音と美と文と武と食の愉しみ

自己参照用。今まで紙に書いていたものをデジタル化。
13歳でふれたアートが一生を支配するようです。

20240415 マイルスはブルースミュージシャンだった

2024-04-15 08:35:23 | 日記

私はトランペットを練習中ですが、最初にこの楽器が魅力的だなと感じたのは、「死刑台のエレベータ」のサウドトラックです。

わずかなメロディで、音量もなく、それでも人の哀しみとか運命とかリスクとか焦りみたいな複雑な感情を突き刺してくるあの音楽、というかトランペットの音色に惹かれました。

演奏者はもちろんマイルス・デイヴィス。録音当時は31歳かな。見事な感情表現です。

そのマイルスは、自身の次世代の技巧派として知られ、輝かしい音色と超絶技巧で人気を集めていたフレディー・ハバードに関して「優れた奏者だが魅力を感じない。セックスアピールのない女みたいだ」と評しています。

確かに、マイルスは一音にも色気があり、ハバードは百音吹いてもその面では凡庸です。この違いはどこにあるのか。何に由来するのか、気になっていました。

ポール・ティンゲン著「エレクトリック・マイルス」に興味深い記述があり、マイルスは少年時代にブルース・バンドで頭角を表してきた。キャリアの中で一時期は欧州寄りの傾向を強めたが60年代後半からアフリカ色、そしてブルース回帰の路線が鮮明になった。

具体的には、彼のフュージョン作品はそのほとんどがフラットⅦを軸にメロディを繰り返し、微妙にフラットⅢとⅢを入れ替えているではないか、と。

また、同書ではベンディングもブルースの重要な要素であり(ギターを想起)、彼の吹くメロディが表現する哀感はベンディングなしでは考えにくい、とも。ああ、確かに死刑台のエレベータの冒頭はベンディングだった。

マイルスは、毎日サトウキビを摘んでもブルースができるようにはならないぜ、とも言っていますから、それなりの音楽的工夫や努力で、音色共々、そうした表現術を身に付けたのでしょう。

その後、日本の音楽でトランペットの哀感をモロに感じたのは松田優作主演映画「最も危険な遊戯」のサントラでした。岡野等さん。クレジットは荒川バンドだったっけな。

これも、フラットⅦを軸にしているという意味ではブルース的なメロディですが、転調後は長音階で暗闇を抜けたほのかな灯を感じさせ、コーダのメインテーマを聞くときには微妙なカタルシスにリスナーを導く構成になっていることです。

曲がいい。誰でしょう。大野雄二さんでした。さすがですね。映画を見るだけでなく、サントラ盤で曲をきっちり聴かないとですね。

で、岡野等さんのトランペットが、これまた哀愁に満ちた音色で素晴らしいです。トランペットだけでなく、曲全体として色気があります。

思うのですが色気というかセックスアピールというか、要するに「アレ」があるかないかって、本当に本質的な問題だと思いますけど、音楽の授業では決して出てこないですよね。

わずかに取り上げてくれるのが、ブルースの技法のところなのかな。あと、最近話題のバックビートも色気というか「アレ」に繋がると思う。

特に、かわいそうな渡辺貞夫さんが何遍も批判やられてますけど、カリフォルニア・シャワーでもマイディアライフでも、バックビートじゃないからどうしても音頭になっちゃって、色気が出ない。「アレ」を感じさせる音楽にならないです。

どう表現していいかわからないので岡田監督を真似て「アレ」と書きましたが、近い言葉としては色気、マイルス流に言うならセックスアピール。これが、私は音楽表現の一つの魅力の秘密だろうと思います。で、方法論が整理されていない。

元々、方法論がどうのという世界ではないのかもしれません。持って生まれたその演奏者の性格とか嗜好性にも依存するでしょう。

でもブルース好きな人、多いですよね。

ブルースの何が好きかといえば、あの、心に刺さってくるような感覚じゃないですか?

それって、楽器が下手でも出せる人いますよね。

「アレ」の話は、これからも気づいたらしていこうと思います。