昨日の共同通信の美智子さん画像販売サイトを見て不思議に思った感想を書いていきます。赤い字が私の感想です。
1958年11月27日、皇室会議で皇太子妃に決まり、昭和天皇、香淳皇后へのあいさつのため皇居に向かわれる皇后さま=東京都品川区
手袋にふっくらスカートにショール。もうこの頃から美智子さんは女優だったのですね。足の位置も確実に意識したポーズです。このお姫様ファッションで、当時の可憐なお嬢様イメージを定着させるのに成功したのですね?
バイニング夫人と美智子さん初対面 小泉信三氏宅で初対面のバイニング夫人(右)と美智子さん=1959(昭和34)年4月6日
この日付がとても不思議なのですけれど。1959年(昭和34年)4月10日、皇太子明仁親王と成婚するのに、その4日前に何故かバイニング夫人に挨拶している美智子さん。GHQ派遣の家庭教師として明仁さんに教育を施していたのは1950年まで。要するに昭和25年。その直後にアメリカに帰国。それなのになんでその9年後に又来日しているのでしょう?ちなみにバイニング夫人は1969年にベトナム反戦デモで逮捕歴があります。それなのに1970年に著書でQuiet Pilgrimageというものを出しています。邦題が「天皇とわたし」 どこかで聞いたような題名ですね。タイの「王様と私」のパクリのような本でしょうか?いくら探してもこの書籍の翻訳本は見つかりませんでした。お金を出してまで買いたくないので図書館とかデーターベースを探したのですけれどね。翻訳者の秦という夫婦はバリバリの耶蘇信者です。
お二人仲むつまじく 1959(昭和34)年元日、ご成婚を控えた皇太子さまと正田美智子さん(現天皇ご夫妻)が東宮仮御所で仲むつまじくアルバムを手にされる写真が正月紙面を飾った。皇族以外から初めて選ばれた皇太子妃は国民から歓迎され「ミッチー・ブーム」を巻き起こす。4月10日の結婚中継を機に家庭へのテレビ普及は一気に進んだ。
これも実はマスコミ先行の嘘です。テレビの一般家庭の普及率ほぼ100%は昭和39年の東京五輪のときですよ。ミッチー・ブームでテレビ普及というのは出鱈目です。当時テレビと洗濯機はとても高価でした。液晶テレビの普及とよく似たグラフですよね?単にラジオからテレビへと変わっていった時期なだけです。月光仮面が大人気を博してテレビはあっという間に一般家庭に普及したのです。月光仮面の放送は昭和33年ですからミッチー・ブームは後付の嘘です。
「ジャパンタイムズ」 奉祝国民大会に出席された皇太子ご夫妻 キーワード:御成婚歓迎都民大会、奉祝国民大会、御成婚祝賀式典、皇太子(明仁)ご夫妻、皇太子(明仁親王)、明仁親王、皇太子妃、美智子さま=1959(昭和34)年4月16日、東京・神宮外苑
ええと奉祝国民大会って明治節のことだと私は今まで思ってました。4月10日に結婚式挙げてパレードまでしたのに、その数日後には奉祝国民大会ですか。主役の美智子さんの帽子が麦わら帽子のように見えるのは多分モノクロだからでしょうね。みんなきちんと手をおろしているのに美智子さんはショールを掴んでいますね。こういう皇室の格好って美智子さん以外であるのでしょうか?ご存知の方教えてください。
皇后、美智子 御内着帯、最近の美智子さま=1965(昭和40)年7月14日
この写真、絶対にモナリザを見て鏡で練習して神秘的な笑みを浮かべてると直感しました。モナリザの絵を反転させたものを置いておきますね。
満26歳のご誕生日を迎えられた美智子妃殿下 編み物をされる美智子妃=東宮御所=1960(昭和35)年10月19日
かぎ編み?なんで目も数えず横を見て編めるのでしょうね?うちの祖母はレース編みが得意で何枚も編んでいたのを覚えていますが目線を外すのは見たこともありません。そもそもこれ本当に編み上がったのですか?
美智子さま27歳の誕生日用 東宮御所の台所でレモンジュースを作る美智子さま=1961(昭和36)年
有名な東宮御所のエプロン写真、単にレモン絞っていただけなんですか?それでこのエプロン?レモンジュースなんてレモン絞り器さえあれば小学生でも作れますけれど?はちみつとかオリゴ糖入れて。嘘くさい宣伝写真だったのですね。これも。
御内着帯=1965(昭和40)年7月6日撮影
皇居で普通に歩いていてこんなシナを作る女性が、鬼の姑に虐められていたのですか?ハイヒールの位置も小首をかしげた感じもまんま日活映画のヒロイン気分なのでしょうね。
学習院幼稚園でひなまつり 父兄と唱歌を歌う美智子さま(右から3人目)=1965(昭和40)年3月3日
他の父兄の皆さんは、よくお医者さんにあるビニールのスリッパを履いているのに、美智子さんだけどう見てもバレエのトウシューズなんですけれど?それもモノクロだからそう見えるだけでしょうかね?室内なので土足でエプロンつけているとも思えません。
満31歳の誕生日を迎えられた美智子さま 東宮御所の庭の木登りをされる浩宮さまの成長ぶりをご覧になる美智子さま=1965(昭和40)年10月、東宮御所
普通の母親なら、息子がこんな事をしていたら叱りませんか?細い木の枝で危ないですし。なのにカメラを意識してポーズを取る着物姿の美智子さん。異様ですよ。
美智子さま、きょうお誕生日 37歳の誕生日を迎え、サルビアの咲く庭で紀宮さまのお相手をされる美智子さま=東宮御所、昭和46年10月18日
この写真、紀宮様が主役のはずなのに、美智子さん、又けったいなポーズで慈愛の母を演じてますね。盛り髪が異様。当時こんな髪型が流行っていました???
検索したら昭和30年台の新宿の夜の蝶がこういう盛り髪ですね。場末のクラブのちーママ臭する美智子さんの盛り髪です。
32歳になった美智子妃 32歳の誕生日を迎えた美智子さま。東宮御所の庭で礼宮さまとくつろぐ=1966(昭和41)年10月18日
これも上と同じ感想。子供の相手をする母親のポーズではありませんよね。このときもすごい盛り髪です。
美智子さま38歳の誕生日 1972年10月18日、38歳の誕生日を迎えられ、東宮御所の庭で、紀宮さまと一緒にギンナン拾いをされる美智子さま
これはツッコミどころ満載。ものすごく気張って着飾っているのに、ギンナン取りするというおかしな女性。ギンナンはかぶれるので絶対に手袋は必須ですし、臭いがきついのでこんなお召し物で取りません。大体このネックレスを何本も重ねた格好で、愛娘の服装は適当。漫画のサザエさんのワカメちゃんのような服を着せられていますよね。
紀宮さま7歳のお誕生日 花壇でスイセンの花を摘まれる紀宮さまと美智子さま=東宮御所
盛り髪から一転パーマヘアーになった美智子さん。相変わらず娘の誕生日なのにご自分だけ豪華な服を着てシナ作り。どこへの宣材写真ですか?大きなタータンチェックの襟元がグループサウンズの人みたいですね。
東京育成園ご視察 東京都世田谷区の養護施設「東京育成園」を視察される皇太子妃美智子さま=1966(昭和41)年3月18日、東京都世田谷区上馬
カラー写真が出てきた頃ですかねえ?昭和41年くらいだと。またまた「東京育成園」は耶蘇の孤児院ですよ。美智子さん。
真ん中が聖心女子大時代、舞台で聖母マリアを演じた美智子さん。要するに美智子さんは皇室に嫁いでからずっとキリスト教の布教に勤めていたわけですね?行く場所が全部キリスト教関係の施設。美智子さん、さすが出自不明の富美さんの娘。「大陸夫人」の愛娘は、尿もれ天皇をお育てになって。
普段自分の血脈なんて意識したことも無いけれど、よく考えると怖いですねえ。親の因果が子に報い。
因果応報だと思っておくことにしますね。自愛のみてこさん。