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21世紀中年

昭和オヤジのときめき、ひらめき、感激、嘆きを思いのままに書き連ねます

安倍国葬はアホ政治家の奇祭

2022-09-20 23:41:33 | 政治にモノ申す

 吉田茂元首相の時は小学生で、内容はまったく記憶にないが国葬という言葉だけは覚えている。まあ、いずれにしても何の感慨も持てないガキの頃の話だ。

 安倍元首相は、それ以来の政治家の国葬となるが、さすがに何で国葬になっちゃうの?っていうのが率直な感想だ。まあ、決まったものはしょうがない。勝手にやってくれ。,国葬などちゃんちゃらおかしいが、決まってしまった葬式に、今さらだが、あれこれ文句を言う気はない。さっさと片付けてくれというのが本音だが、今さらお弔いに文句を言っても始まらない。文句を言えば言うほど、人としてどうなのよ、ってみじめになるだけだ。

 野党の連中も政治利用などせこい真似はやめて、行きたい奴だけ行ってお別れすればいい。国葬といったところで、値しない政治家だったことは誰もが知っていることで、騒がなければどっちらけで終わるはずだ。ニュースを見て、ああ今日だったか、でいいのだ。

 声高に反対などと騒げば騒ぐほど、自らの器のちっちゃさが浮き彫りになり、安倍氏の大物感が増していくことが野党の政治家はてんでわかっていない。まあ、自民党のアホバカ長老も同じで、この国葬騒ぎはどうしようもない政治家の奇祭としか映らない。

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見逃すな!統一教会の野望!

2022-08-17 09:09:11 | 政治にモノ申す

 アホな政治家と旧統一教会の戯言が宴たけなわの昨今だが、政治にかかわっていた時代の遠い記憶が蘇り、笑ってばかりもいられなくなった。

 あれは世間が霊感商法騒ぎを忘れた頃だった。私が世話になった代議士が、まだ泡沫候補にすぎない頃の話だ。

 代議士の資金源である、身内が所有するビルの一室に名前は忘れたがある会社がテナントとして入っていた。たしか、表向きは旅行代理店だったと思う。ほかにも関連会社としていくつかの業種が同居していたはずだ。その会社というのが、統一教会の関連企業、ヤクザ社会で言う舎弟企業だということを知った。その時は、やばいんでないのと思ったが、表立った関係はなく、あくまでも会社の取引会社にすぎなかったが、定かではないのだがどうもただならぬ関係ではあったようなのだ。今騒がれているように統一教会が政治家、特に反共が色濃い保守系政治家の選挙で働いていたことは知っていたが、私が働く代議士(当時は候補者にすぎなかった)に関していえば、表立った関係は一切なかった。

 それでは、どんな関係だったのかというと、これはもう推測の域を出ないのだが、自民党の反共議員の情報収集部隊をまとめていたのがその会社で、それを代議士の身内の会社が物心両面において支援していたようなのだ。代議士は公認争いで自民党と袂を分かち、反自民の立場で代議士まで上り詰めたが、根っこは完全に保守であり、身内と自民党との関係は深く、その流れで統一教会の舎弟企業との関係を続けていたのではないかと思う。

 統一教会の名前は一切出ないが、隠れ蓑の会社がパーティー券くらいはまとめ買いしていたはずだ。当然、パー券の行先は教会であり信者である。

 何が言いたいかというと、統一教会と政治のかかわりは、今騒がれている表立った選挙支援ではなく、そこをつなく各種の団体や企業がかなりの数で、政治家の懐に入り込んでいるという現実だ。

 公明党と創価学会の関係に非常に似ているわけだ。もちろん、選挙への影響などたかが知れており創価学会の比ではないが、恐れるべきは世界各国にそうした動きがあるわけで、その目的は世界平和でも、民の幸福でもなく、反共産主義一色であるということだ。

 その成果が、極右大統領トランプの誕生であり、安倍首相の誕生といってもいい。表向きは単なるタカ派の政治家だが、時代錯誤の反共思想の増幅である。些少なつながりでも、これだけ多くの政治家に粉をかけていることは、かならず目的があり、その達成に向けて政治家を利用しているのだ。いみじくも、先日の会見で教団側は我々の政治支援は反コミュニティーであると堂々と宣言しているにもかかわらず、何故か、メディアも評論家もスルーしている。

 せっかく、表に出てきたのだから、反共を語った私利私欲以外の何物でもないドンパチを阻止するためにも、政治家たちは関係を断ち切り、選挙民も危ない政治家を政治の舞台から引きずり下ろさなければならない。信者たちも地位アップのために高額のツボを売った金は、ドンパチ目的のために世界のあぶない政治家にばらまかれている現実を知るべきだ。

 

 

 

 

 

 

 

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統一教会関係議員はただ無知でアホなだけ

2022-08-09 21:10:11 | 政治にモノ申す

 統一教会と自民党の関係など、あほらしいほど単純であり、その単純すぎる関係を知らずに過去の因習を連綿と引きずり続けた現在の議員が今になってあたふたしている無知蒙昧ぶりにあきれかえるばかりだ。

 両者の関係の根っこは反共精神であり、統一教会は国際勝共連合という団体を作り、反共に熱心な自民党の政治家を支援してきた。信者から霊感商法で財産を根こそぎむしり取るとんでもない悪徳宗教であることが昭和50年代に社会問題化するまで、その関係は公然と続いていた。

 今、統一教会と関係を続けている政治家は、多くはそうした社会問題が沈下した後に政治家になった連中であり、たぶん、応援してくれる組織の一つとして単純に関係を持ったのだろう。安倍氏とて例外ではないはずだ。

 それが、信者の息子が教会憎しで安倍元首相を撃ったことから、統一教会との関係が露呈してしまった。それまで、何の問題意識も持たずに、行事に祝電や祝辞を送っていたのだから、さぞかしあせっていることだろう。

 それは政治家に限らず、マスコミも似たようなもので、統一教会に関しては過去の出来事として、オーム真理教と違って監視を怠ってきた。それが、ひょんなことから存在がクローズアップされ、慌てて掘り返してみたら、政治家と教会の関係が出てきたから、これはヤバイっしょとなっただけである。

 つまり、政治家は教会に対して、応援よろしく、応援ありがとうというだけ関係で、かつてのような反共の同志といった意識は毛頭ない。だから、何がいけないのという本音も飛び出すのだ。結局は、政治家として無知であり、脇が甘いというだけの話だ。

 それをことさら根深い問題のようにメディアは煽るが、所詮はアホな政治家があわてているというだけで、そんなアホは次の選挙で落とせばいいだけの話だ。

 

 

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改憲と戦争と覚悟

2022-07-11 13:28:03 | 政治にモノ申す

 参院選の結果は改憲論議を再燃させ、改憲に向けた動きを加速させる結果に終わった。

 ウクライナとロシアの戦争、改憲派の急先鋒安倍首相の死、そこに自民党はじめとする改憲支持政党の躍進である。改憲派の鼻息は荒い。

 憲法改正というが、実際は戦争放棄を定めた第九条の改正がメインで、自分の国は自分たちで守る、そのためには自衛隊を正式な軍隊とし、武器使用、先制攻撃、海外派兵を可能にするのが狙いだ。つまり、護憲派がいうところの戦争をする国になるということだ。

 そこで、九条改正に賛成するみなさんに聞きたい。徴兵制にも賛成するのか。実際に戦争が始まり、自分や家族が徴用されたら支持するのか。

 これは極論などではない、軍隊を持ち戦争を認めるということはこういうことなのだ。

 もし、家族や大事な人が誰かに襲われそうになれば、誰だって守りたいし、戦いもいとわない。しかし、戦争は国と国の殺し合いであり、奪い合い以外の何物でもない。つまり、そこに正義などなく、あるのは国の命令だけなのだ。

 九条を改正するということは、戦争に備えて軍隊を持つことであり、言い換えれば戦争をするということだ。

 戦争放棄を放棄した時、それを支持したあなたに、戦場に行って人を殺す覚悟があるのか、もし家族が戦争で命を落とした時、国のために働いたと勲章を受けることができるのか。

 

 

 

 

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参院選で感じたこと

2022-07-06 23:03:30 | 政治にモノ申す

 先日、参院選の期日前投票に行ってきた。思えば、期待も希望も何もない、単なる惰性だった。

 子供のころから、選挙に興味を持ち、開票特番は欠かさず見ていた。選挙権を得てからは、選挙はより身近な出来事だった。学校を出た後はマスコミの末席に身を置いたことから、選挙は取材対象であり、いわば仕事だった。仕事が高じて、やがて、40半ばでマスコミから政治の世界に飛び込んだ。取材する側からされる側への勇気を振り絞った転身転職だった。あの頃が、真剣に政治と向き合った絶頂期だったと思う。そして代議士秘書を最後に政治の世界から足を洗ったのが50歳目前だった。足を洗った理由は、政治と無関係なクソみたいな話だけに今さら語る気はない。

 それから、選挙の現場と一切かかわりを持たず今日まで過ごしてきた。

 そして今になって、この国の選挙がいかに国民の意識とかけ離れた場所で行われているかという現実に虚しさを感じている。

 たぶん、今頃、参院選の選挙事務所は追い込みで必至なことだろう。しかし、騒がしいのは選挙事務所とそこに張り付くマスコミだけで、一般市民にはその熱がまったく伝わらない。

 自分がかかわっていたあの頃もきっと同じようなものだったのだろう。そう思うと、真剣に悩み感動したりした時代が気恥ずかしく、滑稽極まりない。

 今や職場では選挙など全く話題にならないし、参院選とあって選挙カーの騒音公害もない。昔と比べてTVを見なくなったためか、政見放送も見ていない。ネットのCMは、スキップして終わり。そういえば、まだ投票依頼の電話も一本も来ていない。情けないかな選挙の争点すらわからない。

 だから思うのだ。せめて有権者の7割が、真剣に政治に期待や希望を持って自らの意志で選挙に行ったら、どうなるのかと。もし、この国にそんな時代が来るとしたら、それは生きるか死ぬかが真剣に問われる状況になったときだろう。それが戦争なのか飢饉なのかそんな時代が来ないことを祈りたい。そんな怖い時代よりこの嘘っぱちな平和のほうがまだ居心地がいいと思うのが正直な気持ちだ。その代償が、いまや搾取としかいいようがない税金なわけだが、無関心な人間たちはぶつぶつ文句をいいながらも、見せかけの平和の代償として搾取に甘んじている。もちろん、自分もその一人ということだ。

 あと何年生きられるかわからないが、永田町のクソ政治家どもが戦争を始める前に、クソ政治家を退治する若いヒーローの出現を真剣に願っている。

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