【府中市片町】
『江戸名所図会』に「甲州街道に架する所の橋をも弁慶橋と号け、東の坂を弁慶橋と呼べり」とあります。
この坂は、高安寺に伝わる弁慶橋に由来します。これは、高安寺の堂のうしろにある古井戸の水を汲んで硯の水とし、大般若経を書写したと伝えられるものです。高安寺は、往古建長寺の末寺で、足利尊氏が武蔵国の安国寺として中興した名刹です。この寺は、武蔵守藤原秀郷の館跡とも言われています。
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高安寺は、左手の住宅の裏手にあります。
片町の由来は、南側は高安寺があって町場がなく、北側だけに町場あったためである。
全国にある片町の由来は、どっちか片方に町場があったことに由来していることが多い。
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【文京区千石】
不忍通りが千川谷に下る(氷川下交差点)長く広い坂である。現在の通りは大正11年(1922)頃開通したが、昔の坂は、東側の崖のふちを通り、千川にかかる猫又橋につながっていた。この今はない猫又橋にちなむ坂名である。
また、『続江戸砂子』には次のような話がのっている。
むかし、この辺に狸がいて、夜な夜な赤手拭いをかぶって踊るという話があった。ある時、若い僧が食事に招かれての帰り、夕暮れ時、すすきの茂る中を白い獣が追ってくるので、すわっ、狸かとあわてて逃げて千川にはまった。そこから、狸橋、猫貍橋、猫又橋と呼ばれるようになった。猫貍とは妖怪の一種である。
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