5歳悠仁さまが「着袴の儀」
2011.11.3 12:57
秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁さまの「着袴(ちゃっこ)の儀」と「深曽木(ふかそぎ)の儀」が3日、東京・元赤坂の赤坂東邸で行われた。皇室のお子さまが5歳になるころ、健やかな成長を祈って行われる伝統行事で、宮内庁によると、両儀式で身につけられた着物は天皇、皇后両陛下が贈られた。
男子皇族が両儀式に臨まれるのは、昭和45年の秋篠宮さま以来、41年ぶり。
ご夫妻と、姉の眞子さま、佳子さま、秋篠宮妃紀子さまの両親が両儀式を見守られた。着袴の儀では、たたみの上に吉方を向いて立ち、白いはかまを着用された。
童形(どうぎょう)服姿で臨んだ深曽木の儀では扇を持って碁盤の上に乗り、髪を整えて足元の青石を踏んだ後、元気に飛び降りられた。儀式は平安時代から皇室に伝わるともされるが、詳しい意味は不明という。
終了後、悠仁さまはご家族と一緒に赤坂東邸の車寄せに姿を見せ、報道関係者の「おめでとうございます」という声に、「ありがとうございます」とにこやかに話された。続いて皇居・宮中三殿を参拝し、両陛下にあいさつをされた。
儀式は今春に予定されていたが、東日本大震災のため延期されていた。
宮内庁によると、悠仁さまはお茶の水女子大付属幼稚園の年中組で元気に過ごしており、年下の子が困っているときには助けることがあるという。最近は恐竜に興味を持ち、図鑑をよくご覧になっている。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/111103/imp11110313000001-n1.htm
悠仁さま「着袴の儀」、男性皇族41年ぶり 健やかな成長願う
2011/11/3 23:47
秋篠宮家の長男、悠仁(ひさひと)さま(5)の「着袴(ちゃっこ)の儀」「深曽木(ふかそぎ)の儀」が3日午前、東京・元赤坂の赤坂東邸で行われた。いずれも健やかな成長を願って5歳ごろに行われる平安時代から続く皇室行事で、男性皇族では秋篠宮さま以来41年ぶり。
着袴の儀は初めて袴を着ける儀式。悠仁さまは天皇、皇后両陛下から贈られた滝の流れをあしらった落滝津(おちたきづ)の服に白い袴を着けられた。
続く深曽木の儀で悠仁さまは、童形服(どうぎょうふく)姿に。皇太子さま、秋篠宮さまも儀式に使った碁盤の上に乗り、宮内庁御用掛がはさみで髪の毛を3度切ると、悠仁さまは少し緊張した表情を浮かべながらも、盤上に置かれた2個の黒い小石を踏んで元気に飛び降りられた。
儀式を終えた悠仁さまは、赤坂東邸前で報道陣から「悠仁さま、おめでとうございます」と声をかけられると、少しはにかみながらも「ありがとうございます」とはっきりとした声で答えられた。
儀式は当初、春に予定していたが、東日本大震災の発生などを踏まえ、延期していた。
宮内庁によると、幼稚園年中組の悠仁さまは友達と遊んだり、年少組の子の手助けをしたりして2学期を元気に過ごしているといい、最近は虫などの生き物だけでなく恐竜にも関心を持たれている。
http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C889DE1E4E0E3E0EAE0E2E2E1E3E3E0E2E3E39180EAE2E2E2;av=ALL
悠仁さまが「着袴の儀」
11月3日 12時13分
秋篠宮ご夫妻の長男の悠仁さまは、3日、健やかな成長を願って行われる皇室の儀式、「着袴(ちゃっこ)の儀」に臨まれました。男子の皇族がこれらの儀式に臨むのは、昭和45年10月の秋篠宮さま以来41年ぶりです。
「着袴の儀」は、平安時代から伝わる皇室の儀式で、子どもが5歳を迎えたころに健やかな成長を願って行われます。ことしの9月6日で5歳になった悠仁さまは、3日午前、お住まいのある東京の赤坂御用地の施設で、秋篠宮ご夫妻や姉の眞子さま、佳子さまが見守るなか、儀式に臨まれました。はじめに天皇皇后両陛下から贈られた袴を身につける「着袴の儀」が行われ、滝の模様が入った織物を着た悠仁さまは、側近の職員に白いはかまをはかせてもらいました。続いて「深曾木の儀(ふかそぎのぎ)」と呼ばれる儀式が行われ、亀甲や菊の柄の織物を羽織った悠仁さまは、碁盤の上に立ち、髪の毛をくしでそろえてはさみで切ってもらったあと、碁盤から飛び降りられました。この動作は、元気な成長ぶりを示すものとされていて、悠仁さまはこれで儀式を終えられました。男子の皇族がこれらの儀式に臨むのは、昭和45年10月の秋篠宮さま以来41年ぶりです。儀式を終えた悠仁さまは、ご家族とともに記者団の前に姿を見せ「おめでとうございます」と声をかけられると、少し照れくさそうにほほえんで「ありがとうございます」とこたえられていました。悠仁さまは、このあと皇居の宮中三殿に参拝し、両陛下にもあいさつをされたということです。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111103/t10013708041000.html
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日本は震災から立ち上がる=ブータン国王が国会演説

来日中のブータンのジグメ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王は17日午後、衆院本会議場で演説した。国王は「2011年は国交樹立25周年に当たる。ブータン国民は特別な愛着を日本に抱いてきた」と強調。東日本大震災について「このような不幸から強く立ち上がることができる国があるとすれば、日本と日本国民だ」と述べ、満場の拍手を受けた。
また、国王は「われわれの物質的支援はつつましいものだが、友情、連帯、思いやりは心からの真実だ」と表明。国連改革についても触れ、「安全保障理事会拡大の必要性だけでなく、日本がその中で指導的な役割を果たさなければならない」と日本の常任理事国入りを支持する考えを改めて示した。(2011/11/17-12:45)
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2011111700403
「震災復興すると確信」ブータン国王が国会演説
(11/17 14:55)
国賓として来日中のブータンのワンチュク国王が国会で演説し、震災復興に取り組む日本にエールを送りました。
ブータン・ワンチュク国王:「このような不幸からより強く、大きく立ち上がることができる国が一つあるとすれば、それは日本と日本国民であると私は確信しています。皆様が生活を再建し、復興に向けて歩むなかで、我々ブータン人は皆様とともにあります」
さらに、「日本は高い技術と勤勉さでアジアの多くの国の模範となってきた」と述べ、今後もアジアのリーダーとしての日本に期待感を示しました。そして、今年が国交樹立25周年にあたることを受けて、両国間でさらに絆を深める考えを強調しました。
http://www.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/211117026.html
ブータン国王夫妻 被災地訪問へ
11月15日 10時27分
ブータンのワンチュク国王夫妻が15日朝、震災後初めての国賓として来日しました。国王夫妻は滞在期間中、福島県の被災地も訪れ、子どもたちと交流することにしています。
ブータンのワンチュク国王夫妻が乗った航空機は15日朝6時ごろ、成田空港に到着しました。ワンチュク国王とジェツン王妃は先月、結婚したばかりで、震災後初めての国賓として来日しました。民族衣装に身を包んだ国王夫妻は報道陣が英語で「ようこそ日本へ」と呼びかけると、にこやかに英語で「ありがとう」と応じていました。ブータンは国民の豊かさを測る目安としてGNH=「国民総幸福」という指標を取り入れ、経済成長よりも国民が幸せと感じる幸福度を重視するユニークな国づくりを進めていることで知られています。国王夫妻は今月20日まで日本に滞在し、野田総理大臣と面会するほか国会で演説を行う予定です。また、津波で大きな被害を受けた福島県相馬市を訪れて子どもたちと交流することになっています。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111115/t10013966231000.html
歓迎に「強い絆できた」=ブータン国王夫妻、小学校訪問-福島

国賓として来日中のブータンのジグメ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王とジェツン・ペマ王妃が18日、福島県相馬市の桜丘小学校を訪問した。15日の来日以降、国王夫妻が東日本大震災の被災地を訪れたのは初めて。
歓迎行事では、児童を代表して6年の後藤香純さん(11)が「お二人に会えたことは私たちの励みになり、希望になります」とあいさつ。5、6年生が合唱や踊りを披露すると、国王夫妻は笑顔で拍手した。
ワンチュク国王は「ブータン国民を代表し、皆さんを励まし親愛の情を表すために来ました」と児童らに語り掛けた。
王妃は「今度来日する時は、必ず(桜丘小を)訪問します」と述べ、国王も「きょうここで強い絆ができた。また来たい」と笑顔で児童らに約束した。(2011/11/18-17:29)
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201111/2011111800738
ブータン国王夫妻 被災地訪問
11月18日 18時50分
国賓として日本を訪れているブータンのワンチュク国王夫妻は18日、東日本大震災で大きな被害を受けた福島県相馬市を訪れ、被災した子どもたちを激励したほか、ブータン国民を代表して犠牲者を追悼しました。
ブータンのワンチュク国王は、結婚したばかりのジェツン王妃を伴って、15日から日本を訪れていて、18日の午後は、東日本大震災で被災した福島県相馬市の桜丘小学校を訪問しました。ここに通う児童の中には、仮設住宅での生活を続けている子どもたちもいて、児童の代表は「私たちの中には不自由な暮らしをしている人がたくさんいます。しかし、きょうお目にかかれて励みになりました」とあいさつしました。これに対してワンチュク国王は、ブータンの国旗に描かれ国のシンボルともなっている「竜」の物語を引用し、「竜は私たちみんなの心の中に居て、『経験』を食べて成長します。だから、私たちは日増しに強くなるのです」と述べ、児童たちを励ましました。このあと国王夫妻は、津波で多くの住宅が流された原釜地区を訪れ、立谷秀清市長から被害状況の説明を受けました。この辺りは、震災から8か月が過ぎた今も津波の深い傷跡が残っていて、国王夫妻はおよそ30人のブータン政府関係者と共に、手を合わせて犠牲者を追悼しました。1日の訪問を終えたワンチュク国王は報道陣に対し、「ここに来ることができてとてもよかったです。私たちはこれからも祈り続けます」と話し、被災地を後にしました。国王夫妻はこのあと京都へ移動し、20日、ブータンに帰国する予定です。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111118/t10014058591000.html
ブータン国王夫妻来日へ 11月中旬に「新婚旅行」
金より幸福を大切にするブータン 日本を「友好国」と見る理由
復興支援のクウェート産原油到着=代金400億円、被災地に寄付
東日本大震災の復興支援として、クウェート政府が日本に無償提供する原油500万バレル(約400億円相当)の第1陣が12日、受け入れ先のJX日鉱日石エネルギー根岸製油所(横浜市)に到着した。代金相当額は、原油を仕入れる同社など石油会社4社を通じて日本赤十字社に寄付され、被災地の支援金に使われる。
枝野幸男経済産業相は同製油所で行われた贈呈式で「心より敬意とお礼を申し上げる。しっかりと復旧・復興を進めたい」とクウェート側に謝意を述べた。500万バレルは日本の輸入量の1.5日分に相当し、年内に全量が到着する見通し。(2011/10/12-19:43)
http://www.jiji.com/jc/c?g=eco_30&k=2011101200809
「王様」ペレ氏が激励 宮城の小学校にボール贈る
2011.10.17 15:47
2014年サッカーワールドカップ(W杯)ブラジル大会のPRで来日している「サッカーの王様」ペレ氏が17日、東日本大震災の被災地、宮城県名取市の市立不二が丘小学校を訪れ、サッカーボールを贈った。
ペレ氏は「ブラジル国民を代表して励ましの言葉を届けに来ました」とあいさつ。子どもたちが求めるサインや握手に笑顔で応じた。ペレ氏を一目見ようと、100人以上の住民が小学校に集まった。
同市閖上地区の自宅と通っていた学校が津波で被災し、不二が丘小に間借りしている市立閖上小の5年、工藤精修君(10)と弟の2年、丈武君(8)は、ペレ氏からポルトガル語で「友達」と書かれたサインをもらった。サッカーが大好きという丈武君は「もっと練習して将来は日本代表になりたい」と目を輝かせていた。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/111017/trd11101715480016-n1.htm
思い入れある日本励ましたい…ペレさん、宮城に
元ブラジル代表選手で「サッカーの王様」と呼ばれるペレ氏が17日、被災地の宮城県名取市を訪れた。
サイン入りボールなどをプレゼントして住民や子どもたちと触れ合った。
ペレ氏は2014年のワールドカップブラジル大会のPRも兼ねて来日。昔から日系ブラジル人と付き合いがあるといい、「特別な思い入れがある日本を励ましたい」との思いから被災地を訪ねた。
津波で壊滅した日和山に花を供えた後、同市立不二が丘小学校で、近くの仮設住宅の住民に毛布やホットカーペットを寄贈した。子どもたちにはその場でサインをしたボールや「あなたの友達より」と書いた色紙を贈った。
ペレ氏は「ブラジルとして協力できることがあれば、いつでも準備が出来ている」などと、支援を惜しまない考えを伝えた。
(2011年10月18日13時20分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866918/news/20111018-OYT1T00048.htm?from=popin
「王様」ペレ、宮城の子に「ブラジルを代表して来た」
サッカー元ブラジル代表で「王様」の異名を取るペレさん(70)が17日、東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県名取市を訪れ、子どもたちを励ました。
ペレさんは、津波で使えなくなった閖上(ゆりあげ)小、閖上中の児童・生徒が通う不二が丘小を訪問。朝礼台に立って250人の子どもたちに「ブラジル国民を代表して励ましの言葉を伝えに来ました」とあいさつし、ボール20個を贈ったり、サインや撮影に応じたりした。
冬を迎える仮設住宅にも、ホットカーペット450枚や電気毛布105枚をプレゼントした。仮設住宅に住む閖上小6年の氏家知輝君(12)は「めげずにサッカーをする元気をもらった」と話していた。
http://www.asahi.com/national/update/1017/TKY201110170432.html
ダライ・ラマ14世来日、被災者と交流も予定
来日したダライ・ラマ14世(大阪空港で)
チベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世が29日、高野山大学(和歌山県高野町)などの招きで来日し、大阪(伊丹)空港に到着した。
30日には大阪市此花区の舞洲アリーナで「人生の困難を生きぬく力」などをテーマに特別講演を開催。31日~11月3日までは高野山大学で、法話や青年僧との対談を行う。その後、東日本大震災の被災地を訪れ、被災者との交流を予定している。
(2011年10月30日13時11分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20111030-OYT1T00387.htm
ダライ・ラマ14世が高野山大で特別法話
松長有慶管長(左)と登壇したダライ・ラマ14世(右から2人目、31日午後、和歌山県高野町の高野山大学で)=枡田直也撮影
来日中のチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世(76)が31日、和歌山県高野町の高野山大で特別法話を行った。僧侶や市民ら約850人の前で幸福や愛について語り、「人々の平和な顔を見るのが一番幸せ」と述べた。
創立125周年を迎えた高野山大の招きで、31年ぶりに高野山を訪れたダライ・ラマは、高野山真言宗・総本山金剛峯寺の松長有慶管長(82)と登壇。質問に立った若い僧には「愛と慈悲の心を育むため、大いに勉強して知性を磨いて」と助言した。
11月4日まで高野山に滞在した後、宮城県や福島県を訪問し、東日本大震災の被災者と交流する。
(2011年11月1日 読売新聞)
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20111101-OYO1T00535.htm?from=main4
ダライ・ラマ、仙台で会見 被災地の苦しみ「分かち合いたい」
2011/11/4 20:14
来日中のチベット仏教最高指導者、ダライ・ラマ14世は4日、東日本大震災の慰霊と復興祈願のため訪れた仙台市で記者会見し、「より多くの人に会い、悲しみ、苦しみを共に分かち合いたい」と話した。
5、6日に宮城県石巻市と仙台市、福島県郡山市を訪れ、慰霊供養や講演をして被災者らと交流する。
ダライ・ラマ14世は記者会見で、被災地の人々への思いについて、「町を立て直していくために悲しみを頑張る力に変容させてほしい」と発言。その上で、「悲しみを取り除くことができるわけではないが、お目にかかって深い悲しみを感じ合いたい」と話した。
http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C93819695E2E6E2E18B8DE2E6E3E3E0E2E3E39191E3E2E2E2;av=ALL
ダライ・ラマが石巻で法要「悲しみ乗り越えて」
2011.11.5 12:53
来日中のチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世が5日、宮城県石巻市の西光寺を訪れて慰霊法要に出席、東日本大震災の犠牲者を悼むとともに「あまり落胆せず、思いやりを持ってこの悲しみを乗り越えてほしい」と被災者を励ました。
法要には約千人の被災者が参加。ダライ・ラマ14世は「震災で身近な人を亡くした皆さんの心の痛みを、一人の人間として分かち合いたかった」と石巻を訪れた思いを語り、本堂や参道を練り歩いて参加者と触れ合った。
ダライ・ラマ14世は4月にも日本を訪れ、東京都内で震災の犠牲者を悼む「四十九日特別慰霊法要」を行った。
石巻市は東日本大震災で死者・行方不明者が3800人を超え、被災市町村で最多の人的被害を出した。(共同)
http://www.sanspo.com/shakai/news/111105/sha1111051255013-n1.htm
ダライ・ラマ14世、石巻で「必ず再興できる」
来日中のチベット仏教最高指導者、ダライ・ラマ14世(76)が5日、宮城県石巻市の西光寺を訪れ、東日本大震災の犠牲者を慰霊する法要に出席した。
大震災の被災地訪問は初めてで、法話では「人生を強い決意で正しく生きてほしい。その結果として必ず美しいまちを再興できる」と、被災者らに語りかけた。
法要は石巻仏教会の主催で、津波による犠牲者の遺族ら約1000人が参加。出迎えた子どもたちの手を取り、声をかけながら本堂に入り、参加者を前に「優しさや思いやりがあれば、必ず困難を乗り越えられる」と話した。
ダライ・ラマ14世は10月29日に来日。「苦しみを感じ、分かち合いたい」と、かねて被災地入りを希望していた。
(2011年11月5日12時05分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20111105-OYT1T00377.htm?from=popin
ダライ・ラマ、被災地で法要=「悲しみを再建の力に」―宮城・石巻
2011年11月5日13時6分
チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世が5日午前、東日本大震災の犠牲者の慰霊のため、甚大な被害を受けた宮城県石巻市にある西光寺で法要を行った。ダライ・ラマが被災地を訪れるのは初めて。震災で家族や友人を失った参列者約1000人を前に、「悲劇が起きてしまったが、悲しみに沈み過ぎずに故郷再建の力に変えてほしい」と語り掛けた。
ダライ・ラマは、沿道で出迎えた園児や参列者に「孤児はいるのか」「津波のときはどこにいたのか」などと声を掛けながら参堂。チベット語で読経した後、説法し「日本人には強い精神力と協調性がある。町をよみがえらせ、良い教育を与えることで、次なる世代に幸せを引き継ぐことができる」と被災者を励ました。
[時事通信社]
http://www.asahi.com/national/jiji/JJT201111050036.html
【震災】ダライ・ラマ14世が法要 宮城・石巻市(11/05 11:52)
宮城県石巻市では、チベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世を迎えて、東日本大震災の犠牲者を悼む法要が行われました。
ダライ・ラマ14世は、震災の犠牲者の供養と復興を祈るため、4日から宮城県を訪れています。ダライ・ラマ14世が被災地を訪れるのは初めてです。石巻市で行われた法要には約800人が参列し、ダライ・ラマ14世は、チベット語で読経した後、「日本人の持つ強さや正直な心、協調性を持ってすれば、必ずもとの美しい街を取り戻せる。それが実現した際は、またこの場に呼んでほしい」と述べ、被災者を励ましました。ダライ・ラマ14世は、5日午後には仙台市内で講演を行う予定です。
http://www.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/211105013.html
「悲しみを頑張る力に」 ダライ・ラマ14世、東北入り
東日本大震災の被災地に寄せる思いを語るダライ・ラマ14世=4日、仙台市青葉区のホテルメトロポリタン仙台
来日中のチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世(76)が4日、東日本大震災の復興を祈願するため、震災後初めて東北入りした。仙台市内のホテルで記者会見し、「悲しみを分かち合い、被災した街を立て直す力に変容させていきたい」と語った。
ダライ・ラマは、大津波による甚大な被害と放射能の不安にさらされた東北の被災地を「人間がコントロールできる範囲を超えた苦しみに直面している」と思いやり、「本当に悲しく、心を痛めている」と述べた。
人間は、さまざまなつながりの中で支え合いながら社会生活を営む生き物だと指摘。「苦しみを一人で背負い込むようなことがあってはいけない。人と人の関係性を大切にし、悲しみを分かち合って共に生きていきたい」と訴えた。
困難を乗り越えることが再生につながるとの考えも示し、「悲しんでばかりでなく、悲しみを頑張る力に変容させていってほしい」と述べた。
ダライ・ラマは6日まで宮城県に滞在。仙台市と石巻市の寺院を訪ね、被災者と触れ合う。「今、逆境をのりきるために必要なこと」などと題する法話を行って、被災地再生に向けたメッセージを発信する。
2011年11月05日土曜日
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/11/20111105t13014.htm
40年前の“恩返し” ルイ・ヴィトン、震災被害の宮城産カキを支援
2011.10.11 10:09
フランスの高級ブランド、ルイ・ヴィトンが、東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城のカキ養殖復活の支援に乗り出している。背景には、生ガキを愛する日仏の美食文化と、両国の養殖業者、研究者の40年以上にわたる交流があった。(黒沢綾子)
◇
リアス式海岸が続く三陸・舞根(もうね)湾(宮城県気仙沼市)。海上には、新しい養殖いかだが30台以上浮かび、その下で幼いカキが育っている。「震災直後は海に生き物の姿がなかったけれど復活は早い。小さなカキなら来春には食べられますよ」
そう話すのは父の代からカキ養殖業を営む畠山重篤さん(68)。「豊かな漁場づくりには森、川、海の一貫した環境保全が重要」と訴え「森は海の恋人」をスローガンに漁民による植樹活動を先導してきたエッセイストでもある。
経営する「水山(みずやま)養殖場」の施設は大津波で全壊。船もいかだも流失した。「この西舞根地区には家が52軒あったんですが、44軒が流された。廃業する養殖業者は全体の約3割にのぼりそうです」と説明する。
震災から約1カ月後、畠山さんは意外な相手から支援金の申し出を受けた。仏高級ブランド、ルイ・ヴィトン。「一瞬、なぜ?と思いました」と振り返る。
40年前の「恩返し」
ルイ・ヴィトンの社員らは東北の惨状を知り、四十数年前のエピソードを思い出していた。仏名産のブルターニュのカキがウイルス性の病気で壊滅状態に陥ったとき、窮地を救ったのが宮城県の北上川河口で生産された種カキ。昭和46年、仏に3360トン、金額で約7億5千万円の宮城種(みやぎだね)が輸出されたという。
ルイ・ヴィトン家5代目当主、パトリック・ルイ・ヴィトンさん(60)もその経緯を「当然知っていましたよ。わが家は皆、カキが大好きでね」とうなずく。7月末に来日した際、畠山さんに「ルイ・ヴィトンと日本の絆は強い。再起のお手伝いができて光栄です」と語りかけた。
豊かな生態系守る
畠山さんは「日本人には世話をかけた相手にお返しをする義理人情がありますが、それは世界共通だった」。同社からの支援金は三陸の漁業復興とともに「森は海の恋人運動」の推進にも使われている。
「生き物を扱う仕事は季節のサイクルで動く。政府の悠長な決定を待っていたら、1年を棒に振ってしまうところだった」と畠山さん。6月には例年通り、気仙沼湾に注ぐ大川上流の山で植樹祭が行われた。
もともと「森は海の恋人運動」は25年前、畠山さんが仏のカキ事情を視察したことが発端だった。川が海に注ぎ込む汽水域を見て、生態系の豊かさに衝撃を受けたことが、赤潮による汚染に悩む故郷の海の再生のヒントになった。
畠山さんは感謝の気持ちを込めパトリックさんに提案をした。「再来年の春、わが家に招待しますよ。震災前と同じようにおいしいカキを用意して…」。もちろん、申し出は快諾された。「愛用のナイフ持参でうかがいますよ!」
http://www.sankeibiz.jp/business/news/111011/bsc1110111013000-n1.htm
磯田技師顕彰に「感謝」 長女・松任谷さん人柄語る
父の思い出を語る松任谷良子さん=東京都杉並区の自宅
日本統治時代の台湾で水利事業に尽力した金沢出身の磯田謙雄(のりお)技師の長女で 台北市生まれの松任谷(まつとうや)良子(りょうこ)さん(83)=東京都杉並区在住 =が30日までに、北國新聞社のインタビューに応じた。20歳で一家で金沢に引き揚げ た良子さんは「父の仕事が今でも台湾の人たちのお役に立っていると聞き、うれしく思う 」と少女時代を過ごした台湾を懐かしんだ。
良子さんが父の仕事で覚えているのは小学4年のころ、台湾北部の新竹(しんちく)県 を流れる頭(とう)前(ぜん)渓(けい)の土木工事である。父の転勤に伴い、新竹の官 舎に引っ越した。
「台風のひどい時に『現場が心配だから』と命懸けで見に行くんです。母は不安でたま らず、わたしも心細かった」と良子さんは回想する。家では仕事の話をほとんどしなかっ た磯田技師だが、技師が水を治めた新竹は、今や「台湾のシリコンバレー」と呼ばれるI T企業の集積地に発展している。
磯田技師の先輩に当たる同郷の八田與一(はったよいち)技師については「母と祖母が 『烏山頭(うさんとう)ダムの時はねえ』とか『八田さんの所は子どもさんが多くてにぎ やかだね』という話をしていた」という記憶が残る。
総督府に出勤する際は詰め襟の官服を着用し「子ども心に『お父さんって立派だなあ』 って思っていた」。家族で海水浴へ行くにも時刻表で緻密な計画を立てるタイプで、「父 は『贈り物は絶対に受け取るな』と厳しく言い、受け取ると怒るから母も困っていた」と 厳格な一面がのぞく。
一方で一人娘の良子さんをかわいがり「夕食後に映画に連れて行ってくれるのがうれし かった」と楽しい思い出に浸る。台湾生まれで台湾育ちの良子さんは台湾人の友人とよく 遊んだという。
父母と一緒に寝たきりの祖母を乗せ、最後の病院船で日本に引き揚げたのは、終戦から 2年後だった。中華民国が台湾で支配権を確立した後も、日本人技師の多くは「留用」と いう形で仕事をした。良子さんは「台湾の人たちは汽笛を鳴らして引き揚げ船を見送って くれた」と脳裏に焼き付いた光景を語る。
台中市では農業用水「白冷しゅう(はくれいしゅう)」を造った磯田技師を顕彰し、昔 の水管を保存している。良子さんは「父がこんな仕事をしていたとは知らなかった。台中 の人たちに感謝です。いつかお会いしたいね」と笑顔を見せた。
【10月31日03時32分更新】
http://www.toyama.hokkoku.co.jp/subpage/H20111031103.htm
台湾に「水利の父」もう一人 金沢出身で八田技師の後輩、磯田謙雄
タンチョウ 繁殖研究で台湾に
10月30日 17時23分
北海道に生息する国の特別天然記念物のタンチョウが、温暖な地域でも繁殖できるかを研究するため、台湾に無償で貸し出され、30日から台北の動物園で一般公開が始まりました。
台湾に来たのは、北海道の釧路市で飼育されていたオスとメスの2羽のタンチョウで、先月中旬に台北の動物園に到着し、このうち9歳のオスの「ビッグ」が、30日から一般公開されました。それに合わせ、北海道の高橋知事ら日本からの訪問団およそ140人も出席して式典が行われ、高橋知事は、北海道を訪れる外国人観光客の中で台湾からの観光客が最も多いことに触れ、「ぜひ北海道にも野生のタンチョウを見にきてほしい」とあいさつしました。このあと、訪れた家族連れなどが、飼育場の中を歩くタンチョウの姿を興味深そうに写真に収めていました。訪れた人たちは、「頭の赤い部分がとてもきれい」とか、「北海道で野生のタンチョウを見てみたい」などと話していました。北海道のタンチョウが海外に出るのは初めてで、北海道とは違う温暖な地域でも繁殖できるかどうか研究が進められることになっていて、もう1羽のメスのタンチョウは来年1月に公開される見通しだということです。高橋知事は「東日本大震災を受けて、台湾からの観光客はまだ2割ほど落ち込んでいるので、タンチョウの交流をきっかけに観光客を回復したい」と話していました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111030/t10013608671000.html
アジとコイ、仲良く泳ぐ水槽完成…岡山理科大
アジやエイといった海水魚と、ニシキゴイ、アロワナなどの淡水魚が一緒に泳ぎ回る不思議な水槽が19日、岡山理科大学(岡山市)に完成した。
12種約20匹が同居している。
工学部の山本俊政准教授が、海水の約60の成分を調べ、海水魚に欠かせない最低限の成分や濃度を解明。淡水に、ナトリウムやカリウムなど数種類をわずかに加えることで、海水魚も生息できるように工夫した。
お披露目には、同大学特別栄誉教授でノーベル化学賞受賞者の鈴木章さんも出席。興味深そうに見つめ、「初めて見た。すごいね」と感心していた。
(2011年11月19日15時52分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20111119-OYT1T00433.htm
【水産】海水使わずクロマグロ養殖へ 岡山理大が実験水槽の建設着工
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1256746944/
【生物】好適環境水 フグすくすく?…岡山理大実験開始 淡水にナトリウムなど加える
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1270732766/
参考動画
http://www.youtube.com/watch?v=o-ZLAulwRU8
京大病院にiPS専門部、10年内に臨床応用

京都大学病院は18日、体内のあらゆる細胞に変化できるiPS細胞(新型万能細胞)の臨床応用を推進する「iPS細胞臨床開発部」を来月に新設すると発表した。開発部は「iPS細胞外来」と「品質管理技術開発室」の2部門で構成。同病院の医師や京大の研究者ら77人が兼務する。
外来は週2日あり、研究に協力する難病患者への説明や皮膚などの採取を行う。皮膚などから作製したiPS細胞は、国内外の研究機関で病因の解析や新薬の薬効試験に活用される。当面は同病院の患者が対象だが、1年以内には院外の患者にも対象を広げる。
品質管理技術開発室では、京大が計画しているiPS細胞バンク構想を推進する。最新鋭の検査機器を備え、移植しても拒絶反応が起きないように細胞の白血球型や安全性を調べる。品質を保つための技術開発も行う。
(2011年11月18日22時59分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20111118-OYT1T01114.htm
がん細胞:スプレーで発光 手術、検査で見落とし防ぐ--東大など試薬開発
患部にスプレーをかけて、がんだけを明るく光らせる技術を、東京大と米国立衛生研究所のチームが開発し、23日の米医学誌「サイエンス・トランスレーショナル・メディシン」に発表した。マウスの実験で確認した。手術や検査の際、がんの見落としを防ぐ方法として、臨床応用を目指す。
チームは、がん細胞で特に働きが強まる酵素を見つけ、その酵素と結びつくと緑色に光る試薬を開発した。がんを移植したマウスの腹部を開け、試薬をスプレーしたところ、数十秒~数分後にがんの部分だけが肉眼でも確認できるほど強く光り出した。開腹せず内視鏡を使ってスプレーした場合も同じ結果が得られた。
この酵素は肺がんや肝臓がん、一部の乳がん、大腸がんなどで強く働く。正常細胞にもこの酵素は存在するが、がん細胞の方が20倍以上明るく光るため、区別が可能。1ミリ以下のがんも光らせることができるという。
チームの浦野泰照・東京大教授(ケミカルバイオロジー)は「使用量はヒトの場合でも1ミリグラム程度と極めて微量で、副作用の心配は少ない。切除手術中に見落としがないかを確認したり、がんの転移を確認するのに役立てたい」と話す。【永山悦子】
毎日新聞 2011年11月24日 東京朝刊
http://mainichi.jp/select/science/news/20111124ddm005040087000c.html
がん成長抑える物質発見=免疫細胞が分泌-東大など
がんの成長を助長する異常な炎症反応を抑える物質を、東京大と大阪バイオサイエンス研究所、動物衛生研究所の研究チームが21日までに発見した。この物質は免疫細胞の一種が分泌する「プロスタグランジンD2(PGD2)」。働きを強めることができれば、新たな治療法になるという。研究成果は米科学アカデミー紀要電子版に発表される。
東大大学院農学生命科学研究科の村田幸久助教らは、がん組織で免疫細胞の一種「肥満細胞」にPGD2の合成酵素があることを発見。この合成酵素を作れないマウスを生み出したところ、がん組織で異常な炎症反応が起きたり、血管が新たに形成されたりして、がんの成長が速かった。(2011/11/22-05:12)
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011112200043
生プラ:急速分解する酵素 大量生産の技術を開発
酵素液に浸した生分解性プラスチック製マルチフィルムの断片(右)。30分後に完全に分解した。左側は普通の水に浸した断片=茨城県つくば市の農林水産技術会議事務局筑波事務所で、安味伸一撮影
農業環境技術研究所(茨城県つくば市)は、生分解性プラスチック(生プラ)製の農業用フィルムを短時間で分解する酵素を大量生産する技術を開発した。この酵素を農地に張った生プラ製フィルムに散布すると、半日程度で穴が開くほど分解が早まる。必要な時に現場で消滅させることができ、生プラを多彩な分野に応用できるようになるという。
30日~来月2日に千葉・幕張メッセで開かれるアグリビジネス創出フェアに出展する。
生プラは微生物の働きで自然に分解される。農業の現場では、回収の労力とごみの量を減らすため、さまざまな生プラ製資材が使われ始めた。ただ、生プラの分解時期は人為的に決めることができず、数カ月は分解しない。
農環研は08年、イネやオオムギから生プラを効率的に分解する菌を発見。これらの菌の培養液に糖の一種キシロースを加えると、生プラを分解する酵素を大量に分泌することを突き止めた。今回の方法は、生産効率が発見当時の4万倍になる。
農環研の北本宏子主任研究員は「使い手が好きな時に分解させられる。将来、使用済みのさまざまな生プラ製品を短時間で分解する技術を実用化したい」と話している。【安味伸一】
毎日新聞 2011年11月26日
http://mainichi.jp/select/science/news/20111126k0000e040030000c.html
2011.11.3 12:57
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秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁さまの「着袴(ちゃっこ)の儀」と「深曽木(ふかそぎ)の儀」が3日、東京・元赤坂の赤坂東邸で行われた。皇室のお子さまが5歳になるころ、健やかな成長を祈って行われる伝統行事で、宮内庁によると、両儀式で身につけられた着物は天皇、皇后両陛下が贈られた。
男子皇族が両儀式に臨まれるのは、昭和45年の秋篠宮さま以来、41年ぶり。
ご夫妻と、姉の眞子さま、佳子さま、秋篠宮妃紀子さまの両親が両儀式を見守られた。着袴の儀では、たたみの上に吉方を向いて立ち、白いはかまを着用された。
童形(どうぎょう)服姿で臨んだ深曽木の儀では扇を持って碁盤の上に乗り、髪を整えて足元の青石を踏んだ後、元気に飛び降りられた。儀式は平安時代から皇室に伝わるともされるが、詳しい意味は不明という。
終了後、悠仁さまはご家族と一緒に赤坂東邸の車寄せに姿を見せ、報道関係者の「おめでとうございます」という声に、「ありがとうございます」とにこやかに話された。続いて皇居・宮中三殿を参拝し、両陛下にあいさつをされた。
儀式は今春に予定されていたが、東日本大震災のため延期されていた。
宮内庁によると、悠仁さまはお茶の水女子大付属幼稚園の年中組で元気に過ごしており、年下の子が困っているときには助けることがあるという。最近は恐竜に興味を持ち、図鑑をよくご覧になっている。
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http://sankei.jp.msn.com/life/news/111103/imp11110313000001-n1.htm
悠仁さま「着袴の儀」、男性皇族41年ぶり 健やかな成長願う
2011/11/3 23:47
秋篠宮家の長男、悠仁(ひさひと)さま(5)の「着袴(ちゃっこ)の儀」「深曽木(ふかそぎ)の儀」が3日午前、東京・元赤坂の赤坂東邸で行われた。いずれも健やかな成長を願って5歳ごろに行われる平安時代から続く皇室行事で、男性皇族では秋篠宮さま以来41年ぶり。
着袴の儀は初めて袴を着ける儀式。悠仁さまは天皇、皇后両陛下から贈られた滝の流れをあしらった落滝津(おちたきづ)の服に白い袴を着けられた。
続く深曽木の儀で悠仁さまは、童形服(どうぎょうふく)姿に。皇太子さま、秋篠宮さまも儀式に使った碁盤の上に乗り、宮内庁御用掛がはさみで髪の毛を3度切ると、悠仁さまは少し緊張した表情を浮かべながらも、盤上に置かれた2個の黒い小石を踏んで元気に飛び降りられた。
儀式を終えた悠仁さまは、赤坂東邸前で報道陣から「悠仁さま、おめでとうございます」と声をかけられると、少しはにかみながらも「ありがとうございます」とはっきりとした声で答えられた。
儀式は当初、春に予定していたが、東日本大震災の発生などを踏まえ、延期していた。
宮内庁によると、幼稚園年中組の悠仁さまは友達と遊んだり、年少組の子の手助けをしたりして2学期を元気に過ごしているといい、最近は虫などの生き物だけでなく恐竜にも関心を持たれている。
http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C889DE1E4E0E3E0EAE0E2E2E1E3E3E0E2E3E39180EAE2E2E2;av=ALL
悠仁さまが「着袴の儀」
11月3日 12時13分
秋篠宮ご夫妻の長男の悠仁さまは、3日、健やかな成長を願って行われる皇室の儀式、「着袴(ちゃっこ)の儀」に臨まれました。男子の皇族がこれらの儀式に臨むのは、昭和45年10月の秋篠宮さま以来41年ぶりです。
「着袴の儀」は、平安時代から伝わる皇室の儀式で、子どもが5歳を迎えたころに健やかな成長を願って行われます。ことしの9月6日で5歳になった悠仁さまは、3日午前、お住まいのある東京の赤坂御用地の施設で、秋篠宮ご夫妻や姉の眞子さま、佳子さまが見守るなか、儀式に臨まれました。はじめに天皇皇后両陛下から贈られた袴を身につける「着袴の儀」が行われ、滝の模様が入った織物を着た悠仁さまは、側近の職員に白いはかまをはかせてもらいました。続いて「深曾木の儀(ふかそぎのぎ)」と呼ばれる儀式が行われ、亀甲や菊の柄の織物を羽織った悠仁さまは、碁盤の上に立ち、髪の毛をくしでそろえてはさみで切ってもらったあと、碁盤から飛び降りられました。この動作は、元気な成長ぶりを示すものとされていて、悠仁さまはこれで儀式を終えられました。男子の皇族がこれらの儀式に臨むのは、昭和45年10月の秋篠宮さま以来41年ぶりです。儀式を終えた悠仁さまは、ご家族とともに記者団の前に姿を見せ「おめでとうございます」と声をかけられると、少し照れくさそうにほほえんで「ありがとうございます」とこたえられていました。悠仁さまは、このあと皇居の宮中三殿に参拝し、両陛下にもあいさつをされたということです。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111103/t10013708041000.html
<皇室に対して敬語を使わないメディア群↓↓↓↓ 朝日・毎日・共同・時事>
悠仁さま5歳「着袴の儀」 男子皇族は41年ぶり
秋篠宮ご夫妻の長男悠仁(ひさひと)さま(5)の健やかな成長を願う儀式「着袴(ちゃっこ)の儀」と「深曽木(ふかそぎ)の儀」が3日、東京・元赤坂の赤坂東邸で行われた。一般の七五三にあたる皇室の行事。
秋篠宮ご一家が見守る中、悠仁さまは着袴の儀に落滝津(おちたぎつ)の服で臨み、宮内庁職員らに白い袴(はかま)を着けてもらった。深曽木の儀では童形服(どうぎょうふく)の正装で髪をすきそろえて切ってもらった後、扇や木の枝を両手に持って、高さ約27センチの碁盤から飛び降りた。
儀式を終え、ご一家で赤坂東邸玄関に現れた悠仁さまは「おめでとうございます」と記者団に声をかけられ、「ありがとうございます」とはにかんだ。その後、皇居・宮中三殿で参拝し、御所で天皇、皇后両陛下にあいさつした。
着袴の儀は皇太子ご夫妻の長女愛子さま(9)も2006年11月に行ったが、深曽木の儀は主に男子皇族の儀式とされ、父親の秋篠宮さま(45)が1970年10月に行って以来41年ぶり。今春に予定されていたが、東日本大震災で延期された。
asahi.com(朝日新聞社)
http://www.asahi.com/national/update/1103/TKY201111030231.html
皇室:悠仁さま「着袴の儀」 健やかな成長祈り
秋篠宮ご夫妻の長男悠仁さま(5)の「着袴(ちゃっこ)の儀」と「深曽木(ふかそぎ)の儀」が3日、赤坂御用地(東京都港区)の赤坂東邸であった。子供の健やかな成長を祈って平安時代から伝わる皇室の儀式。男子の皇族としては70年の礼宮さま(秋篠宮さま)以来41年ぶりとなる。
当初は今春に行われる予定だったが、東日本大震災で延期となっていた。宮内庁によると、秋篠宮ご夫妻、長女眞子さま、次女佳子さま、紀子さまの両親の川嶋辰彦夫妻が見守る中、悠仁さまが白いはかまをつけ、松田慶文・宮内庁御用掛がひもを結んで「着袴の儀」が終わった。
この後、「深曽木の儀」が行われ、天皇、皇后両陛下から贈られた「童形服(どうぎょうふく)」を着た悠仁さまは、右手に扇、左手に小松2本と山橘(やまたちばな)1本を持ち、青い小石二つを並べた碁盤の上に小石を踏んで立った。松田御用掛が悠仁さまの髪の毛を少し切り取ると、悠仁さまは南の方向に飛び降りた。
儀式を終えた悠仁さまは、赤坂東邸の玄関で報道陣から「おめでとうございます」と声をかけられると、少しはにかみながら「ありがとうございます」と答えた。【真鍋光之】
毎日新聞 2011年11月3日
http://mainichi.jp/select/wadai/koushitsu/news/20111104k0000m040033000c.html
悠仁さま着袴の儀 健やかな成長祝う
「着袴の儀」と「深曽木の儀」を終えた悠仁さまと秋篠宮ご夫妻、眞子さま(左)、佳子さま=3日午前、赤坂東邸(代表撮影)
秋篠宮家の長男悠仁さま(5)の「着袴(ちゃっこ)の儀」と「深曽木(ふかそぎ)の儀」が3日、東京・元赤坂の皇族共用邸宅「赤坂東邸」であった。どちらも健やかな成長を祝う皇室の儀式で、一般の七五三に当たる。男子だけがする深曽木の儀は、1970年の秋篠宮さま以来41年ぶりとなった。
白いはかまをはく着袴の儀に続き、童形服(どうぎょうふく)姿で右手に扇、左手にマツとヤマタチバナの若木を持ち、高さ約30センチの碁盤上から畳に飛び降りる深曽木の儀に臨んだ。
両儀式後、東邸前に姿を見せた悠仁さまは、報道陣が「おめでとうございます」と声を掛けると「ありがとうございます」とはにかんだ。
2011/11/03 15:07 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201111/CN2011110301000259.html
悠仁さま、着袴と深曽木の儀=成長祝い、男子で41年ぶり
秋篠宮ご夫妻の長男悠仁さま(5)は3日午前、東京・元赤坂の赤坂東邸で、「着袴(ちゃっこ)の儀」と「深曽木(ふかそぎ)の儀」に臨まれた。皇室のお子さまの成長を祝う儀式で、秋篠宮さま以来41年ぶり。春に予定されていたが、東日本大震災を受け延期となっていた。
落滝津(おちたぎつ)の服を着た悠仁さまは、ご夫妻と姉の眞子さま、佳子さま、祖父母の川嶋辰彦さん夫妻が見守る中、畳の上に南を向いて立つと、宮内庁御用掛が白のはかまをはかせ、ひもを結んだ。
続いて悠仁さまは童形服(どうぎょうふく)姿で、右手に扇、左手に小松2本と山橘(やまたちばな)1本の枝を持ち、皇太子さまと秋篠宮さまのときも使われた碁盤の上で、黒っぽい「青石(あおいし)」2個を踏み南を向いて立った。御用掛が髪をくしですきそろえ、はさみで毛先を少し切ると、悠仁さまは約27センチの高さから「ピョン」と飛び降りた。
式後の午前10時40分すぎ、悠仁さまは落滝津の服を着て、ご家族と赤坂東邸の玄関前に姿を見せた。報道陣から「悠仁さま、おめでとうございます」と声が掛かると、「ありがとうございます」と話し、笑顔を見せて歩いた。
この後、悠仁さまは皇居・宮中三殿で参拝し、ご夫妻と一緒に御所で天皇、皇后両陛下にあいさつした。悠仁さまがこの日着た装束は、両陛下から贈られた。(2011/11/03-12:50)
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&rel=j7&k=2011110300212&j4
日本は震災から立ち上がる=ブータン国王が国会演説

来日中のブータンのジグメ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王は17日午後、衆院本会議場で演説した。国王は「2011年は国交樹立25周年に当たる。ブータン国民は特別な愛着を日本に抱いてきた」と強調。東日本大震災について「このような不幸から強く立ち上がることができる国があるとすれば、日本と日本国民だ」と述べ、満場の拍手を受けた。
また、国王は「われわれの物質的支援はつつましいものだが、友情、連帯、思いやりは心からの真実だ」と表明。国連改革についても触れ、「安全保障理事会拡大の必要性だけでなく、日本がその中で指導的な役割を果たさなければならない」と日本の常任理事国入りを支持する考えを改めて示した。(2011/11/17-12:45)
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2011111700403
「震災復興すると確信」ブータン国王が国会演説
(11/17 14:55)
国賓として来日中のブータンのワンチュク国王が国会で演説し、震災復興に取り組む日本にエールを送りました。
ブータン・ワンチュク国王:「このような不幸からより強く、大きく立ち上がることができる国が一つあるとすれば、それは日本と日本国民であると私は確信しています。皆様が生活を再建し、復興に向けて歩むなかで、我々ブータン人は皆様とともにあります」
さらに、「日本は高い技術と勤勉さでアジアの多くの国の模範となってきた」と述べ、今後もアジアのリーダーとしての日本に期待感を示しました。そして、今年が国交樹立25周年にあたることを受けて、両国間でさらに絆を深める考えを強調しました。
http://www.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/211117026.html
「国民総"幸福"量」を重んじるブータン国王が国会で演説 全文
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皆様が生活を再建し復興に向け歩まれるなかで、我々ブータン人は皆様とともにあります。我々の物質的支援はつましいものですが、我々の友情、連帯、思いやりは心からの真実味のあるものです。ご列席の皆様、我々ブータンに暮らす者は常に日本国民を親愛なる兄弟・姉妹であると考えてまいりました。両国民を結びつけるものは家族、誠実さ。そして名誉を守り個人の希望よりも地域社会や国家の望みを優先し、また自己よりも公益を高く位置づける強い気持ちなどであります。2011年は両国の国交樹立25周年にあたる特別な年であります。しかしブータン国民は常に、公式な関係を超えた特別な愛着を日本に対し抱いてまいりました。私は若き父とその世代の者が何十年も前から、日本がアジアを近代化に導くのを誇らしく見ていたのを知っています。すなわち日本は当時開発途上地域であったアジアに自信と進むべき道の自覚をもたらし、以降日本のあとについて世界経済の最先端に躍り出た数々の国々に希望を与えてきました。日本は過去にも、そして現代もリーダーであり続けます。
このグローバル化した世界において、日本は技術と確信の力、勤勉さと責任、強固な伝統的価値における模範であり、これまで以上にリーダーにふさわしいのです。世界は常に日本のことを大変な名誉と誇り、そして規律を重んじる国民、歴史に裏打ちされた誇り高き伝統を持つ国民、不屈の精神、断固たる決意、そして秀でることへ願望を持って何事にも取り組む国民。知行合一、兄弟愛や友人との揺るぎない強さと気丈さを併せ持つ国民であると認識してまいりました。これは神話ではなく現実であると謹んで申しあげたいと思います。それは近年の不幸な経済不況や、3月の自然災害への皆様の対応にも示されています。
皆様、日本および日本国民は素晴らしい資質を示されました。他の国であれば国家を打ち砕き、無秩序、大混乱、そして悲嘆をもたらしたであろう事態に、日本国民の皆様は最悪の状況下でさえ静かな尊厳、自信、規律、心の強さを持って対処されました。文化、伝統および価値にしっかりと根付いたこのような卓越した資質の組み合わせは、我々の現代の世界で見出すことはほぼ不可能です。すべての国がそうありたいと切望しますが、これは日本人特有の特性であり、不可分の要素です。このような価値観や資質が、昨日生まれたものではなく、何世紀もの歴史から生まれてきたものなのです。それは数年数十年で失われることはありません。そうした力を備えた日本には、非常に素晴らしい未来が待っていることでしょう。この力を通じて日本はあらゆる逆境から繰り返し立ち直り、世界で最も成功した国のひとつとして地位を築いてきました。さらに注目に値すべきは、日本がためらうことなく世界中の人々と自国の成功を常に分かち合ってきたということです。
~
http://news.nicovideo.jp/watch/nw147415
http://news.nicovideo.jp/watch/nw147415
http://www.youtube.com/watch?NR=1
ブータン国王夫妻 被災地訪問へ
11月15日 10時27分
ブータンのワンチュク国王夫妻が15日朝、震災後初めての国賓として来日しました。国王夫妻は滞在期間中、福島県の被災地も訪れ、子どもたちと交流することにしています。
ブータンのワンチュク国王夫妻が乗った航空機は15日朝6時ごろ、成田空港に到着しました。ワンチュク国王とジェツン王妃は先月、結婚したばかりで、震災後初めての国賓として来日しました。民族衣装に身を包んだ国王夫妻は報道陣が英語で「ようこそ日本へ」と呼びかけると、にこやかに英語で「ありがとう」と応じていました。ブータンは国民の豊かさを測る目安としてGNH=「国民総幸福」という指標を取り入れ、経済成長よりも国民が幸せと感じる幸福度を重視するユニークな国づくりを進めていることで知られています。国王夫妻は今月20日まで日本に滞在し、野田総理大臣と面会するほか国会で演説を行う予定です。また、津波で大きな被害を受けた福島県相馬市を訪れて子どもたちと交流することになっています。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111115/t10013966231000.html
歓迎に「強い絆できた」=ブータン国王夫妻、小学校訪問-福島

国賓として来日中のブータンのジグメ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王とジェツン・ペマ王妃が18日、福島県相馬市の桜丘小学校を訪問した。15日の来日以降、国王夫妻が東日本大震災の被災地を訪れたのは初めて。
歓迎行事では、児童を代表して6年の後藤香純さん(11)が「お二人に会えたことは私たちの励みになり、希望になります」とあいさつ。5、6年生が合唱や踊りを披露すると、国王夫妻は笑顔で拍手した。
ワンチュク国王は「ブータン国民を代表し、皆さんを励まし親愛の情を表すために来ました」と児童らに語り掛けた。
王妃は「今度来日する時は、必ず(桜丘小を)訪問します」と述べ、国王も「きょうここで強い絆ができた。また来たい」と笑顔で児童らに約束した。(2011/11/18-17:29)
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201111/2011111800738
ブータン国王夫妻 被災地訪問
11月18日 18時50分
国賓として日本を訪れているブータンのワンチュク国王夫妻は18日、東日本大震災で大きな被害を受けた福島県相馬市を訪れ、被災した子どもたちを激励したほか、ブータン国民を代表して犠牲者を追悼しました。
ブータンのワンチュク国王は、結婚したばかりのジェツン王妃を伴って、15日から日本を訪れていて、18日の午後は、東日本大震災で被災した福島県相馬市の桜丘小学校を訪問しました。ここに通う児童の中には、仮設住宅での生活を続けている子どもたちもいて、児童の代表は「私たちの中には不自由な暮らしをしている人がたくさんいます。しかし、きょうお目にかかれて励みになりました」とあいさつしました。これに対してワンチュク国王は、ブータンの国旗に描かれ国のシンボルともなっている「竜」の物語を引用し、「竜は私たちみんなの心の中に居て、『経験』を食べて成長します。だから、私たちは日増しに強くなるのです」と述べ、児童たちを励ましました。このあと国王夫妻は、津波で多くの住宅が流された原釜地区を訪れ、立谷秀清市長から被害状況の説明を受けました。この辺りは、震災から8か月が過ぎた今も津波の深い傷跡が残っていて、国王夫妻はおよそ30人のブータン政府関係者と共に、手を合わせて犠牲者を追悼しました。1日の訪問を終えたワンチュク国王は報道陣に対し、「ここに来ることができてとてもよかったです。私たちはこれからも祈り続けます」と話し、被災地を後にしました。国王夫妻はこのあと京都へ移動し、20日、ブータンに帰国する予定です。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111118/t10014058591000.html
ブータン国王夫妻来日へ 11月中旬に「新婚旅行」
金より幸福を大切にするブータン 日本を「友好国」と見る理由
復興支援のクウェート産原油到着=代金400億円、被災地に寄付
東日本大震災の復興支援として、クウェート政府が日本に無償提供する原油500万バレル(約400億円相当)の第1陣が12日、受け入れ先のJX日鉱日石エネルギー根岸製油所(横浜市)に到着した。代金相当額は、原油を仕入れる同社など石油会社4社を通じて日本赤十字社に寄付され、被災地の支援金に使われる。
枝野幸男経済産業相は同製油所で行われた贈呈式で「心より敬意とお礼を申し上げる。しっかりと復旧・復興を進めたい」とクウェート側に謝意を述べた。500万バレルは日本の輸入量の1.5日分に相当し、年内に全量が到着する見通し。(2011/10/12-19:43)
http://www.jiji.com/jc/c?g=eco_30&k=2011101200809
「王様」ペレ氏が激励 宮城の小学校にボール贈る
2011.10.17 15:47
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2014年サッカーワールドカップ(W杯)ブラジル大会のPRで来日している「サッカーの王様」ペレ氏が17日、東日本大震災の被災地、宮城県名取市の市立不二が丘小学校を訪れ、サッカーボールを贈った。
ペレ氏は「ブラジル国民を代表して励ましの言葉を届けに来ました」とあいさつ。子どもたちが求めるサインや握手に笑顔で応じた。ペレ氏を一目見ようと、100人以上の住民が小学校に集まった。
同市閖上地区の自宅と通っていた学校が津波で被災し、不二が丘小に間借りしている市立閖上小の5年、工藤精修君(10)と弟の2年、丈武君(8)は、ペレ氏からポルトガル語で「友達」と書かれたサインをもらった。サッカーが大好きという丈武君は「もっと練習して将来は日本代表になりたい」と目を輝かせていた。
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http://sankei.jp.msn.com/life/news/111017/trd11101715480016-n1.htm
思い入れある日本励ましたい…ペレさん、宮城に
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元ブラジル代表選手で「サッカーの王様」と呼ばれるペレ氏が17日、被災地の宮城県名取市を訪れた。
サイン入りボールなどをプレゼントして住民や子どもたちと触れ合った。
ペレ氏は2014年のワールドカップブラジル大会のPRも兼ねて来日。昔から日系ブラジル人と付き合いがあるといい、「特別な思い入れがある日本を励ましたい」との思いから被災地を訪ねた。
津波で壊滅した日和山に花を供えた後、同市立不二が丘小学校で、近くの仮設住宅の住民に毛布やホットカーペットを寄贈した。子どもたちにはその場でサインをしたボールや「あなたの友達より」と書いた色紙を贈った。
ペレ氏は「ブラジルとして協力できることがあれば、いつでも準備が出来ている」などと、支援を惜しまない考えを伝えた。
(2011年10月18日13時20分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866918/news/20111018-OYT1T00048.htm?from=popin
「王様」ペレ、宮城の子に「ブラジルを代表して来た」
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サッカー元ブラジル代表で「王様」の異名を取るペレさん(70)が17日、東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県名取市を訪れ、子どもたちを励ました。
ペレさんは、津波で使えなくなった閖上(ゆりあげ)小、閖上中の児童・生徒が通う不二が丘小を訪問。朝礼台に立って250人の子どもたちに「ブラジル国民を代表して励ましの言葉を伝えに来ました」とあいさつし、ボール20個を贈ったり、サインや撮影に応じたりした。
冬を迎える仮設住宅にも、ホットカーペット450枚や電気毛布105枚をプレゼントした。仮設住宅に住む閖上小6年の氏家知輝君(12)は「めげずにサッカーをする元気をもらった」と話していた。
http://www.asahi.com/national/update/1017/TKY201110170432.html
ダライ・ラマ14世来日、被災者と交流も予定
来日したダライ・ラマ14世(大阪空港で)
チベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世が29日、高野山大学(和歌山県高野町)などの招きで来日し、大阪(伊丹)空港に到着した。
30日には大阪市此花区の舞洲アリーナで「人生の困難を生きぬく力」などをテーマに特別講演を開催。31日~11月3日までは高野山大学で、法話や青年僧との対談を行う。その後、東日本大震災の被災地を訪れ、被災者との交流を予定している。
(2011年10月30日13時11分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20111030-OYT1T00387.htm
ダライ・ラマ14世が高野山大で特別法話
松長有慶管長(左)と登壇したダライ・ラマ14世(右から2人目、31日午後、和歌山県高野町の高野山大学で)=枡田直也撮影
来日中のチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世(76)が31日、和歌山県高野町の高野山大で特別法話を行った。僧侶や市民ら約850人の前で幸福や愛について語り、「人々の平和な顔を見るのが一番幸せ」と述べた。
創立125周年を迎えた高野山大の招きで、31年ぶりに高野山を訪れたダライ・ラマは、高野山真言宗・総本山金剛峯寺の松長有慶管長(82)と登壇。質問に立った若い僧には「愛と慈悲の心を育むため、大いに勉強して知性を磨いて」と助言した。
11月4日まで高野山に滞在した後、宮城県や福島県を訪問し、東日本大震災の被災者と交流する。
(2011年11月1日 読売新聞)
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20111101-OYO1T00535.htm?from=main4
ダライ・ラマ、仙台で会見 被災地の苦しみ「分かち合いたい」
2011/11/4 20:14
来日中のチベット仏教最高指導者、ダライ・ラマ14世は4日、東日本大震災の慰霊と復興祈願のため訪れた仙台市で記者会見し、「より多くの人に会い、悲しみ、苦しみを共に分かち合いたい」と話した。
5、6日に宮城県石巻市と仙台市、福島県郡山市を訪れ、慰霊供養や講演をして被災者らと交流する。
ダライ・ラマ14世は記者会見で、被災地の人々への思いについて、「町を立て直していくために悲しみを頑張る力に変容させてほしい」と発言。その上で、「悲しみを取り除くことができるわけではないが、お目にかかって深い悲しみを感じ合いたい」と話した。
http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C93819695E2E6E2E18B8DE2E6E3E3E0E2E3E39191E3E2E2E2;av=ALL
ダライ・ラマが石巻で法要「悲しみ乗り越えて」
2011.11.5 12:53
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来日中のチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世が5日、宮城県石巻市の西光寺を訪れて慰霊法要に出席、東日本大震災の犠牲者を悼むとともに「あまり落胆せず、思いやりを持ってこの悲しみを乗り越えてほしい」と被災者を励ました。
法要には約千人の被災者が参加。ダライ・ラマ14世は「震災で身近な人を亡くした皆さんの心の痛みを、一人の人間として分かち合いたかった」と石巻を訪れた思いを語り、本堂や参道を練り歩いて参加者と触れ合った。
ダライ・ラマ14世は4月にも日本を訪れ、東京都内で震災の犠牲者を悼む「四十九日特別慰霊法要」を行った。
石巻市は東日本大震災で死者・行方不明者が3800人を超え、被災市町村で最多の人的被害を出した。(共同)
http://www.sanspo.com/shakai/news/111105/sha1111051255013-n1.htm
ダライ・ラマ14世、石巻で「必ず再興できる」
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来日中のチベット仏教最高指導者、ダライ・ラマ14世(76)が5日、宮城県石巻市の西光寺を訪れ、東日本大震災の犠牲者を慰霊する法要に出席した。
大震災の被災地訪問は初めてで、法話では「人生を強い決意で正しく生きてほしい。その結果として必ず美しいまちを再興できる」と、被災者らに語りかけた。
法要は石巻仏教会の主催で、津波による犠牲者の遺族ら約1000人が参加。出迎えた子どもたちの手を取り、声をかけながら本堂に入り、参加者を前に「優しさや思いやりがあれば、必ず困難を乗り越えられる」と話した。
ダライ・ラマ14世は10月29日に来日。「苦しみを感じ、分かち合いたい」と、かねて被災地入りを希望していた。
(2011年11月5日12時05分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20111105-OYT1T00377.htm?from=popin
ダライ・ラマ、被災地で法要=「悲しみを再建の力に」―宮城・石巻
2011年11月5日13時6分
チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世が5日午前、東日本大震災の犠牲者の慰霊のため、甚大な被害を受けた宮城県石巻市にある西光寺で法要を行った。ダライ・ラマが被災地を訪れるのは初めて。震災で家族や友人を失った参列者約1000人を前に、「悲劇が起きてしまったが、悲しみに沈み過ぎずに故郷再建の力に変えてほしい」と語り掛けた。
ダライ・ラマは、沿道で出迎えた園児や参列者に「孤児はいるのか」「津波のときはどこにいたのか」などと声を掛けながら参堂。チベット語で読経した後、説法し「日本人には強い精神力と協調性がある。町をよみがえらせ、良い教育を与えることで、次なる世代に幸せを引き継ぐことができる」と被災者を励ました。
[時事通信社]
http://www.asahi.com/national/jiji/JJT201111050036.html
【震災】ダライ・ラマ14世が法要 宮城・石巻市(11/05 11:52)
宮城県石巻市では、チベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世を迎えて、東日本大震災の犠牲者を悼む法要が行われました。
ダライ・ラマ14世は、震災の犠牲者の供養と復興を祈るため、4日から宮城県を訪れています。ダライ・ラマ14世が被災地を訪れるのは初めてです。石巻市で行われた法要には約800人が参列し、ダライ・ラマ14世は、チベット語で読経した後、「日本人の持つ強さや正直な心、協調性を持ってすれば、必ずもとの美しい街を取り戻せる。それが実現した際は、またこの場に呼んでほしい」と述べ、被災者を励ましました。ダライ・ラマ14世は、5日午後には仙台市内で講演を行う予定です。
http://www.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/211105013.html
「悲しみを頑張る力に」 ダライ・ラマ14世、東北入り
東日本大震災の被災地に寄せる思いを語るダライ・ラマ14世=4日、仙台市青葉区のホテルメトロポリタン仙台
来日中のチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世(76)が4日、東日本大震災の復興を祈願するため、震災後初めて東北入りした。仙台市内のホテルで記者会見し、「悲しみを分かち合い、被災した街を立て直す力に変容させていきたい」と語った。
ダライ・ラマは、大津波による甚大な被害と放射能の不安にさらされた東北の被災地を「人間がコントロールできる範囲を超えた苦しみに直面している」と思いやり、「本当に悲しく、心を痛めている」と述べた。
人間は、さまざまなつながりの中で支え合いながら社会生活を営む生き物だと指摘。「苦しみを一人で背負い込むようなことがあってはいけない。人と人の関係性を大切にし、悲しみを分かち合って共に生きていきたい」と訴えた。
困難を乗り越えることが再生につながるとの考えも示し、「悲しんでばかりでなく、悲しみを頑張る力に変容させていってほしい」と述べた。
ダライ・ラマは6日まで宮城県に滞在。仙台市と石巻市の寺院を訪ね、被災者と触れ合う。「今、逆境をのりきるために必要なこと」などと題する法話を行って、被災地再生に向けたメッセージを発信する。
2011年11月05日土曜日
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/11/20111105t13014.htm
40年前の“恩返し” ルイ・ヴィトン、震災被害の宮城産カキを支援
2011.10.11 10:09
フランスの高級ブランド、ルイ・ヴィトンが、東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城のカキ養殖復活の支援に乗り出している。背景には、生ガキを愛する日仏の美食文化と、両国の養殖業者、研究者の40年以上にわたる交流があった。(黒沢綾子)
◇
リアス式海岸が続く三陸・舞根(もうね)湾(宮城県気仙沼市)。海上には、新しい養殖いかだが30台以上浮かび、その下で幼いカキが育っている。「震災直後は海に生き物の姿がなかったけれど復活は早い。小さなカキなら来春には食べられますよ」
そう話すのは父の代からカキ養殖業を営む畠山重篤さん(68)。「豊かな漁場づくりには森、川、海の一貫した環境保全が重要」と訴え「森は海の恋人」をスローガンに漁民による植樹活動を先導してきたエッセイストでもある。
経営する「水山(みずやま)養殖場」の施設は大津波で全壊。船もいかだも流失した。「この西舞根地区には家が52軒あったんですが、44軒が流された。廃業する養殖業者は全体の約3割にのぼりそうです」と説明する。
震災から約1カ月後、畠山さんは意外な相手から支援金の申し出を受けた。仏高級ブランド、ルイ・ヴィトン。「一瞬、なぜ?と思いました」と振り返る。
40年前の「恩返し」
ルイ・ヴィトンの社員らは東北の惨状を知り、四十数年前のエピソードを思い出していた。仏名産のブルターニュのカキがウイルス性の病気で壊滅状態に陥ったとき、窮地を救ったのが宮城県の北上川河口で生産された種カキ。昭和46年、仏に3360トン、金額で約7億5千万円の宮城種(みやぎだね)が輸出されたという。
ルイ・ヴィトン家5代目当主、パトリック・ルイ・ヴィトンさん(60)もその経緯を「当然知っていましたよ。わが家は皆、カキが大好きでね」とうなずく。7月末に来日した際、畠山さんに「ルイ・ヴィトンと日本の絆は強い。再起のお手伝いができて光栄です」と語りかけた。
豊かな生態系守る
畠山さんは「日本人には世話をかけた相手にお返しをする義理人情がありますが、それは世界共通だった」。同社からの支援金は三陸の漁業復興とともに「森は海の恋人運動」の推進にも使われている。
「生き物を扱う仕事は季節のサイクルで動く。政府の悠長な決定を待っていたら、1年を棒に振ってしまうところだった」と畠山さん。6月には例年通り、気仙沼湾に注ぐ大川上流の山で植樹祭が行われた。
もともと「森は海の恋人運動」は25年前、畠山さんが仏のカキ事情を視察したことが発端だった。川が海に注ぎ込む汽水域を見て、生態系の豊かさに衝撃を受けたことが、赤潮による汚染に悩む故郷の海の再生のヒントになった。
畠山さんは感謝の気持ちを込めパトリックさんに提案をした。「再来年の春、わが家に招待しますよ。震災前と同じようにおいしいカキを用意して…」。もちろん、申し出は快諾された。「愛用のナイフ持参でうかがいますよ!」
http://www.sankeibiz.jp/business/news/111011/bsc1110111013000-n1.htm
磯田技師顕彰に「感謝」 長女・松任谷さん人柄語る
父の思い出を語る松任谷良子さん=東京都杉並区の自宅
日本統治時代の台湾で水利事業に尽力した金沢出身の磯田謙雄(のりお)技師の長女で 台北市生まれの松任谷(まつとうや)良子(りょうこ)さん(83)=東京都杉並区在住 =が30日までに、北國新聞社のインタビューに応じた。20歳で一家で金沢に引き揚げ た良子さんは「父の仕事が今でも台湾の人たちのお役に立っていると聞き、うれしく思う 」と少女時代を過ごした台湾を懐かしんだ。
良子さんが父の仕事で覚えているのは小学4年のころ、台湾北部の新竹(しんちく)県 を流れる頭(とう)前(ぜん)渓(けい)の土木工事である。父の転勤に伴い、新竹の官 舎に引っ越した。
「台風のひどい時に『現場が心配だから』と命懸けで見に行くんです。母は不安でたま らず、わたしも心細かった」と良子さんは回想する。家では仕事の話をほとんどしなかっ た磯田技師だが、技師が水を治めた新竹は、今や「台湾のシリコンバレー」と呼ばれるI T企業の集積地に発展している。
磯田技師の先輩に当たる同郷の八田與一(はったよいち)技師については「母と祖母が 『烏山頭(うさんとう)ダムの時はねえ』とか『八田さんの所は子どもさんが多くてにぎ やかだね』という話をしていた」という記憶が残る。
総督府に出勤する際は詰め襟の官服を着用し「子ども心に『お父さんって立派だなあ』 って思っていた」。家族で海水浴へ行くにも時刻表で緻密な計画を立てるタイプで、「父 は『贈り物は絶対に受け取るな』と厳しく言い、受け取ると怒るから母も困っていた」と 厳格な一面がのぞく。
一方で一人娘の良子さんをかわいがり「夕食後に映画に連れて行ってくれるのがうれし かった」と楽しい思い出に浸る。台湾生まれで台湾育ちの良子さんは台湾人の友人とよく 遊んだという。
父母と一緒に寝たきりの祖母を乗せ、最後の病院船で日本に引き揚げたのは、終戦から 2年後だった。中華民国が台湾で支配権を確立した後も、日本人技師の多くは「留用」と いう形で仕事をした。良子さんは「台湾の人たちは汽笛を鳴らして引き揚げ船を見送って くれた」と脳裏に焼き付いた光景を語る。
台中市では農業用水「白冷しゅう(はくれいしゅう)」を造った磯田技師を顕彰し、昔 の水管を保存している。良子さんは「父がこんな仕事をしていたとは知らなかった。台中 の人たちに感謝です。いつかお会いしたいね」と笑顔を見せた。
【10月31日03時32分更新】
http://www.toyama.hokkoku.co.jp/subpage/H20111031103.htm
台湾に「水利の父」もう一人 金沢出身で八田技師の後輩、磯田謙雄
タンチョウ 繁殖研究で台湾に
10月30日 17時23分
北海道に生息する国の特別天然記念物のタンチョウが、温暖な地域でも繁殖できるかを研究するため、台湾に無償で貸し出され、30日から台北の動物園で一般公開が始まりました。
台湾に来たのは、北海道の釧路市で飼育されていたオスとメスの2羽のタンチョウで、先月中旬に台北の動物園に到着し、このうち9歳のオスの「ビッグ」が、30日から一般公開されました。それに合わせ、北海道の高橋知事ら日本からの訪問団およそ140人も出席して式典が行われ、高橋知事は、北海道を訪れる外国人観光客の中で台湾からの観光客が最も多いことに触れ、「ぜひ北海道にも野生のタンチョウを見にきてほしい」とあいさつしました。このあと、訪れた家族連れなどが、飼育場の中を歩くタンチョウの姿を興味深そうに写真に収めていました。訪れた人たちは、「頭の赤い部分がとてもきれい」とか、「北海道で野生のタンチョウを見てみたい」などと話していました。北海道のタンチョウが海外に出るのは初めてで、北海道とは違う温暖な地域でも繁殖できるかどうか研究が進められることになっていて、もう1羽のメスのタンチョウは来年1月に公開される見通しだということです。高橋知事は「東日本大震災を受けて、台湾からの観光客はまだ2割ほど落ち込んでいるので、タンチョウの交流をきっかけに観光客を回復したい」と話していました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111030/t10013608671000.html
アジとコイ、仲良く泳ぐ水槽完成…岡山理科大
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アジやエイといった海水魚と、ニシキゴイ、アロワナなどの淡水魚が一緒に泳ぎ回る不思議な水槽が19日、岡山理科大学(岡山市)に完成した。
12種約20匹が同居している。
工学部の山本俊政准教授が、海水の約60の成分を調べ、海水魚に欠かせない最低限の成分や濃度を解明。淡水に、ナトリウムやカリウムなど数種類をわずかに加えることで、海水魚も生息できるように工夫した。
お披露目には、同大学特別栄誉教授でノーベル化学賞受賞者の鈴木章さんも出席。興味深そうに見つめ、「初めて見た。すごいね」と感心していた。
(2011年11月19日15時52分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20111119-OYT1T00433.htm
【水産】海水使わずクロマグロ養殖へ 岡山理大が実験水槽の建設着工
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1256746944/
【生物】好適環境水 フグすくすく?…岡山理大実験開始 淡水にナトリウムなど加える
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1270732766/
参考動画
http://www.youtube.com/watch?v=o-ZLAulwRU8
京大病院にiPS専門部、10年内に臨床応用

京都大学病院は18日、体内のあらゆる細胞に変化できるiPS細胞(新型万能細胞)の臨床応用を推進する「iPS細胞臨床開発部」を来月に新設すると発表した。開発部は「iPS細胞外来」と「品質管理技術開発室」の2部門で構成。同病院の医師や京大の研究者ら77人が兼務する。
外来は週2日あり、研究に協力する難病患者への説明や皮膚などの採取を行う。皮膚などから作製したiPS細胞は、国内外の研究機関で病因の解析や新薬の薬効試験に活用される。当面は同病院の患者が対象だが、1年以内には院外の患者にも対象を広げる。
品質管理技術開発室では、京大が計画しているiPS細胞バンク構想を推進する。最新鋭の検査機器を備え、移植しても拒絶反応が起きないように細胞の白血球型や安全性を調べる。品質を保つための技術開発も行う。
(2011年11月18日22時59分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20111118-OYT1T01114.htm
がん細胞:スプレーで発光 手術、検査で見落とし防ぐ--東大など試薬開発
患部にスプレーをかけて、がんだけを明るく光らせる技術を、東京大と米国立衛生研究所のチームが開発し、23日の米医学誌「サイエンス・トランスレーショナル・メディシン」に発表した。マウスの実験で確認した。手術や検査の際、がんの見落としを防ぐ方法として、臨床応用を目指す。
チームは、がん細胞で特に働きが強まる酵素を見つけ、その酵素と結びつくと緑色に光る試薬を開発した。がんを移植したマウスの腹部を開け、試薬をスプレーしたところ、数十秒~数分後にがんの部分だけが肉眼でも確認できるほど強く光り出した。開腹せず内視鏡を使ってスプレーした場合も同じ結果が得られた。
この酵素は肺がんや肝臓がん、一部の乳がん、大腸がんなどで強く働く。正常細胞にもこの酵素は存在するが、がん細胞の方が20倍以上明るく光るため、区別が可能。1ミリ以下のがんも光らせることができるという。
チームの浦野泰照・東京大教授(ケミカルバイオロジー)は「使用量はヒトの場合でも1ミリグラム程度と極めて微量で、副作用の心配は少ない。切除手術中に見落としがないかを確認したり、がんの転移を確認するのに役立てたい」と話す。【永山悦子】
毎日新聞 2011年11月24日 東京朝刊
http://mainichi.jp/select/science/news/20111124ddm005040087000c.html
がん成長抑える物質発見=免疫細胞が分泌-東大など
がんの成長を助長する異常な炎症反応を抑える物質を、東京大と大阪バイオサイエンス研究所、動物衛生研究所の研究チームが21日までに発見した。この物質は免疫細胞の一種が分泌する「プロスタグランジンD2(PGD2)」。働きを強めることができれば、新たな治療法になるという。研究成果は米科学アカデミー紀要電子版に発表される。
東大大学院農学生命科学研究科の村田幸久助教らは、がん組織で免疫細胞の一種「肥満細胞」にPGD2の合成酵素があることを発見。この合成酵素を作れないマウスを生み出したところ、がん組織で異常な炎症反応が起きたり、血管が新たに形成されたりして、がんの成長が速かった。(2011/11/22-05:12)
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011112200043
生プラ:急速分解する酵素 大量生産の技術を開発
酵素液に浸した生分解性プラスチック製マルチフィルムの断片(右)。30分後に完全に分解した。左側は普通の水に浸した断片=茨城県つくば市の農林水産技術会議事務局筑波事務所で、安味伸一撮影
農業環境技術研究所(茨城県つくば市)は、生分解性プラスチック(生プラ)製の農業用フィルムを短時間で分解する酵素を大量生産する技術を開発した。この酵素を農地に張った生プラ製フィルムに散布すると、半日程度で穴が開くほど分解が早まる。必要な時に現場で消滅させることができ、生プラを多彩な分野に応用できるようになるという。
30日~来月2日に千葉・幕張メッセで開かれるアグリビジネス創出フェアに出展する。
生プラは微生物の働きで自然に分解される。農業の現場では、回収の労力とごみの量を減らすため、さまざまな生プラ製資材が使われ始めた。ただ、生プラの分解時期は人為的に決めることができず、数カ月は分解しない。
農環研は08年、イネやオオムギから生プラを効率的に分解する菌を発見。これらの菌の培養液に糖の一種キシロースを加えると、生プラを分解する酵素を大量に分泌することを突き止めた。今回の方法は、生産効率が発見当時の4万倍になる。
農環研の北本宏子主任研究員は「使い手が好きな時に分解させられる。将来、使用済みのさまざまな生プラ製品を短時間で分解する技術を実用化したい」と話している。【安味伸一】
毎日新聞 2011年11月26日
http://mainichi.jp/select/science/news/20111126k0000e040030000c.html