川湯温泉は「数年前、活気があって客も多かった」だって?
自助努力としての「効果的宣伝と内実が大事」だって?
昭和62年4月に旧日本国有鉄道北海道地方管理局の事業を引き継いだ北海道旅客鉄道(JR北海道)は、3年後の平成2年11月、昭和50年代初めから長期低落傾向が続いていた観光産業の振興を目指す弟子屈町の要望を受け入れ、釧網本線「弟子屈」駅を「摩周」駅と改称した。弟子屈町は同時に、町内の「弟子屈温泉」と「鐺別温泉」をまとめて「摩周温泉」と改めた。
爾来20有余年、改称によって摩周温泉や川湯温泉への観光客の入りが増加したという事実はない。弟子屈町の期待も虚しく、観光産業振興は成らなかったのである。弟子屈町内の温泉地の不振は、「ここ数年」といった短いタイムスパンで生じたのではないと分かる。
今般、釧路市が「阿寒国立公園」名称変更問題について、昭和9年の国立公園指定直後から長期にわたって「阿寒・摩周・屈斜路国立公園」を提唱してきた弟子屈町と協議し、関連町村の了解を得た上で「阿寒・摩周国立公園」への変更を環境省に要請することに同意したのは、マリモという目玉があってなお宿泊観光客減少が続く阿寒湖温泉の現況を、世界的に知名度の高い「摩周」を冠することで打開しようという意図があってのことである。
阿寒湖温泉と同様に、道内各地の温泉地がのきなみ苦戦を強いられている要因を分析すると、他の観光施設や各種催事などと比較して、温泉の集客力は相対的に低下し続けていると考えざるを得ない。原因は観光客のニーズの多様化にある。今や温泉だけで客を集めるのは無理なのだ。内実の充実や効果的宣伝は必要だろう。しかし、「自助努力でやれ」と言われ、「はい、はい」と二つ返事で大型投資を実行できる観光事業者が弟子屈町にいるかどうか。温泉で自由な異空間に遊ぶ極楽トンボの言葉遊びに疑問を呈する所以である。
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