21世紀中年

昭和オヤジのときめき、ひらめき、感激、嘆きを思いのままに書き連ねます

横路氏の政界引退に想う

2016-05-29 20:46:35 | 雑記帳

 安倍首相が消費税値上げを延期するという。貧乏人としては歓迎したいが、一国の首相としてはまったくもってちゃらんぽらん、これでいいのかニッポンよ。老い先短い身としては、もはや政治を諦めるより術がないのか。

 そんな中、横路孝弘氏が政界引退を表明した。私の世代にとって政治は横路氏と共に歩んできたと言っても過言でないだけに、寂しさもさることながら、それ以上に日本の政治に対し諦観の念を感じざるを得ない。氏は「民主党と共に私の役目は終わった」と言ってはばからず、氏もまた諦めの境地だったのではなかろうか。

 社会党のプリンスとして華々しく政界デビューし、途中、北海道知事に転向し革新道政奪取を成し遂げ、再び国政の舞台に戻った。社民党、民主党のリーダー、そして政権交代においてもリベラルのまとめ役として存在感を示し、晩年は衆議院議長として国政の中心にいた重鎮である。今でも思い出すのは私が高校に入学した1972年、国会で楢崎弥之助氏と共に沖縄返還に伴う佐藤内閣とアメリカとの密約を追及した事件だ。「国民の知る権利」で話題になった世にいう西山事件である。

 高校の進路調査で将来何を目指すかという項目があり、ふとその事件が頭に浮かび、ジャーナリストと書いたことを思い出した。どこかにそんな思い込みあったのか、大学を選ぶ時もマスコミ系を選んだし、就職も地方の雑誌社に決めた。正直、本気でジャーナリストを目指したわけでも、念願だったわけでもない。その証拠に学生時代には新聞社やマスコミの試験など受けていないし、入社試験について調べさえしなかった。ただ、アルバイトに明け暮れ、就職活動もせずに卒業し、田舎にUターン。そこでやっと職探しを始めたところ、たまたま街を歩いたら就職した先の雑誌社があったビルの入り口に面接会場と貼り紙があり、その文字に誘われてふらふらとビルの階段の上り、会社の扉を開けたことが始まりだった。履歴書すら持っていなかった。それでも今では考えられないフランクさで、その場で履歴書を書いて面接を受けさせてもらった。そして、幸か不幸か採用となり、ジャーナリストの端くれとしての道を歩み始めたのだ。そういえば横路氏の知事時代にも取材に行ったことがある。あまり記憶に残っていないところを見ると、道政の抱負とかおざなりの取材だったのだろう。

 ともあれ、編集記者という仕事は存外自分にあっていて、面白くて仕方がなかった。7年ほど雑誌社で編集仕事を身に着け、フリーになった。バブル期は調子に乗って編プロを作りSP係の仕事に走ったが、結局、社会ネタや政治ネタが得意で夕刊紙の記者になり、記者として最後は業界紙の記者をしていた。その頃、ある代議士と懇意になったことで選挙の面白さにハマり政治の世界に足を踏み込んでしまった。その代議士の秘書として1年半ほど働いたが、その頃、横路氏ともお会いして、話もさせてもらった。とても気さくな人だった。氏より先に、ずっと若い私の方が政治に見切りをつけたが、政治の世界では数少ない良い思い出である。

 今にして思えばもし横路氏がいなかったら、良し悪しはともかく私の人生は別なものになっていたかもしれない。きっかけは些細なことかもしれないが、少なからず私は将来を選択するときに横路氏が関わった事件の影響を受けたのである。

 そんな横路氏の引退、感慨深いものがある。長い間お疲れ様でした。

 

 

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