野老の里

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武蔵野の記憶 東川

2012年07月23日 | 武蔵野の記憶
(東川東部の農地)

所沢市内中心部から滝の城脇の柳瀬川へと流れ込む東川は所沢という名称の元になったと言われている。
野老(ところ)と呼ばれるヤマイモ科の植物の生える湿地帯だったところから所沢となり、
その沢は市内中心部を流れる東川と考えられているようだ(Wikipedia「所沢市」の項を参照)。
ボクの住む辺りは湿地帯とはかけ離れた乾いた農地が広がっている(近年近在の農家は水不足に悩まされている)が、
護岸工事が進む前の東川周辺は湿地帯だったのかもしれない。
埼玉県は江戸時代の頃までは大小の河川が氾濫を繰り返した所で、
平野部は湿地帯が多くあったようだ(「のぼうの城」の忍城などはその良い例だろう)。
護岸工事の進んだ現在、かつての武蔵野の記憶を辿ることは難しい。
ただ東川を挟んだ地域がかつて所沢の中心街として発展してきたことは確かだ。
所沢の移り変わりを見るにはなかなか良い所なのではないかと思う。
総延長12.6kmの東川を上流から下流へと向かって辿ってみることにしたい。

東川の源流は狭山湖(山口貯水池)であるとされている。だが源流部についてははっきりとしたことは分かっていない。
ネットを散見すると西武バスの大日堂バス停周辺が源流に近いとされているようだ。
そこで自宅から1時間ほどかけて大日堂バス停のある三ヶ島地区までやってきた。
三ヶ島は狭山丘陵の北に広がる台地で、周辺は農地が多い。
大日堂バス停からまずは南へ向かって住宅地を進む。
実は大日堂バス停に来るまでに東川らしき小川を渡っていたので、何となく見当はつく。
流石に川が流れているだけあってかなり下っていく。
やがて正面にこんもりとした雑木林が見えてくる。近寄ってみると八幡神社とある。
その神社の手前を流れる水路が東川らしい。ただあまり見栄えのする光景ではない。
境内はちょっとした高台にあって、裏手からは狭山丘陵の緩やかなスロープが広がってる。

(八幡神社からの眺め)

神社手前の水路は民家の敷地に引き込まれているため、これ以上の探索は困難なようだ。
神社の北をぐるりと迂回すると再び水路に行き当たるが、道路下を暗渠になって流れているらしい。
一応流れが来ているのではないかと思われる方向へ進むと、かなりの急な登り坂が現れる。
急坂を登りきると狭山湖を取り囲む湖畔道路に出る。
源流部は先ほどの暗渠になっている辺りということになるが、なんとも締まらない感じではある。

(湖岸道路からの眺め)

来た道を戻らずに北に延びる道を進むと埼玉県立芸術総合高校に出る。
高台に建つ高校の近辺からは所沢中心街を見下ろせるようだ。
一旦大きく南へ下り、元来た道を引き返す。八幡神社前に戻ってきた。
東川は東側へも民家の敷地を抜けていくので、ここでも迂回しながら流れを探す。
やがて板金か何かの工場前で水路に突き当たる。
東川はここからバス通りに差し掛かるまで、道路に沿って流れていく。

(高校脇の農地から)


(馬頭観音の碑と石仏)


(ここで東川に行き着く)


(東川脇の茶畑)

東川はバス通りを横切った後は農地の中を進んでいく。
農地へ踏み込むことはできないので、しばらくはバス通りを東へと進む。
すると北野天神社の看板が見えてくる。交通量の多い小手指へと向かう登り坂を進むと北野天神社だ。
祭神はもちろん菅原道真だが、それ以前からある古い神社だという。
所沢市内にある北野という地区の名称はこの北野天神社が由来となっている。
境内は所沢市内の神社としては広いほうだろう。

(北野天神社)


(北野地名由来の碑)


(ちょっとした舞台もある)

北野天神社を出て、更に北へ進む。東川を横切ると小手指元町の住宅街へと入る。
この辺りは本当に普通の住宅街で、川の両岸に住宅が建て込んでいる。
一箇所東川が見える所があるが、特に見るべきものはない。
調整池を最後に一旦東川からは離れ、国道463号バイパスに出る。
国道を東に進むと東川が再び見えてくる。川に沿った小道を進むと上新井の調整池が見えてくる。
東川では最も大きな調整池だ。

(小手指元町内の東川)


(調整池を過ぎるといくらか自然が残る)


(右手に見えるのが上新井調整池)

新所沢駅に向かう大きな道路を渡ると東川に沿うように道路が延びる。
この辺りは西所沢駅に近いため、住宅は結構建て込んでいる。
だが東川に沿った道路はクルマが入れないほどに細いので、思ったよりも静かな印象だ。
釣竿を持った子供たちを見掛けるなどのんびりとした時間が流れる。
だんだんと電車の走る音が近付く頃、両岸に樹の立つ橋が現れる。
橋を渡ると公園になっていて、その先には六所神社がある。
明治期に建てられた社殿とのことだが、その直ぐ脇を西武線が通り、そのギャップにやや困惑させられる。

(護岸に咲く花)


(細い道路が延びる クルマが入るのは困難だろう)


(六所神社近くの橋)


(六所神社)


(直ぐ側に西武池袋線が通る)


(六所神社近くの観音像)


(橋の上から)

西武線のガード下を抜けると川沿いの道路が広くなる。再び国道463号にぶつかる手前に何やら変わったお堂がある。
お堂の中には弘法大師が祀られている。これはこの近辺にある弘法の三ツ井戸に因んで建てられたものらしい。
国道は渡れないので、金山町の五差路(よく渋滞することで有名)から国道を渡り、更に東川を辿る。
東川沿いの道路は弘法の湯と書かれた煙突のある建物の辺りで行き止まりとなっている。
弘法の湯は見た目閉まっているように感じたのだが、ネットで検索すると現在でも営業中のようだ。
ボクが利用している新所沢駅周辺にもかつては銭湯があったのだが、中学に上がる頃には廃業してしまった。
だからこうして所沢にも昔ながらの銭湯が残っているを嬉しく思う。



(弘法大師のお堂)


(弘法の湯の煙突)

南に大きく迂回し、金山町の古い商店街を進む。
今では珍しくなったアーケードの残る商店街だが、シャッターを閉めている店も多い。
通りの向こうには今や所沢の新しい象徴ともなった巨大なタワーマンション群が聳え立つ。
アーケードの切れ目から路地に入ると東川の流れが見えてくる。川の脇には遊石山新光寺がある。
武蔵野三十三観音霊場として有名な所らしい。新光寺の前の通りは旧鎌倉街道となっていたようだ。

(新光寺)


(観音堂と石仏)


(旧鎌倉街道の石柱)

新光寺前から東川に沿って進むと峰の坂交差点へと続く交通量の多い車道に出る。
車道の向こうには旧市庁舎が見える。航空公園駅の近くに今の庁舎が出来てからはロータリークラブなどが入っていた。
ボクは日商簿記の試験で訪れたことがあるが、確かに古い役所の雰囲気を残す建物であった。
現在は南に下った交差点脇に出来た真新しい建物にロータリークラブが移り、旧市庁舎は使われていないようだ。
車道を横切ると直ぐ近くに所澤神明社がある。
市民には神明神社として親しまれ、ボクも七五三のお宮参りに訪れた記憶がある。
初詣の時には甘酒の出店も出る石段を登ると大きな社殿の前に出る。
社務所に人も常駐し、市内の神社としては最も立派な所だと思う。
風鈴が吊るされ、風流な音を奏でている。

(旧市庁舎)


(神明神社の石段)


(社殿前)

神明社前の道路を抜けると旧市庁舎の脇に出る。
東川は住宅地の中を突っ切っているので、しばらくは東川から離れて進む。
旧市庁舎前の道路(交通量が多いので要注意)を横切り、向かいの道を進むと深井醤油店がある。
本来は醤油屋さんなのだが、現在はたまり漬のほうが有名になってしまっている(所沢西武の地下にも店がある)。
丁字路を右に進むと商店が数軒建つ通りに出る。この辺りの雰囲気は結構好きだ。
クランク状になった道路を進めば東川に出合う。東川の上は御幸町の市営駐車場となっている。
東川は暗渠となる所が少ないので、こういう利用のされ方は珍しい。
駐車場の先には西武新宿線のガードが見えてくる。

(深井醤油)


(クランク状の道 白いガードレールの辺りが東川)


(西武線のガード なお航空公園へ向かう道は飛行機新道と名付けられている)

航空公園へは向かわずにそのまま東川沿いの道路へ入る。この通りは東川桜通りと名付けられ、桜の名所となっている。
所沢市民にとって東川といえば、この東川桜通りを指すと考えていい。
新東橋(所沢陸橋通り)までは一車線の細い道路が続くので、クルマには十分気を付けたい。
緑濃い桜並木を進むと左手に熊野神社がある。全国にある熊野三山の祭神を祀ったあの熊野神社の一つである。
直ぐ側に弓道場が設けられ、土日には袴姿に弓を携えた利用者の姿を多く見掛ける。

(熊野神社)

(東川桜通り)


(開花期の様子)


(東川 水鳥の姿を見掛けることも多いのだが)

交通量の多い新東橋を過ぎると東川は大きく蛇行する。
加美橋までは車道が両岸に付けられている。
そこから先右岸はクルマが行き交う車道、左岸はフェンスの付けられた歩道になっている。
歩道の入口は狭いので、自転車を乗り入れるのも難しい。
一旦次の中橋まで車道を走り、中橋から歩道に入る。
歩道は民家あるいは畑の直ぐ側にあるので、少々居心地の悪さも感じる。
フェンス向こうの川の様子は覗い難いのだが、牛沼から松郷にかけては武蔵野の原風景を思わせる光景が続く。
所沢の中心街から外れれば、畑と雑木林が広がる光景は市民にとって日常なのだ。
川向こうの右岸に建つ巨大なマンションに住む者ですら、左岸の光景を眺めながら暮らしているのだから。



(蛇行する東川)


(左岸の歩道)


(東川にいた水鳥)


(所沢名産の里芋 背後には茶畑も見える)


(親水公園のようになっている所もある)

弘法橋を過ぎると一旦フェンスが途切れるが、歩道は依然として続く。
広い農地を進むと牛舎が見えてきた。鼻をつく独特のにおいが漂ってくる。
かつて住んでいた共同住宅は夏場になると肥料の臭いが流れ込んできて、窓を開けては寝られないほどであった。
あの肥料の臭いと同じ臭いがするにもかかわらず、今はそれほど嫌なにおいだとは感じない。
山を歩くようになって自然のにおいに慣れてきたのか、あるいは歳をとって鼻が鈍くなったのか。
この牛舎のある辺りから新郷までが、東川の歩道で最も開けた所だ。
所々浄水施設や松郷の工業団地などによって歩道は途切れ、柳瀬小・中学校の前で単なる藪道と化す。
この先は所沢ICなどに掛かり、歩きであっても川沿いに進むことは困難となる。
そこで柳瀬川へ行き、東川との合流点を探ることにする。

(牛舎)


(広がる農地)

柳瀬川に出るには前回行った滝の城へ行くのが最もわかりやすい。
古びた道標に従い、雑木林の中、砂利と水溜りが邪魔する悪路を進む。徒歩だとかなり難儀するだろう。
雑木林を抜け、坂を登り切ると城地区の農地に出る。
道なりに進めば、交通量の多いバス通りに出る。前回紹介した城バス停も直ぐ側だ。
ここからバス通りに沿って東川にぶつかる所まで下ってみたが、
川沿いは倉庫の敷地に阻まれ、やはり進むことはできない。
関越自動車道まで戻り、脇の側道から滝の城址公園へと下る。

(高速道路脇の滝の城址公園の看板)

柳瀬川へ向かって下っていくと公園の駐車場がある。
フェンスの切れ目から柳瀬川の左岸に出られるが、その先東川への合流点までは倉庫の敷地に阻まれる。
ここを抜けるのは断念し、公園を抜けて右岸へと渡る。
右岸は東京都清瀬市でこちら側も運動場などに整備されている。
川沿いに道路が付けられ、高速道路にぶつかる手前で歩道に変わる。
頭がぶつかりそうになりながら橋を潜ると河川敷が広がる。東川では見掛けることのなかった光景だ。
住宅地を流れる東川には河川敷を広げる余裕はなく、洪水対策として地下水道が設けられているのだ。
橋を潜った次の橋の側に東川の合流点がある。橋のたもとまで歩道を進み、川を振り返る。
河川敷を持つ柳瀬川にコンクリートで護岸された東川が流れ込む。ここが東川の終点だ。
この川の流れは新河岸川・荒川に合流し、最後には東京湾へと行き着くのだ。
柳瀬川との合流点には釣り人が糸を垂らしている。川が遊びの場なのは今も昔も変わらない。

(柳瀬川左岸の様子)


(東川合流点)


(奥の雑木林が滝の城)

帰りは左岸へ戻り、柳瀬川沿いに東所沢駅を目指して、自転車を走らせる。
城地区の農地の中を緩やかに登っていく。対岸に見えるのは下宿・中里の団地群。
川向こうはやはり東京なのだなと感じつつ、家路を急いだ。

(城地区の農地から下宿辺りの団地を眺める)

DATA:
西武バス 八幡神社  小手指駅南口~早稲田大学・宮寺西・金子駅入口 大日堂下車 徒歩5分
           なお狭山湖岸道路まで行くのであれば徒歩25分程度は見ておきたい

      北野天神社 小手指駅南口~大六天循環あるいは宮寺西・金子駅入口 北野天神前下車 徒歩3分
            なお早稲田大学行きは北野天神前を通りません

      東川桜通り 所沢駅東口~航空公園駅 新東橋下車
            所沢駅西口あるいは航空公園駅から西武線ガード下まで徒歩なら20分程度

      東川合流点 所沢駅東口~志木駅南口 城下車 徒歩20分

地形図 所沢 志木

八幡神社から東川合流点まで歩いた場合、おそらく5~6時間掛かると思います。

     

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
緑が多い (saitama-k)
2015-10-21 09:44:54
子供夫婦が所沢市内に住んでおりますが、周辺は緑が多いですね
返信する
コメントありがとうございます (tokoro)
2015-10-21 20:44:06
西武線が通っていなかったら、もっと所沢は田舎だったんじゃないでしょうか。中心街を外れると畑か雑木林というのが所沢の特徴ですね。
返信する

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