タックの庭仕事 -黄昏人生残日録-

≪『釧路新聞』<巷論> (08年12月6日) ≫

P1000830 どの新聞でも、<社説>は、世の様々な事象に対する各社独自の見解を開陳しているはずだが、どれもステレオタイプの内容ばかりで、きれい事を並べるしか芸がないから、私はちらっと<見出し>を横目で眺め、他の記事を読んでページを繰る。
 ところが、わが地方紙『釧路新聞』には<社説>がなく、第3面のその欄には<巷論>なるものが掲載されている。この<巷論>が社説に相当するのか、あるいは文字どおり巷(ちまた)の意見なのか、判断に迷うことがある。
 数名の社内外の筆者が記名で担当し変化に富むが、個性が出るというか、筆力の違いというか、とにかく主題あるいは論旨の展開に巧拙のばらつきが目立つ。
 十二月六日の「各国の指導者の力量」(串崎英子)は、内容が<見出し>と合致していない上に、表現が稚拙散漫で、論旨の展開もヘチマもない、とうてい<論>とはいえない代物である。気ままな随筆としても通用しないだろう。
Photo_2 筆者がどのような人物か知らないが、新聞に持論を載せる者として致命的な箇所は、「昔、『貧乏人は麦を食え』の放言で、首相を下りた人もいた」という件(くだり)である。日本に、そのような放言で辞任した総理大臣はいない。
 第三次吉田内閣の大蔵大臣・池田勇人(胸像の写真は、『ウィキペディア』から転載)による、昭和二十五年十二月の参議院予算委員会での答弁、「所得に応じて、所得の少ない人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則に副ったほうへ・・・」に対して、翌日の新聞が意図的に「貧乏人は麦を食え」と歪曲した見出しを付けたのである。
 総理大臣としては、昭和三十八年の第三次池田内閣発足の翌年、咽頭癌のため辞意を表明したのであって、放言が原因で退陣したのではない。

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