ホットミルクに砂糖を入れて

某学校で教師をしつつ、鍵盤弾きとして作編曲や演奏活動をする、東京生活17年目、道産子・まつけんのブログ。

簡単に手に入るものは、その程度の価値に過ぎない。

2012-05-06 11:30:23 | Weblog
昨日、LittleLuckの活動場所へ向かう途中のバスで。
こんな親子を見かけました。

小さなバイオリンを持つ母親と、小学校低学年くらいの男の子。
2人が俺の後ろの席に座るなり、

母「はぁ。こんなに気分が悪いのははじめてだわ。」
子「なんで?ねぇ、なんで?」
母「…」(バスが動く音により聞き取れない)
しばらく経って
子「だって、できないものはできない。仕方ないんだよ。」
母「ママはできないことを怒ってるわけじゃないの。できないのに投げ出すのはどうかって思ってるの。」
子「できないならできないでいいよ。」
母「まわりを見てごらん?○○くんは頑張ってるのに、なんで(子)は頑張れないの?」
子「もう、なんでそうやって言うの?もう、ヤダ!」

レッスン帰りだったようです。

この会話を聞いたら、いろんな考えが出ると思うんです。
最近読んでいるスラムダンクの安西先生なら、
「あきらめたらそこで試合終了ですよ。」
と言うだろうし。
その逆で、
「あきらめも肝心。」
という人もいると思う。

俺はどちらも正解だと思うんです。
ただ、選択肢は子どもにあるわけで。
最終決断は子どもに託す。
でも、託すまでの間に、大人はいろんな可能性を示してあげるべきだとは思うんです。

ところで最近、イイ意味で素直、悪い意味で言いなりになる子どもが増えてきていると感じます。
彼、彼女らは、自分の考えを持ってないことが多い。
持っていても、表出することができないから、ストレスになる。
やがて爆発する。

こちらを選んだら、こうなるだろう。
そちらを選んだら、そうなるだろう。

もし、選択肢に関する何らかの経験があれば、自分で選べるだろうし。
経験が無い子には、できれば経験させればいいだろうし。
経験させる時間やチャンスが無ければ、大人が経験したことをヒントとして与えればいいだろう。

「○○しなければならない」
ではなく、
「○○したらこうなるだろう。○○したらそうなるだろう。さて、どうする?」

そりゃあ、全部が全部、そうすればいいわけじゃない。
でも、明らかに答えが1つじゃない場合。
そういう向き合い方も必要なんじゃないか?
と。

ここまで長々と書いてしまったのには、理由があります。
その少年と俺の過去が重なったから。

自分にはできない、とあきらめたら…
練習の時間もレッスンの時間も無くなって。
その分、友達とたっぷり遊べるよ!
好きなこともできるよ!
その代わり、自分の中で輝くものが1つ無くなるよ。

もしあきらめなかったら…
苦しいし、大変なこともあるよ。
泣きたくなること、逃げ出したくなることもあるよ。
その代わりに、できた時の喜びは誰にも味わえないような最高なものだよ!
バリバリ弾けるようになったら、いろんな人とつながれるし、いろんな人を笑顔にできるよ!

俺は、だから音楽に関しては後者を選びました。

さあ、少年よ。
どちらを選ぶ…?