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フロリダ半島日記―タトゥー(入れ墨)文化

2012-09-22 19:23:05 | 日記
朝、郵便局の帰り道、コーヒー店“スターバックス”に寄った。朝は通勤客などが、急いであたふたとコーヒーを買って会社に向かうようで、どこの“スターバックス”もにぎわっています。二人用のテーブルに腰掛けて一人でコーヒーを飲んでいました。三人の若い女性が私の前のテーブルに座ろうとしていました。店内はあまり広くなくて椅子もテーブルも密着しています。その一人が私のテーブルの空いている椅子を少し押しながら自分の席に着こうとしました。その時、“ちょっとすみません。ここは誰も座っていないようですので、(この椅子を)引いてもいいでしょうか?”と私に尋ねる。今時のアメリカの若い娘にしては笑顔が印象的で礼儀正しくて感心しました。と、その娘が背を丸めると背中に鮮烈に彫られたタトゥー(入れ墨)が見えました。このようなことは今、アメリカでは日常茶飯事なのです。店で買い物をすればレシート(受け取り)を渡す女性や男性の手にもタトゥー(入れ墨)があることが多いのです。足一面に世界地図を描いたり、漢字を彫ったのもあります。中には“負け犬”と彫る人もいるようです。知人の息子は“ワル”で数ヶ月牢屋にいました。牢屋ではやることもなかったようで、囚人たち同士で自家製のタトゥー(入れ墨)をしたようです。“マザー。(母親)マザー(母親)”と首の周りにしていました。
映画に“パピヨン”というのがありました。1931年に、胸にチョウチョ(蝶)の入れ墨をしているので “(フランス語で)パピヨン”と呼ばれた男がいました。そのパピヨンは無実の罪で終身刑となり、フランスを追放され、フランス領ギアナのデビルズ島で過酷な強制労働が科せられるけれども脱出するストーリーでした。
この町にも多くのタトゥー(入れ墨)店があって観光客はテーマパークにやってきた記念に気軽に彫っていくようです。特に、イギリスには伝統的に水兵たちがタトゥー好きのようで、たぶんそのような観光客でしょう。ある夜、ある用件でタトゥー店の傍へ行ったことがありました。1台の小型トラックがその店の前に止まっていました。小さい子供が3人ほどトラックの荷台で遊んでいます。母親も傍にいます。1時間ほどしてそこを通るとまだ母親と子供たちがいます。わかったことはタトゥー(入れ墨)店で働いている父親を待っているようなのです。タトゥー(入れ墨)を施す人をアメリカではアーティスト(芸術家)と呼ぶのです。確かにデッサンから入墨など芸術的なセンスが必要です。
このアーティスト(芸術家)たちも最近はインターネットのウエブサイトで自分の履歴や腕前や作品を紹介するのです。競争も激しい世界のようです。ただ、気軽にいったん入れ墨を描いたら消すのは容易ではないようです。だから酒を飲んでいるときに、入れ墨を描いたりすることは法的に禁じられているようです。(つまり、頭がもうろうとしている時に入れ墨を発作的にしがちのようです)白黒の入れ墨は消せるとも聞きますが、描くときの値段の何倍もかかり、その苦痛も大きいようです。
入れ墨の歴史を調べてみると、人間の皮膚は動物と違って毛も薄くほとんどカンバスのようなものです。そこにバラのとげのようなものが刺さると、ある場合は色が皮膚に現れるようです。それが入れ墨の始まりのようです。日本も縄文時代の容器には人間の入れ墨のような模様があるようです。日本の下級武士にも戦争の時に、手の指などに入れ墨で名前を入れたそうです。万が一首をとられて誰だかわからなくなると、野ざらしになるからのようです。アイヌの人々も入れ墨をします。
ただどこの国でもあまり普通の人は入れ墨はしなかったようです。儒教やキリスト教など倫理的規制からのようです。日本の幕末に西洋人のカメラマンたちが随分、日本社会の人々の写真を撮っています。中には少なくない日本人の全身入れ墨の写真が載っています。博徒や飛脚や火消しなどの職業の人たちは肌をいつも見せるので、むしろ入れ墨は誇りのようなもののようです。
それにしても、清楚な女性のタトゥー(入れ墨)はあまり芸術的とは思えないのです。これは古い人間の感想でしょうか。