

鎖場から更に新潟県側を巻くように下っていく。巻道が終わると泥濘んだ水溜りの多い道が続く。ガスで展望も得られず辛い。最低鞍部へ着くと今度は標高差130mの急斜面の登りが待ち受ける。取り付きの時点でかなりの急斜面だが、標高1900mを超える辺りから手を使ってへばり付かないと登り切れないほどの傾斜になる。1950mを超えると傾斜が不意に緩む。すわ山頂かとぬか喜びさせられるが、山頂はまだ先だ。見覚えのある蒲鉾型をした避難小屋が見えてくれば一ノ倉岳(1974.1)の頂上に着く。遮るものの無い笹原の山頂は細長く、結構な人数のグループでも十分休憩が取れそうだ。ボクを追い抜いて行ったパーティ以外にも休憩を取っていたパーティがいたので、ボクもザックを下ろして休憩を取っていくことにした。新潟県側は依然としてガスが取れない状態だったが、群馬県側は時折晴れて白毛門から笠ヶ岳にかけての尾根や燧ケ岳・至仏山・武尊山などを望むことができた。

(新潟県側の様子 こちらも急斜面 道は新潟県側を下ることが多い)


(黄色く色づく カエデに属する樹のようだが…)


(最低鞍部へ向かって下る 木道が無いので道は泥濘で水溜りも多い)


(一ノ倉岳へ向かって登り始める)


(越し方を振り返る 切り立っているのが群馬県側)


(山頂の手前で傾斜が緩む 空も晴れてきた)


(頂上付近から笠ヶ岳が一瞬だけ見えた)




(一ノ倉岳頂上)


(一ノ倉岳からの眺め 中央手前が白毛門 奥の大きな山が燧ケ岳 避難小屋の上に見えるのが武尊山 その左が至仏山 なおボクには土地勘がないので「山の散歩道」のsanpoさんの記事を参考にした)

5分だけ休憩を取って山頂を辞することにした。本来は昼食を取るべきなのだが、以前患っていた食道炎が再び悪化しただけでなく、最近は胃腸もかなり傷んでおり、山での食事が難しくなってしまった。下山するまでにエネルギー不足に陥らなければよいのだが…。出発する前に避難小屋の内部を覗いていく。ドアを開けると中は狭いが板敷きになっている。これだけのスペースがあればボクが一時期寝泊まりしていた環境よりも広いくらいだ。茂倉岳へ向かうと緩やかな下りだ。穏やかな道に安堵する。鞍部に着く手前の尾根が広い所には草紅葉の光景が広がっていた。ガスで視界が利かないせいか、どこか浮世のものではないように感じた。ガスの中を登り返すと蓬峠へのジャンクションピークとなっている茂倉岳(1978)に出る。ガスがなければここも360度の展望が楽しめるのだろう。ここで立ち止まっている理由もないので、早々に避難小屋へと下ることにした。


(一ノ倉岳避難小屋内部 狭いが二人までなら十分泊まれるスペースだと思う)


(茂倉岳との鞍部に向かって下る まだガスが濃い)


(一ノ倉岳~茂倉岳間は群馬県側も笹原が広がる)




(草紅葉 湿原を思わせるような光景だ)


(一ノ倉岳を振り返る)


(茂倉岳へ向かって 意外と尾根は細い)


(頂上が見えてきた)


(茂倉岳頂上)

茂倉新道を下って土樽駅へ
11年前茂倉新道を下ったときは矢場ノ頭を過ぎるまでは見晴らしの良い道だった記憶がある。実際下り始めると笹原の道が続く。ここもガスで視界が利かないことが悔やまれる。また意外にも崖地の縁を歩くので高所恐怖症気味のボクには実に厭らしい道に感じてくる。それでもどんどん高度を下げていくと避難小屋が見えてきた。更に小屋へ近づくとガスの向こうに薄っすら下界の様子が見える。標高が少し下がればガスが晴れてくるかもしれない。


(茂倉新道を下り始めると避難小屋が見えてくる)


(避難小屋の右に見える白い筋は関越高速道路)

茂倉岳頂上から15分弱で茂倉岳避難小屋に到着。内部は一階だけだが広い小屋で外にはトイレもある。小屋前には同年代のカップルがいて、朝群馬県側は天気が悪かったので雨が止むのを待って土樽から登って来たのだという。明日は平標山まで縦走を行う予定とのこと。トレランの若い男性といい、オキノ耳より奥を歩く人は健脚揃いだ。食道炎と胃腸炎の影響でかなりの吐き気を催しており、泊まっていきたい気分に駆られたが宿泊の用意がない。下界も見えていることだし何とか下ってしまおう。


(茂倉岳避難小屋 ここも一度泊まってみたい小屋ではある)


(内部の様子 結構広め 宿泊に適する)

小屋を出て順調に高度を下げていく。決して歩き良い道とは言えないが、予想通りガスが晴れてきて視界が利くようになったので気分良く歩ける。前を外国人らしきカップルが歩いており、自分一人だけでないという心強さもある。高度を下げると尾根の全容が見えてきたのでじっくり観察してみる。尾根が大きく右に曲がる辺りで笹原から樹林帯に変わっているので、樹林帯に変わる前のピークが矢場ノ頭であろう。一先ず矢場ノ頭までは一気に下ってしまいたい。


(茂倉新道のある尾根から一つ北にある尾根 この下をJR上越線の清水トンネルが通る)


(茂倉新道と高速道路 前を行くのは外国人のカップル)

やがてガスはすっかり晴れた。11年前には出会えなかった展望をいよいよ楽しむことができる。茂倉新道の笹原が広がる端正な尾根はもちろんのこと、北に見えるゴツゴツとした岩峰群が一際目を惹く。茂倉岳の地形図を見ると荒沢岳・足拍子岳・クロガネノ頭の連なりらしい。特に三角形の塔のような岩峰を頂く足拍子岳を見るとまるで山全体が要塞のように思えてくる。素晴らしい光景に目を奪われつつもしっかり高度は下げていく。すると小さな白い花が目に入った。5枚の花弁が特徴的なウメバチソウだ。以前谷川岳以外でも見た記憶があり、これだけはすぐにわかった。


(左側に日が当たっているのが矢場ノ頭)


(右に見える三角形の塔のような岩峰を頂く山は足拍子岳というらしい)


(紅葉と足拍子岳)


(道は南側に付いていることが多い)


(手前の高まりが1683m峰)


(紅葉はちょうど盛り)


(茂倉岳を振り返る 山頂は相変わらずのガスだ)


(ウメバチソウかな?)

ここまで只管下りだったが、外国人のカップルが名無しのピークの上にいるのが見える。カップルと入れ替わりに名無しのピークに立つ。地形図で見た限りおそらく1683m峰であろう。茂倉新道の尾根は隠れてしまうが、それ以外は360度の展望が得られる好立地だ。茂倉岳を振り返ると紅葉した茂倉新道の尾根が美しい。足拍子岳の岩峰群と下界の高速道路も良く見える。唯一万太郎山方面がガスに覆われていたのが残念ではあった。


(1683m峰 山頂にいるカップルには結局土樽駅に着くまで追いつくことはできなかった)


(1683m峰からの眺め)

1683m峰で景色を楽しんでいると再びガスが湧いてきた。14時を過ぎたし、そろそろ急がなくてはならない。尾根がクネクネと曲がる辺りは傾斜も急で見た目よりも歩きにくい。傾斜が緩んでくると背丈を超す灌木帯に入る。シャクナゲの樹が多いのが印象的だった。泥濘の多い鞍部に着くと矢場ノ頭が高く見える。ここを登り切ればもう顕著な登りは無い。疲れと吐き気でフラフラになりながらも矢場ノ頭(1490)頂上に着く。灌木に囲まれた山頂には古びた金属の標識が立っていた。展望は悪くなさそうだが、ガスが覆い始めたので写真は撮らず唯々体力の回復に努めることにした。




(紅葉する茂倉新道を振り返る)


(矢場ノ頭を目指して只管下る 一見良さそうな道だが歩きにくい)


(右の一番高い山は万太郎山辺りだろうか)


(矢場ノ頭に近づくと樹木も高くなってくる)


(泥濘む鞍部に着く 意外と矢場ノ頭が高い)


(矢場ノ頭 展望は悪くないがガスってきたのでパノラマ写真は撮らなかった)

矢場ノ頭から尾根は北に折れ曲がる。しばらくは展望も得られる灌木帯の道だ。周囲の樹高が高くなると山と高原地図にも「木の根が露出し歩きにくい」と書かれているように細く急傾斜の尾根に生える樹木を巻いたり、木の根を越えたりしながら下る。尾根を右往左往しながら下るのだが、よく考えてみたら奥武蔵でも尾根を九十九折気味に登ることがあるからそれに似たようなものなのかもしれない。ただ横に張り出した木の根を伝いながら先へ進むのだけはできれば避けたかった所ではある。


(矢場ノ頭から下り始める 最初はそれほど悪くない道だ)


(まだ周辺の樹高は低い)


(ここも道は尾根の南側を行くことが多い)


(こんな感じの木の根をいくつも越えていく)

尾根が左へ曲がる辺りから傾斜が緩む。尾根も広くなり木の根を越えるような所は無くなった。ただ時計の高度計を見るとまだ1250mを指しており、誤差等を考慮に入れると標高差は600mくらいありそうだ。傾斜の緩い所を利用して小休止を取っていると不意にスマホが鳴る。家からの電話だ。出てみると相手は母親だった。連絡が無いので心配しているようだ。小屋に泊まったらどうか等と言われるがここまで来たらそんなことは不可能だし、第一小屋泊まりで歩けないのは母親の病気のせいでもある。苛々が募るがこんな所で怒っても仕方がない。父親に代わってもらい、現状を伝え、16時半までには下れるだろうから登山口に着いたら連絡すると話し、電話を切った。


(傾斜が一旦緩めば根っこを越えていくような所はない ただ急坂は何度も現れる)

穏やかな道は終わり、再び急傾斜の道となる。木の根を越えることは無いが、疲れと吐き気とで歩みは全く捗らない。森の中なので周囲も暗くなってきたが、夕方の暗い森は何度も下ってきたし、できるだけ気にしないように下る。何度も滑ってこけるが汚れだけで済んでいるなら問題はない。再び傾斜は緩み、しばらくは楽な道だ。もう300m以上下っていて、これなら16時半までには登山口に下りられそうだ。周囲は樹高の高い広葉樹の森へと変わる。後で山と高原地図を見て知ったことだが、この辺りはブナの森だったようだ。標高差200mある最後の急坂を下っているとまたもスマホが鳴る。おそらく母親からだろう。でももう電話には出なかった。急坂の途中で出るのは危険だし、話している暇があるならできる限り下ってしまいたい。母親の心の病に付き合っていられる余裕はもう無いのだ。

一頻り下ると登山口にある駐車スペースが見えてきた。下界はもうすぐだ。雪崩除けの板ような所で道は折れ曲がり、そのまま下ると茂倉新道の登山口に下り立つ。すぐに家に電話をすると父親が出てきた。大して心配していなかったのが逆に有難かった。その場で座り込みたい気分だったが、駐車スペースを含めて泥濘んでいたので我慢して先へ進む。舗装路に出て、高速道路の管理事務所を見送ると魚野川が作った谷沿いの道を下っていく。茂倉新道の登山口で最後の水を飲み切ってしまったので水分を摂りたいと考えていると鐘が置かれた広場がある。ザックを置いて休もうとすると道の反対側に水場がある。助かった…。水筒を満たして歩き始めるとプレハブが立ち、その脇に自動販売機があった。なんだ水を汲む必要はなかったのか。でも水は捨てずにジュースを買って、飲みながら土樽駅へ向かう。

JR上越線のガードと関越高速道を潜ると土樽駅の駅舎が見えてくる。舎内に入ると茂倉新道で見かけた外国人のカップルが電車を待っていた。時刻表を見てみるとどちらも次に来るのは18時台だ。ここでふと11年前のことを思い出した。やはり土樽駅に着いたときに次の電車が3時間待ちだったので、越後湯沢駅まで歩いたのだ。しかし今日はもうそんな時間も体力も無い。上下線とも同じ頃に到着するので越後湯沢に出るか水上へ出るか決めなければならない。ギリギリまで悩んだ結果水上行きに乗ることにした。ところがこの選択は最悪であった。高崎行きには順調に乗り継げたのだが、高崎に着く手前で前を行く電車が人身事故に遭ってしまったのだ。結局1時間遅れ、川越経由で家に着いた時には22時半を回ってしまったのだった。


(土樽駅 17時を過ぎると大分薄暗くなってきた この時既に小雨も降っていた)

DATA:
8:52水上駅(関越交通バス)9:32谷川岳ロープウェイ駅バス停・土合口駅(谷川岳ロープウェイ)天神平駅10:01→10:19天神峠分岐→10:40熊穴沢避難小屋→11:44肩の小屋→11:50谷川岳(トマノ耳 1963)→12:05オキノ耳(1977)→13:03一ノ倉岳(1974.1)13:09→13:28茂倉岳(1978)13:31→13:43茂倉岳避難小屋→14:14 1683m峰→14:48矢場ノ頭(1490)14:52→16:33茂倉新道登山口→17:13土樽駅

地形図 水上 茂倉岳

トイレ 土合口駅 茂倉岳避難小屋

交通機関 
西武新宿・池袋線 新所沢~池袋 346円
JR埼京線 池袋~赤羽 JR上越(高崎)線 赤羽~水上 3080円
関越交通 水上駅~谷川岳ロープウェイ駅 760円
谷川岳ロープウェイ~天神平 1250円
JR上越線 土樽~川越(高崎~大宮 新幹線利用 1870円) 3050円
西武新宿線 本川越~新所沢 242円

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