2008年12月20日--、ついに『続・働く理由』が発売された。「はじめに」を紹介する。
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はじめに
「何のために働くのか?」--こう聞かれたとき、「食べるために働く」あるいは「欲しい物を買うために働く」と何の迷いもなく言えた時代があった。
しかし、今の日本において、これらふたつの答えは十分な説得力を持たない。というのも、よほどのことがないかぎり、食事や服や住まいに困るほど貧窮することはないし、欲しい物だって、自分の生活レベルにあったものを手に入れることで、多くの人は、ほどほどの満足を得ているはずだ。そこで私たちは再び問われる--「じゃあ私たちは何のために働くのか?」と。
ざっくり言えば、[働く理由]=[お金]+[やりがい]と表現できる。[お金]とは食べるためと言い換えてもいい。お金を稼いで必要な衣食住を確保するという意味である。[やりがい]とは[お金]以外の働く理由である。ここでは取りあえず「働いていることに意義や喜びを見出して感じる、心の張りあい」というぐらいにしておく。
[お金]と[やりがい]のどちらに重点が置かれるかは時代状況によって違ってくる。貧しい時代、人々の関心は圧倒的に[お金]にあった。とにもかくにも食べていくだけで精一杯、[やりがい]なんてものは二の次だった。貧しい社会から豊かな社会に移行するにつれて、[お金]の〝地位〟は下がり、相対的に[やりがい]の〝地位〟は上がった。
ここで問題なのは、[お金]に比べて[やりがい]という概念が分かりにくいということだ。分かりにくいが故に[働く理由]の一要素としては存在感がどうしても薄い。だけど、存在感が薄いからといって重要度が小さいわけではない。その重要度はものすごく大きい。なぜならば、人は生きるために食べるのであって、食べるために生きているわけではないからだ。
[お金]の存在感が薄れてしまった今となっては、[やりがい]にもっとがんばってもらわないといけない。そうでないと[働く理由]が萎んでしまう。これはまずい。世の中を根底で支えているのは人々の仕事である。
人は直感的に知っている。自分が自分であるためには働く必要があることを。ヒト(生物)ではなく人間であるためには、働く必要があるということを。だから、ほとんどの人は働くことを欲している。そして、働きたいと欲する自分の心の中のマグマ、すなわちお金以外の[働く理由]をはっきりつかみたいと思っている。だけどそれをつかむのは簡単ではない。
これは個人に限った話ではない。会社も[働く理由]が分からなくなっている。会社の[働く理由]とは会社の存在理由である。
数年前「お金儲けをすることが悪いんですか」という言葉が話題になった。たしかにお金を儲けることは、それが手段である限りにおいては悪いことではない。しかし、動機も目的もお金儲けであるのはよいこととはいえない。
本来、お金を稼ぐことや物資的な豊かさを求めること手段的な価値にすぎず、他の目的価値に奉仕する立場にあるものだ。よって、企業でさえ、儲けることは最高の価値にはなりえない。もしもこれが最高の価値になってしまえば、お金を儲けるためには何をやってもいいことになる。そして、動機も目的も事業そのものも何かもかもがお金儲けであるところの「お金儲けをするためにお金儲けをする」というビジネスモデルが世の中で幅をきかせることになる。だから、会社も個人と同様、[やりがい]について考えないといけない。
本書の狙いは、働くことを[やりがい]という視点から整理することにある。これは、働くという行為はお金を稼ぐための手段ではないという考え方のもと、働くことを生きることの一部として考えるというスタンスをとり、そこから仕事について考えを深めていきたい。
[お金]は動物的であり、[やりがい]は人間的である。[お金]は量的概念である物資的豊かさに、[やりがい]は質的概念である関係の豊かさ(心の豊かさ)に対応する。働くことを[お金]視点で捉えればそれは労働であり、「辛いか辛くないか」が主題になる。一方、働くことを[やりがい]視点でとらえればそれは仕事であり、「面白いか面白くないか」が主題になる。こんな対立軸に沿って[やりがい]について考えはじめると、話は仕事論にとどまることなく、幸福論や人生論にまで広がっていく。
何だか大変なことになってきた、そんなことは私にできそうもない、と思うかもしれない。しかし、飢えを克服した豊かな社会に生きている人間の宿命である、動物ではなく人間に生まれてしまった宿命である--やるしかない。これを義務だと考えれば気が重くなる。しかし、欲望と考えれば気分は軽い。やらないよりもやったほうが絶対に面白い。これは保証する。
私たちは残念ながらというか、幸いなことにというか、動物ではなくて人間として生まれ、いま生きている。だから、ぼんやりと生活して、食べたり寝たりしているだけでは、やっぱりつまんないのである。
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私たちが生きていて一番つらいのは、苦しみがあることではなく、
苦しみに耐えるための意味や理由が見いだせないことだ。
ニーチェ(哲学者)
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本書の中をぱらぱらと眺めて欲しい。すると、至るところに「つながり」や「関係」という言葉が出てくるのに気がつくだろう。これが本書のキーワードである。
人間は、他者と「つながりたい」という欲望を持った存在である。なぜならば、人間は自分で自分の存在を証明することはできず、他者との交流を通じて得られる他者からの承認によってしか自分の存在を証明する手だてを持たないからだ。
この場合の他者とは同時代に生きている人間だけを意味しない。既になくなってしまった人やまだ見ぬ未来の人も含まれている。人間だけでなく、いま地球上で生きているすべての動植物も含まれている。「つながりたい」という思いは時間的、空間的な広がりを持っている。
私たち人間は歴史の中にあり、社会の中にある。歴史の中に自分を見出すこと、社会の中に自分を見出すことは、〈世界〉とのつながりを感じることである。その橋渡しをするのが仕事である。〈自分〉と〈世界〉をつなぐチカラを「仕事」は持っている。「仕事」で〈自分〉と〈世界〉がつながるということは、歴史や社会の中に自分の役割を見つけることだ。役割は責任感を生み出し、責任感は生きる意欲につながる。
「お金を稼ぐ」という以外の働く理由とは何なのか? これを問うことは、豊かな社会とは何なのか、人間らしい生活とは何なのか、人生の意味とは何なのかを問うことである。そして、それは〈世界〉を経済一辺倒で見るのではなく、もっと多様な視点で〈世界〉を見て関わることである。そんな広い視点から今の自分の仕事を見直し、そういう自分の仕事が織りなして出来上がっている世の中の姿を問い直したいと考えている、すべての人にこの本を贈りたい。
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