♪銀蝿ブンブン♪日本の危機ニダ♪

ヨン様と一緒♪で韓流ブログしてた通名トド子ニダ♪韓流の終焉であっちは放置したけれど♪新ブログはノンジャンルでやるニダ

美智子さんの加齢なお写真展

2018-12-28 00:08:13 | 日記

昨日の共同通信の美智子さん画像販売サイトを見て不思議に思った感想を書いていきます。赤い字が私の感想です。

1958年11月27日、皇室会議で皇太子妃に決まり、昭和天皇、香淳皇后へのあいさつのため皇居に向かわれる皇后さま=東京都品川区

手袋にふっくらスカートにショール。もうこの頃から美智子さんは女優だったのですね。足の位置も確実に意識したポーズです。このお姫様ファッションで、当時の可憐なお嬢様イメージを定着させるのに成功したのですね?

バイニング夫人と美智子さん初対面  小泉信三氏宅で初対面のバイニング夫人(右)と美智子さん=1959(昭和34)年4月6日

この日付がとても不思議なのですけれど。1959年(昭和34年)4月10日、皇太子明仁親王と成婚するのに、その4日前に何故かバイニング夫人に挨拶している美智子さん。GHQ派遣の家庭教師として明仁さんに教育を施していたのは1950年まで。要するに昭和25年。その直後にアメリカに帰国。それなのになんでその9年後に又来日しているのでしょう?ちなみにバイニング夫人は1969年にベトナム反戦デモで逮捕歴があります。それなのに1970年に著書でQuiet Pilgrimageというものを出しています。邦題が「天皇とわたし」 どこかで聞いたような題名ですね。タイの「王様と私」のパクリのような本でしょうか?いくら探してもこの書籍の翻訳本は見つかりませんでした。お金を出してまで買いたくないので図書館とかデーターベースを探したのですけれどね。翻訳者の秦という夫婦はバリバリの耶蘇信者です。

お二人仲むつまじく   1959(昭和34)年元日、ご成婚を控えた皇太子さまと正田美智子さん(現天皇ご夫妻)が東宮仮御所で仲むつまじくアルバムを手にされる写真が正月紙面を飾った。皇族以外から初めて選ばれた皇太子妃は国民から歓迎され「ミッチー・ブーム」を巻き起こす。4月10日の結婚中継を機に家庭へのテレビ普及は一気に進んだ。

これも実はマスコミ先行の嘘です。テレビの一般家庭の普及率ほぼ100%は昭和39年の東京五輪のときですよ。ミッチー・ブームでテレビ普及というのは出鱈目です。当時テレビと洗濯機はとても高価でした。液晶テレビの普及とよく似たグラフですよね?単にラジオからテレビへと変わっていった時期なだけです。月光仮面が大人気を博してテレビはあっという間に一般家庭に普及したのです。月光仮面の放送は昭和33年ですからミッチー・ブームは後付の嘘です。

「ジャパンタイムズ」 奉祝国民大会に出席された皇太子ご夫妻  キーワード:御成婚歓迎都民大会、奉祝国民大会、御成婚祝賀式典、皇太子(明仁)ご夫妻、皇太子(明仁親王)、明仁親王、皇太子妃、美智子さま=1959(昭和34)年4月16日、東京・神宮外苑

ええと奉祝国民大会って明治節のことだと私は今まで思ってました。4月10日に結婚式挙げてパレードまでしたのに、その数日後には奉祝国民大会ですか。主役の美智子さんの帽子が麦わら帽子のように見えるのは多分モノクロだからでしょうね。みんなきちんと手をおろしているのに美智子さんはショールを掴んでいますね。こういう皇室の格好って美智子さん以外であるのでしょうか?ご存知の方教えてください。

皇后、美智子  御内着帯、最近の美智子さま=1965(昭和40)年7月14日

この写真、絶対にモナリザを見て鏡で練習して神秘的な笑みを浮かべてると直感しました。モナリザの絵を反転させたものを置いておきますね。

満26歳のご誕生日を迎えられた美智子妃殿下  編み物をされる美智子妃=東宮御所=1960(昭和35)年10月19日

かぎ編み?なんで目も数えず横を見て編めるのでしょうね?うちの祖母はレース編みが得意で何枚も編んでいたのを覚えていますが目線を外すのは見たこともありません。そもそもこれ本当に編み上がったのですか?

美智子さま27歳の誕生日用  東宮御所の台所でレモンジュースを作る美智子さま=1961(昭和36)年

有名な東宮御所のエプロン写真、単にレモン絞っていただけなんですか?それでこのエプロン?レモンジュースなんてレモン絞り器さえあれば小学生でも作れますけれど?はちみつとかオリゴ糖入れて。嘘くさい宣伝写真だったのですね。これも。

御内着帯=1965(昭和40)年7月6日撮影

皇居で普通に歩いていてこんなシナを作る女性が、鬼の姑に虐められていたのですか?ハイヒールの位置も小首をかしげた感じもまんま日活映画のヒロイン気分なのでしょうね。

学習院幼稚園でひなまつり  父兄と唱歌を歌う美智子さま(右から3人目)=1965(昭和40)年3月3日

他の父兄の皆さんは、よくお医者さんにあるビニールのスリッパを履いているのに、美智子さんだけどう見てもバレエのトウシューズなんですけれど?それもモノクロだからそう見えるだけでしょうかね?室内なので土足でエプロンつけているとも思えません。

満31歳の誕生日を迎えられた美智子さま  東宮御所の庭の木登りをされる浩宮さまの成長ぶりをご覧になる美智子さま=1965(昭和40)年10月、東宮御所

普通の母親なら、息子がこんな事をしていたら叱りませんか?細い木の枝で危ないですし。なのにカメラを意識してポーズを取る着物姿の美智子さん。異様ですよ。

美智子さま、きょうお誕生日  37歳の誕生日を迎え、サルビアの咲く庭で紀宮さまのお相手をされる美智子さま=東宮御所、昭和46年10月18日

この写真、紀宮様が主役のはずなのに、美智子さん、又けったいなポーズで慈愛の母を演じてますね。盛り髪が異様。当時こんな髪型が流行っていました???

検索したら昭和30年台の新宿の夜の蝶がこういう盛り髪ですね。場末のクラブのちーママ臭する美智子さんの盛り髪です。

32歳になった美智子妃  32歳の誕生日を迎えた美智子さま。東宮御所の庭で礼宮さまとくつろぐ=1966(昭和41)年10月18日

これも上と同じ感想。子供の相手をする母親のポーズではありませんよね。このときもすごい盛り髪です。

美智子さま38歳の誕生日  1972年10月18日、38歳の誕生日を迎えられ、東宮御所の庭で、紀宮さまと一緒にギンナン拾いをされる美智子さま

これはツッコミどころ満載。ものすごく気張って着飾っているのに、ギンナン取りするというおかしな女性。ギンナンはかぶれるので絶対に手袋は必須ですし、臭いがきついのでこんなお召し物で取りません。大体このネックレスを何本も重ねた格好で、愛娘の服装は適当。漫画のサザエさんのワカメちゃんのような服を着せられていますよね。

紀宮さま7歳のお誕生日  花壇でスイセンの花を摘まれる紀宮さまと美智子さま=東宮御所

盛り髪から一転パーマヘアーになった美智子さん。相変わらず娘の誕生日なのにご自分だけ豪華な服を着てシナ作り。どこへの宣材写真ですか?大きなタータンチェックの襟元がグループサウンズの人みたいですね。

東京育成園ご視察  東京都世田谷区の養護施設「東京育成園」を視察される皇太子妃美智子さま=1966(昭和41)年3月18日、東京都世田谷区上馬

カラー写真が出てきた頃ですかねえ?昭和41年くらいだと。またまた「東京育成園」は耶蘇の孤児院ですよ。美智子さん。

真ん中が聖心女子大時代、舞台で聖母マリアを演じた美智子さん。要するに美智子さんは皇室に嫁いでからずっとキリスト教の布教に勤めていたわけですね?行く場所が全部キリスト教関係の施設。美智子さん、さすが出自不明の富美さんの娘。「大陸夫人」の愛娘は、尿もれ天皇をお育てになって。

普段自分の血脈なんて意識したことも無いけれど、よく考えると怖いですねえ。親の因果が子に報い。

因果応報だと思っておくことにしますね。自愛のみてこさん。


美智子さんへのノイズ(雑音)

2018-12-27 02:30:41 | 日記

美智子皇后陛下は臣民の声を雑音と言い切りました。

常に皇后陛下は「国母」という臭い演技を繰り返しています。

昭和の時代、香淳皇后が鬼の姑で「可愛そうな民間人のあたくし」を延々とアピールしていました。

昭和天皇は香淳皇后を広い心で愛していたというのは数々の写真から解ります。

控えめでふくよかな笑顔で、高貴な方は常に控えめでした。

香淳皇后が本当に美智子さんの言うような鬼の姑だったのでしょうか?

足を悪くされて杖を早い時期から使っていましたが、昭和天皇は自然に手を繋ぎ、まさに昭和の父母というイメージでした。

この頃の家族写真も大家族のほのぼのしたお写真ばかりです。

ごく普通の祖父母として孫を愛おしむ空気があります。

常陸宮様の表情も和やかですよね。

ここに美智子さんの里帰りの映像があります。

皇室 伊勢神宮ご参拝

3分10秒位から観てください。

美智子さんの流した「香淳皇后が鬼のような虐めをして実家にも行けない」なんて言うのは嘘です。

結婚してたった半月ほどで実家に里帰りしています。まともな嫁なら婚家の家風に馴染むまで里帰りなどしないのではありませんか?

香淳皇后が美智子さんを本当に虐めていたのですか?非常識で礼儀作法を知らない美智子さんを諌めることが虐めですか?

週刊新潮が2006年に出した記事ですが、その虐めを語っているのは橋本明です。私が以前記事に書いた今上の九官鳥の腰巾着です。何故部外者の橋本明がここまで詳細に「美智子さんへの虐め」を証言出来るのでしょう?単なる学友で皇居に勤務していた訳でもありません。

橋本明は亡くなるまでずっと今上陛下の九官鳥でした。今上のビデオジャックの直後にTBSの番組で「天皇陛下に残された仕事は韓国訪問だ」という発言をした爺です。その放送はyoutube上で全て消されていますが、ブログで書いている方がいますね。

橋本明の妄言は海外メディアで残されていました。こいつの酷い発言を是非お聞きください。相当酷い英語ですが、これで共同通信の記者ですよ?

【橋本明が斬る】ご学友が語る天皇の知られざる真実【Global Inside】

1分30秒からの発言を聞いてください。

香淳皇后が美智子さんをHATEしたと発言していますよ?HATEの意味は「酷く嫌う、憎悪する、差別する」というニュアンスの英語です。

美智子さんの昭和の虐められた伝説は「橋本明の捏造」なのではありませんか?

橋本明は共同通信の記者で、共同通信には美智子さんの弟の正田修の妻、大原泰子の姉が共同通信の社長になった犬養康彦の後妻で入り込んでいます。

つまり美智子さんに取っては共同通信は身内のようなものなんですよね。

だからメディアの情報を全て美智子さん賛辞に変えられたという訳です。

私はその因縁めいた事を陰謀論として綴ってはいません。事実、昭和のニュースメディアで美智子さんは宮中のイジメに健気に耐える女性という印象操作をしました。

ここに共同通信が販売している美智子さんの膨大な写真があります。

虐められているはずの美智子さんが浅丘ルリ子のようなポーズを取っているものばかりですよね?明らかにブロマイドのような写真ばかり。

どうやってこんなにプライベートのような写真を共同通信のカメラマンは収集出来たのでしょうね?

さて今週の週刊新潮は私の予想通り、秋篠宮バッシングでした。確実に美智子さん主導で来るだろうと予測していたことです。しかも吊り広告には美智子さんの写真だけありません。いつもの「あてくしは無関係ですの」ですね。

紀子様バッシングを確実に美智子さんが命令するだろうと私は確信してましたよ。

33億云々も美智子さんが「東宮御所に住みたい」という我欲で、秋篠宮家で要人の接待を行えないので建てる応接室であり、美智子さんが自分の欲望のままに好き放題している事による金額のことです。

皇嗣殿下として公務するのに現在の秋篠宮邸では無理だということなだけですよ?

何故引退するあなた方に東宮御所を使われなければならないのですか?何故使用人が現在のままで変わらないのですか?小さな隠居部屋にでもお住いになられるのが当然ではありませんか?

あと悠仁さまに学友がいないとかよく嘘を書けますね。帝王学など東宮は学んでもいません。帝王学とは特別な教育などではありません。天皇として最低限の常識を今上陛下もお持ちではありませんよね?学歴を糊塗しても所詮ハリボテです。

神道の最高神官として歴史や文化に触れて、人前で感情を吐露することなく真摯に「祈る」。日本の國體と臣民のために。

大御宝というのは日本国民のことですよ?私欲で動くような人を私は崇められません。美智子が、雅子が、愛子がと正直親子揃って相当頭が弱いとしか思えませんよ。

妻や子供に感謝するのは内々で行ってください。誕生日会見で言うのは単なる馬鹿です。どんなにあなたにとって良妻であろうが、身内のことを公に褒めるのは愚かです。

まず国民の事を語り、国民の幸せを願い祈ることが最前提なのではありませんか?

美智子さんが恐れている事をあえて言いましょう。

あなたは稀代の悪女で、中世なら磔獄門でさらし首にされていると思いますよ。マリー・アントワネットのようにギロチンにかけられて。

あなたが60年に渡って演じてきた慈愛仮面はすでに老醜で外れています。そのことに気がついた日本人はあなたを許さないでしょうね。あなたは決して聖母や国母ではありません。我欲に満ちた哀れな魔女です。いつまで国民を騙し続けるのですか?懺悔しても許されないことを貴女はしてきました。

どこまで秋篠宮家を傷つけるのですか?そんな事をしても東宮の評価は上がりません。

美智子さんが亡くなるまで私は観察し続けます。あなたの強烈な悪意を受けても。それが一日本人としての矜持です。

追記

あなたのような不敬だの道徳だのを持ち出す馬鹿はウンザリしています。あなた自身が日本人である証明をしてから文句を言いなさい。憶測で私は記事を書いていません。無記名で私を罵倒する貴方こそ恥を知るべきです。



東宮殿下のご心境♪ 

2018-12-26 15:45:54 | 日記

きょうの公務はつらかった
あとはシャンパンあおるだけ
どうせ、どうせ皇居の御所住まい
ほかにやる事ありゃしねえ

一人皇居で 飲む酒に
かえらぬ髪の毛 懐かしい
泣いて泣いて みたってなんになる
今じゃ皇居が ふるさとよ

撮影終われば それっきり
お手振りトリオの おれ達さ
いいさいいさ 雅子の馬鹿笑い
世間うらんで なんになる

人は雅子を 悪く言う
だけど俺達 いなくなりゃ
ばっち公務も愛子も出来ゃしねえ
誰も解っちゃ くれねえか

だけど俺達ゃ 泣かないぜ
静養皆勤の 元号が
きっときっと 来るさ来年に
その日にゃ漏らそうぜうれしション

私、岡林信康さんのかなり遅れたファンで、今はなき新宿厚生年金会館で、エンヤトットでDancing路線でコンサートしてたとき観に行って衝撃受けてベストアルバムを買い漁りました。一番好きな曲はモンゴル草原で「歌祭り」に入っています。哀愁を帯びた声で天才シンガーソングライターだと私が思う一人です。岡林さん、ごめんなさい。名曲の山谷ブルースを、東宮の替え歌にしてしまって。

東宮や雅子さんに謝る気は一切ございません。来年本当にこいつら即位するの?と未だに半信半疑です。

八百万の神よ。日本を護り給え。


聖夜なので美智子さん不思議ポーズ写真ニダ♪

2018-12-25 23:28:43 | 日記

どういうシチュエーションならこんな不思議なポーズで写真を撮られるニカ?

昔の少女漫画の扉みたいなポーズニダ♪

これは露骨に「慈愛のアテクシ」アピール♪ マリア像によくこういうモチーフの絵画があるニダね♪

定番の花を抱えた少女のイメージ♪ 思慮深い顔してモナリザのような笑みを浮かべるのが皿婆流儀♪

着物の私を見てみてミテコってあまりにカメラを意識し過ぎでお前は女優かいと伝えたいニダね♪

指先のポーズまで細かく計算♪ 内藤ルネの絵のような不思議なお手手♪

 

バブリーダンスのコスプレみたいな素敵な黄色♪ このままお皿さんにはフランスに一人で行ってきていただきたいニダね♪

雅子卑とあんまり変わらない馬鹿笑い♪左手に何を保ってるニカ?籐のカゴにしては大きすぎるし、腰のリボンがものすごく変ニダ♪

相手の視線を意識しつつ、さも可憐なようにポーズをとる計算高いお皿さん♪ なんか今上のねっとり視線が気持ち悪い

もっとたくさん皿婆の奇妙な写真が現存するのに、なんで現代のキム小室と眞子さんの写真が無いニカ?

教えて♪ ミテコさん

皆様、聖夜は良い夢を見てくださいませ♪ 来年は悪夢の改元がある予定ですから♪


美智子さんが昭和30年に二位になった作文を読んでみましょう。

2018-12-24 23:24:13 | 日記

昭和30年1月15日讀賣新聞 成人の日記念感想文入選作品「はたちのねがい」

二位入選『虫くいのリンゴではない』正田美智子 より

 

 成人の日を前にして、過去二十年の私の足どりを静かに顧みる時、私の脳裏には、 ある老人の語られた言葉が強くよみがえって来るのです。

「不安な、よりどころのない環境から、貴女達年齢の者に共通した性格が生れて来ている」

 

 世間ではいわゆる「アプレ気質」で通っている私達に共通した性格、それは他の多くの人からも聞くことなのですが、私達年齢の者が二種に大別される--つまり感受性の強い 小学校五、六年のころを、変転の激しい不安な環境の中に過ごした結果、ある者は極端に 空想世界へと逃避し、他はあまりにも現実を見つめすぎる傾向が強いというのです。

 

前者は実生活に立脚した夢を忘れ、後者は非現実の存在すら認めようとしない、つまり、その中庸をとって夢を抱きつつ、しかも、それを実現させようと努力する 人間が少ないという事でしょう。

 

ギャング映画の主人公に魅せられて強盗を働いた、こんなのは前者の極端な例です。 また、ちょっとした過失から後先見ずに自殺を企てるなどは後者の例と思われます。

「この世界はリンゴの実のようだ」とハーディーの書いたテスはいっています。 「虫のついた実とついてない実と…」そして、自分は虫食いのリンゴの中に 生まれついたのだといっています。

 

 この二、三年、私達の経て来たさまざまな体験を思い返して見るごとに、 私がはとかく自分もテス同様、虫食いの世界に生まれて来たのだと投げやりな 気持で考えがちでした。いいかえればいくら夢にむかって努力した所で、あの恵まれなかった 過去から急に明るい未来が生れ得るものではないと信じていたのです。

 

 しかし成人の日を迎えるに当り私はもう一度、自分に聞いてみようと思う。

「私達が困難な時代に生れて来たことは確かだ。 しかし私達はこれを十九世紀の宿命論者のように全くの運命としてあきらめきってしまうべきなのだろうか。そして戦争で背負わされた多くのハンディキャップをいつまでも宿命として負って行って良いのだろうか」と。

 

 もし、この答が「イエス」であったなら、そしてもし私達すべてが、自分は宿命的に不運な世界に生れついたのだと、考えて投げやりな生活を送ったとしたなら、私達の時代が来た時、それが暗たんたるものである事だけは間違いありません。

 

 私の“はたちのねがい”―それは私達年齢の人々が過去の生活から暗い未来を予想するのを止め、未来に明るい夢を託して生きる事です。それは同時に、現在を常に生活の変り目として忠実に生きる事でもありましょう。現在は過去から未来へと運命の道を流れていく過程の一つではなく、 現在を如何に生きるかによって、さまざまな明日が生れて来る事を信じようと思います。

 

 あるフランスの詩人が「生きているというのは少しずつ新しく生れて行く事だ」という意味の言葉を言っています。そして、これを私は成人の日を迎える私共の深く味わうべき言葉だと思うのです。自分の力で常に新しい自己と未来を生み出して行く、そして次に生れて来る未来を息をひそめて待つという生き生きした期待にと毎日を生きたいと思います。

美智子さんの作文を私が紐解いて見せましょう。技巧的に作文に慣れていて、こう書けば、審査員が選ぶであろうという事を心得た上で、この作文を書いているのが透けて見えます。

まず「アプレ気質」というのは戦後の流行語です。フランス語の「アプレゲール」や「アプレ」という言葉から来たもので、意味は「戦後」なのですが、日本では退廃的な人を指します。雅子さんの世代だと「新人類」なんて言う言葉が流行ったはずです。その流行語を冒頭に入れつつ、戦争のあとに二手に性格が分かれるという分析をしています。

こういう分析系はこの作文の主催である「讀賣新聞」が何度も社説などに用いていたので、そこでまず点数稼ぎですね。

『はたちのねがい』という主題に真逆に読めるように陰々滅々とした事を書くのも、文章上の技巧です。

私も美智子さんと同じような技巧だけを駆使した「21世紀のわたし」が主題の出版社の小論文に応募して入選したことがありますが、やはり美智子さんと同じように暗い世紀末の事を書きつつ、希望の種を植えて云々なんて事を書きましたね。16歳でしたけれど。冒頭に「人生とは白いキャンパスにそれぞれの色を塗って描き上げる」とかむず痒くなるような美辞麗句を書き連ねて、実際には全く思ってもいないことを白々しく展開したのを覚えています。美智子さんは投稿少女だったらしですけれど、いかにも審査員の目に留まるような語彙を用いている、良く言えば技巧、悪く言えばゴマすりを書いてますね。笑ってしまいます。

おもむろに出てくるハーディの書いたテスというのは、イギリスの作家のトマス・ハーディで「ダーバヴィル家のテス」という小説の主人公ですが、あらすじを書いただけでも暗く陰鬱な作品です。果たしてこんな暗い小説を20歳の美智子さんが本当に読んだのかは疑問ですけれど。男に翻弄され妊娠し、不幸のどん底に陥るテスは最後は死刑になるというものです。

ですます調で書いているのに「しかし成人の日を迎えるに当り私はもう一度、自分に聞いてみようと思う。」と書いてる辺りがいかにも美智子さんらしいところです。「聞いてみようと思います」ではなく「思う」という言い切り。

フランスの詩人というのはビクトル・ユーゴーのことだと思いますが「生きているというのは少しずつ新しく生れて行く事だ」というフレーズは実は色々な詩人の詩に用いられています。谷川俊太郎の「生きる」という詩もそれがモチーフだと思います。おそらくキリスト教的なものに出てくる有名な言葉では無いかと思いますけれどね。

結びの部分の「自分の力で常に新しい自己と未来を生み出して行く、そして次に生れて来る未来を息をひそめて待つという生き生きした期待にと毎日を生きたいと思います。」などのくどくどしい書き方は現在の美智子さんに通じるような言い回しですね。

もっと装飾を付けずに簡潔に書いたら伝わりやすいのにと思う、美智子さん文章です。

要は「自分自身で新しい未来を生み出していく。そして次世代に生まれてくるだろう未来に期待し、毎日を生きたい」という意味でしょうけれど、美智子さん流だとこういう書き方になるのですね。

先日の誕生日会見文章も作家名を出したり、まくわうりを出したり、比喩的な表現を好まれるのでしょうね。あたくしは知識が豊富ですのというおごりが見えてますけれどね。

回りくどい文章は美智子さんの得意とするところで、昨日の今上陛下の誕生日文章もほぼ間違いなく美智子さんが書いたものでしょうね。言い回しに独特の癖があることを本人は気がついていないのかもしれません。「生前譲位」をやたら繰り返す部分も、いかにも美智子さんらしい「言い訳」だなあと思いますよ。

渡辺みどりという、美智子さんの腰巾着がこの作文のエピソードを書いています。「読売新聞2月5日によれば、正田美智子さんは賞金のうち1000円を読売新聞に寄託し、恵まれない人に、もう1000円を聖心の奨学資金に寄付され、マザー・ブリットを感激させたといいます。」

いくら調べても讀賣新聞の公募の賞金が2千円だったということは渡辺みどりの著書にしか出てきません。

こういう作文や小論文の一般公募で賞金なんて出たかなあ?という疑問はありますね。私が学生時代に賞を頂いたときは賞金なんてなく、記念の粗品とか旅行券だったような気がしますけれど。

昭和30年で2000円はどの程度かと言うと、公務員の初任給が9000円だったそうですから、今だと18万円として20倍くらい?現在の金額に換算して4万円くらいのようですね。

2万円ずつ、新聞社と聖心に寄付してって、別に大した金額でも無いようですね。

どうしたらこんなポーズをカメラに向かって出来るのでしょうね?日活の浅丘ルリ子みたいなポーズ。

 

 

そんな慈愛に溢れていたらしい美智子さんが老醜を晒し、キリスト教に傾倒し、神道の家を耶蘇に塗り替えていく稀代の悪女になるなんて思いもしませんでしたよ。神道の伝統をことごとく破壊して、私利私欲のために上皇后になられるとか。

やはり20歳の当時から変わっていないのですね。お気持ちだけは。

今上陛下に「美智子、美智子、美智子」を連呼させてお幸せでしょうね。さすがです。自愛仮面の美智子さんは。

 追記:あんなさんとやらへ。同じコメントを延々と投稿されても困ります。誰が書いているかも知らないで連投しないでください。