あなたは天皇陛下のお仕事をご存知でしょうか?
戦後のGHQの政策に拠り、神国日本はアメリカの属国化を余儀なくされました。
いわゆる大東亜戦争(教科書では第二次世界大戦と呼ばれています)で敗戦をした日本はドイツ、イタリアと共に敗戦国の扱いをされました。
今の国連が戦勝国連合であった事から、未だに日本は国連分担金は世界第二位なのに、常任理事国にすらなれず、理不尽な立場に置かれています。
私の見解としては「日本はまだ敗戦国の汚名を着せられている」「戦争は終わっていない」という事です。
日本人の国民性を鑑みたGHQのマッカーサーは、日本人の粘り強さや従順性の元が「天皇陛下」にあると見做しました。
何故なら彼らの合理的な考えでは、神道とは宗教で、その教祖が「天皇陛下」であると分析したのです。
確かに特攻隊で命をかけて敵を倒すという考えは、彼らには受け入れられない事だったでしょう。
それ故にアジアの中でも特異な位置にあった日本を「再教育」するために様々な手段を講じました。
その一つが「象徴天皇」という存在です。
神道の祭祀王である天皇を、海外の王族並みに陳腐なものに変貌させ、形骸化させる事を100年単位で仕組みました。
その最たるものが今上天皇の皇太子時代のバーニング夫人によるの「庶民化」教育です。
ジミーと呼ばれ、アメリカ的価値観(アメリカなど始まりが欧州の移民国家であり、歴史的なものも持ち合わせていない新興国家です。コロンブスがアメリカ大陸発見と歴史で習いますが、当然ですが先住民族はいました。「白人」が勝手に発見したとして、先住民を消し去り、アフリカから黒人を奴隷として労働力として連れてきて、現在の繁栄を築き上げました。要するに欧州の白人にとって、理想の新国家を作った好例だと考えれば良いでしょう)を植え付け、正田美智子と言うGHQの手先(あえて手先と書きます。詳細は自分で調べてください)を民間初の皇太子妃として、皇室に入内させました。
アメリカという国家の規範はキリスト教であり、正田美智子の廻りには全てカソリックやクリスチャンを配置しました。
天皇家の特殊な「神道の最高神官」と言う事を日本国民に教えずに、現在祭祀は「私的行為」扱いにされています。
私が何回も書きましたが、天皇陛下という存在は「悠久の国、倭から連なる、日本独自の伝統文化の継承者で、日本国民のために身を犠牲にして祈りを捧げる」祭祀王であり、それだからこそ、戦前の天皇陛下は日本人の指標のような存在であった訳です。
昭和天皇が何故威厳を持ち、国民に愛されていたかと言うと、大東亜戦争の敗戦と言う苦渋を舐めても、日本人の道徳観や価値観、勤労意欲や気質は変わらず敗戦から10年も経った頃にはすでに国家として驚異的な成長を続けました。
そこが他のアジア諸国との差です。
時代的には「三丁目の夕日」あたりから劇的な経済成長を成し遂げ、いざなみ景気などを経て、昭和39年の東京五輪を成功させ、新幹線という世界的に見ても未だに凄いと言われる超特急を運行し、昭和45年の大阪万国博覧会を成功させ、表面上では「戦後は終わった」となった訳です。
そして正田美智子さんのファッションや生き方が賛美され、民間初の皇太子妃ということで延々と持ち上げられ続けました。
端的に言えばGHQのウィルスである美智子さんを日本国民は、皇室でいじめ抜かれても、自分流を通した「近代女性の鑑」と言う稀代のヒロインとなった訳です。
その部分を表面上で見ると皇室の近代化だと言えますが、俯瞰した目で見ると「日本文化の象徴であった天皇家の伝統文化を壊し続けて来た悪女」でもあるのです。何故なら伝統や文化は決まり事を破った時点でその歴史は終わります。
平成になり、明仁皇太子と美智子皇太子妃は、天皇皇后になりました。
そして今平成29年になり、いつの間にか天皇が祭祀王であるという事を、日本人自身が忘れて来たと言うのが現状であると私は思います。
平成のマスメディアの左翼的思想と、現天皇皇后の左翼的思考が一致し、天皇は諸外国の要人と接見したり、公務と称して、イギリス王室のようにあちこちに趣き、お手振りをするのが仕事のように思わされてきたと思います。
その最たる醜い部分が東宮と雅子妃の婚姻であり、愛子さんの存在です。
私は東宮と雅子さんの出会いも、結婚も、出産も全て綿密に仕組んだ者がいると確信しています。
しかし日本の八百万の神はそれを許さなかったというのも紛れない事実です。
私は無神論者で特定の宗教に興味も関心もありませんが、超自然的な存在は否定しません。
神道とは日本人古来の道徳観、倫理観であり、宗教ですら無い、もっと原始的なアニミズムだと捉えています。
例えば古い山に行った時に名もない道祖神が祀られていても、拝みます。「日本が平和でありますように」と。
神社でお祭りがあったら心がうきうきしますし、どんな神社でもゴミを捨てたり、神社に傷をつけたりは出来ません。
ですから近年の謎の液体を撒くとか、建物に傷をつける行為そのものが「日本人的感性」では無いなと強く思います。
ある意味私の中に畏れという感覚があるからだと考えています。
それが日本人の感性なのだとも思います。卑下する訳でも自慢する訳でも無い特性。
自虐史観に凝り固まった人には生涯理解不能な事なのかも知れませんね。
皇室無関心派は「何で東宮と雅子さんの娘が天皇陛下になれないの?」と無邪気に考えるでしょう。
その答えはただ一つ、日本の伝統が男系男子が祭祀王で無ければいけないからです。
それは女性蔑視でも女性軽視でも無い、日本独自の伝統文化であるからです。
表向きには戦後70年以上語られなかった「祭祀」が天皇陛下の仕事であり、だからこそ敬愛される特別な存在で、皇国の悠久の歴史を繋いで来たのです。
現代的な価値観で変えてしまったら、それはもう伝統文化ですら無く、天皇が天皇である意義すら無くなるのです。
それを破壊しようとしているのが美智子皇后であり、今上なのです。
国体の破壊であり、日本独自のものが奪われてしまうのです。
愛子天皇が仮になされたら、一生独身であらねばならぬ一代限りの繋ぎの天皇にならなければいけないのです。
もしそうなれば「愛子さんの人権無視」と大騒ぎになるでしょうね。
しかし奇跡の神子、悠仁様が現在いらっしゃる事は紛れも無い事実です。
だからこそ日本国民は「愛子さんを天皇にしてはなりません」と声をあげなければいけません。
皇室は男系男子で紡ぐ事で皇室として成り立って来たのですから。
今回は非常に難しい事を主張するために、いつものニダ♪ニカ♪調では書いておりません。
池上彰のミスリードの誤ちを私の見解として述べさせて頂きました。
追記:unknownや名無し、他の投稿者とかぶる人の質問は一切受け付けません。あなたの異論に、私は簡単に反論が出来ますが、もし私に回答を希望なら、きちんとハンドルネームをつけて、自分の発言に責任を持って投稿してください。
今日の一言
天皇の本業は祭祀であり、豪華な暮らしを日本国民の税金から保証されているのはあくまでもその祭祀の対価である。彼らは王族でも貴族でも特権階級でも無い。「神道の長」の一族である事が天皇の存在意義である。