<本題:「昼会I~ディエンビエンフーvs姫乃たま~」>
さてさて、今日の本題である、劇団粋雅堂2年ぶりの公演、
『贋作・ひめとまほう』についてのお話をば。
(9ヶ月ぶりのblog更新で記事分割とか、どんだけ書くこと溜めてんだよ、
というツッコミもごもっともではありますが…)
この作品を大阪の地でやることになって経緯については、
更に長くなりそうなので後半に記すとして、まずは上演されるイベントの詳細と、
芝居のざっくりした内容についてのご説明をば。
―――――――――――――公演詳細―――――――――――――
ゲキダンスイガドウS.A.
『贋作・ひめとまほう〜princess, wizard etcetera〜(from【M|C|L|D】)』
〔作・演出〕神田川雙陽(劇団粋雅堂)
〔出演〕上久保 梓
仲村さやか
とみたまい
絢瀬りえ(アルエット・ラディ)
Flagmented Acoustic Ghosts
and more…
〔イラスト〕????
――――――――――――イベント詳細――――――――――――
ひめとまほうpresents「昼会I~ディエンビエンフーvs姫乃たま~」
〔公演日時〕2016年10月09日(日)OPEN 12:00 / START 13:00
〔料金〕前売 2,500円 / 当日 3,000円(飲食代別・要1オーダー)
〔会場〕Loft PlusOne West
(大阪府大阪市中央区宗右衛門町2−3 美松ビル3F)
ロフトプラスワンウエスト→06-6211-5592(16~24時)
〔ご予約〕イープラス、ロフトプラスワンウエスト店頭&電話予約にて
〔公演サイト〕http://www.loft-prj.co.jp/schedule/west/49503
――――――――――――――――――――――――――――――
企画の段階では今回は私のソロプロジェクトとして初めたのですが、
なんと、最終的に女優さんが4人も出ます!はなやか!
顔ぶれも、女優さんに声優さん、さらには大阪のアイドルまで、
多様かつ素晴らしい並びになったものだと感動しております。
西島大介先生と姫乃さんの”贋作”で、女優4人というのは、
大いに期待していただければなと思います!
準備期間:1月、実稽古期間:2週間という慌ただしい公演ではありますが、
2年ぶりの新作公演、1年ぶりの劇団粋雅堂、そして12年ぶりの関西公演として、
一公演限り、24分、アニメ1話分の描き下ろしを投下いたします。
ぜひ目撃しに来てくださいませ。
我々、ゲキダンスイガドウS.A.『贋作・ひめとまほう』は、
ラストから2番め、14時50分頃からです。
<余談:経緯と創意>
さてここから、ちょっと長くなる背景と動機の話を。
(理屈っぽいし固有名が多いので、お忙しい方は読まなくても大丈夫です:-) )
「ひめとまほう」というのは、マンガ家の西島大介先生と”最強の地下アイドル”
姫乃たまの音楽ユニットで、これまでに2枚のシングルを出されています。
長くなるので省きますが、私はこのお二人ともに、別個でそこそこ長いご縁がありまして。
で、前回、東京は荻窪のベルベットサンで『夜会Ⅰ』なる主催イベントを開催されたとき、
普通に一般客として遊びに行ったりなどしておりました。
(ちょうど、小金井の元アイドルさんの事件の直後で、テレビ局が来たりと
ざわついたイベントではありましたが、とても素晴らしい夜でした)
…で、関西に来て以来、ちょうど1年ほど、演劇どころか音響卓にすら触れない毎日で
いい加減爆発しそうであった私のところに、勝手に恩師と仰ぐ西島大介先生が
「前にベルサンでやった『夜会Ⅰ』の関西版をやるのだけど、
誰か出てくれそうなひと、心当たりない?というかいっそ出てみない?」
という有り難い提案を頂いたので「はい!やります!」とばかりに手を上げたのが
先月の一日。…つまり本番の37日前というスピード感あふれる公演となっております。
さて、参加するとして、いったい何をやろう?と、出勤の道すがら
出演者のアテもないのに考え始め、最後の坂を登りきる頃には
「よし、”贋作”やろう」と決心が決まっていました。
特にきっかけがあったわけではありませんが、西島先生の現行紛失事件や、
それを契機としてのアイココギャラリー、オン・サンデーズでの「原画と複製」を
テーマとした一連の(マンガを越えた)創作活動と、
「複製ではなく、模倣と拡張」という2次創作を演劇というフィールドで行ってきた自分が、
「アイドル」という少なくとも接地していない記号を挟んだ状態で
(二人にとって故郷でもホームでもない)ここ大阪の地でマッチアップするということの意味を
「贋作」という少々過激でアナーキーの香り漂う言葉から発露できるのではと
直感していたのかもしれません。
歴史的な経緯から言えば、2次創作は最も古いカテゴリーに属する「贋作」かもしれません。
ヨーロッパの小説の最高峰のひとつである『ドン・キホーテ』に下巻よりも早く「贋作」が
生まれたという事実を引くまでもなく、まだ“作者”という存在が曖昧であった時代には、
”原作者”と”続編作者”と“注釈者”と“贋作者”が明確な境界線なく混在していたはずです。
それが近代的な“作者”概念によって切り分けられることになるわけですが、
そこから駆け足に現代に戻り、俯瞰してみたときに、こんにちの創作の状況において、
「贋作」と呼ばれるものはかつてほど(悪しき)影響を及ぼせなくなっているように見えます。
もちろんWebやSNSの発達によって、作者本人による駆逐が可能になったという面も
あるでしょうし、「n次創作」という新しくもぴかぴかした包紙によって、
言い換えられ、解毒された側面もあるでしょう。
そんな「悪名なき自由の楽園」としてのn次創作をある意味で批判する目的で、
粋雅堂は2010年に『涼宮ハルヒ対ブギーポップ』という作品を上演しています。
その作品の中で西島大介先生の『泡色のブギー』の台詞を引用させて頂いているのですが、
それは単なる「ブギーポップの2次創作の2次創作(≒3次創作)」という意味だけでなく、
西島先生が自作に常に内在させてきた「オリジナルと複製」というテーマを取り込み、
「無限に増殖し/改変される原作品」というテーマ性への拡張を企図したものでした。
私がユリイカでデビューさせて頂くきっかけとなった『ハルヒ対ブギー』から6年が経って、
「n次創作の楽園」は、遥か遠くなってしまったような印象を受けます。
同時に、電子書籍や音楽配信など、「物質なき複製」は明確に加速しました。
「盗作・捏造」は未だに話題になりますが、「贋作」はもはや太古の言葉に近づきつつあります。
贋作者を肯定することはできませんが、「贋作」はあくまでも「原作」を前提とし、
分析し、解析し、習得する、一連の行為をもって、その模倣そのものをart(技術)と
するプロセスを経なければ「贋作」たり得ないという点こそが、
(主にコストの面で)利益が少なくリスクばかり多い「贋作」を駆逐し、
より柔軟なルールを持つ「n次創作」へと無毒化してゆく力学なのでしょう。
換言し、修飾する行為を必要とする以上、「贋作」は詩的な行いであるべきです。
分析し、解析する行為がある以上、「贋作」は「原作」の正しい批評でなければなりません。
しかし、それをただ行うことは、「複製」や「n次創作」であり「贋作」ではありません。
つまり、「贋作」は詩的であり、批評的であり、しかしあと何かなのです。
…詩と、批評と…あと何か。
10年前、マンガ家・西島大介の初期衝動を焼き込んだ名著『土曜日の実験室』の
サブタイトルであり、巻末に収められた作品の日本語題でもあるこの言葉を、
そして、ある意味で西島先生のおかげでデビューできたユリイカの副題でもあるこの言葉を、
「最も間違ったフォローワー」としてのモグリ学生である私が恩師にぶつける
またとないこの機会に、「贋作」と冠した凶器攻撃で叩きつける…
そんな公演になればいいなと思って名付けました。
モグリであるがゆえに、いつまでも卒業できない生徒(=DOMMUNEマンガ家)を
勝手に代表して、仮想上の恩師に贈る卒業証書返し。
それがこの作品です。
すっかりポピュラーな作家になってしまい肩身の狭い古参西島・姫乃ファンにも、
演劇なんて知りたくもないけど、アイドルは大好きなガチ恋病みヲタにも、
あるいはいつまでもエモいあいつの音楽を未だに聴いてるネットレーベルファンだとかにも、
真正面じゃなく変な角度から刺さるモノガタリになっている気がするので、
大阪の楽しい日曜の昼下がり、姫乃さんの可憐な笑顔を見るついでに
24分だけお付き合い願えましたら幸いです。
(全然作品内容に触れてないじゃないかって?いいのです。
一回性こそが、複製され得ない演劇の魅力なんですから)
さてさて、今日の本題である、劇団粋雅堂2年ぶりの公演、
『贋作・ひめとまほう』についてのお話をば。
(9ヶ月ぶりのblog更新で記事分割とか、どんだけ書くこと溜めてんだよ、
というツッコミもごもっともではありますが…)
この作品を大阪の地でやることになって経緯については、
更に長くなりそうなので後半に記すとして、まずは上演されるイベントの詳細と、
芝居のざっくりした内容についてのご説明をば。
―――――――――――――公演詳細―――――――――――――
ゲキダンスイガドウS.A.
『贋作・ひめとまほう〜princess, wizard etcetera〜(from【M|C|L|D】)』
〔作・演出〕神田川雙陽(劇団粋雅堂)
〔出演〕上久保 梓
仲村さやか
とみたまい
絢瀬りえ(アルエット・ラディ)
Flagmented Acoustic Ghosts
and more…
〔イラスト〕????
――――――――――――イベント詳細――――――――――――
ひめとまほうpresents「昼会I~ディエンビエンフーvs姫乃たま~」
〔公演日時〕2016年10月09日(日)OPEN 12:00 / START 13:00
〔料金〕前売 2,500円 / 当日 3,000円(飲食代別・要1オーダー)
〔会場〕Loft PlusOne West
(大阪府大阪市中央区宗右衛門町2−3 美松ビル3F)
ロフトプラスワンウエスト→06-6211-5592(16~24時)
〔ご予約〕イープラス、ロフトプラスワンウエスト店頭&電話予約にて
〔公演サイト〕http://www.loft-prj.co.jp/schedule/west/49503
――――――――――――――――――――――――――――――
企画の段階では今回は私のソロプロジェクトとして初めたのですが、
なんと、最終的に女優さんが4人も出ます!はなやか!
顔ぶれも、女優さんに声優さん、さらには大阪のアイドルまで、
多様かつ素晴らしい並びになったものだと感動しております。
西島大介先生と姫乃さんの”贋作”で、女優4人というのは、
大いに期待していただければなと思います!
準備期間:1月、実稽古期間:2週間という慌ただしい公演ではありますが、
2年ぶりの新作公演、1年ぶりの劇団粋雅堂、そして12年ぶりの関西公演として、
一公演限り、24分、アニメ1話分の描き下ろしを投下いたします。
ぜひ目撃しに来てくださいませ。
我々、ゲキダンスイガドウS.A.『贋作・ひめとまほう』は、
ラストから2番め、14時50分頃からです。
<余談:経緯と創意>
さてここから、ちょっと長くなる背景と動機の話を。
(理屈っぽいし固有名が多いので、お忙しい方は読まなくても大丈夫です:-) )
「ひめとまほう」というのは、マンガ家の西島大介先生と”最強の地下アイドル”
姫乃たまの音楽ユニットで、これまでに2枚のシングルを出されています。
長くなるので省きますが、私はこのお二人ともに、別個でそこそこ長いご縁がありまして。
で、前回、東京は荻窪のベルベットサンで『夜会Ⅰ』なる主催イベントを開催されたとき、
普通に一般客として遊びに行ったりなどしておりました。
(ちょうど、小金井の元アイドルさんの事件の直後で、テレビ局が来たりと
ざわついたイベントではありましたが、とても素晴らしい夜でした)
…で、関西に来て以来、ちょうど1年ほど、演劇どころか音響卓にすら触れない毎日で
いい加減爆発しそうであった私のところに、勝手に恩師と仰ぐ西島大介先生が
「前にベルサンでやった『夜会Ⅰ』の関西版をやるのだけど、
誰か出てくれそうなひと、心当たりない?というかいっそ出てみない?」
という有り難い提案を頂いたので「はい!やります!」とばかりに手を上げたのが
先月の一日。…つまり本番の37日前というスピード感あふれる公演となっております。
さて、参加するとして、いったい何をやろう?と、出勤の道すがら
出演者のアテもないのに考え始め、最後の坂を登りきる頃には
「よし、”贋作”やろう」と決心が決まっていました。
特にきっかけがあったわけではありませんが、西島先生の現行紛失事件や、
それを契機としてのアイココギャラリー、オン・サンデーズでの「原画と複製」を
テーマとした一連の(マンガを越えた)創作活動と、
「複製ではなく、模倣と拡張」という2次創作を演劇というフィールドで行ってきた自分が、
「アイドル」という少なくとも接地していない記号を挟んだ状態で
(二人にとって故郷でもホームでもない)ここ大阪の地でマッチアップするということの意味を
「贋作」という少々過激でアナーキーの香り漂う言葉から発露できるのではと
直感していたのかもしれません。
歴史的な経緯から言えば、2次創作は最も古いカテゴリーに属する「贋作」かもしれません。
ヨーロッパの小説の最高峰のひとつである『ドン・キホーテ』に下巻よりも早く「贋作」が
生まれたという事実を引くまでもなく、まだ“作者”という存在が曖昧であった時代には、
”原作者”と”続編作者”と“注釈者”と“贋作者”が明確な境界線なく混在していたはずです。
それが近代的な“作者”概念によって切り分けられることになるわけですが、
そこから駆け足に現代に戻り、俯瞰してみたときに、こんにちの創作の状況において、
「贋作」と呼ばれるものはかつてほど(悪しき)影響を及ぼせなくなっているように見えます。
もちろんWebやSNSの発達によって、作者本人による駆逐が可能になったという面も
あるでしょうし、「n次創作」という新しくもぴかぴかした包紙によって、
言い換えられ、解毒された側面もあるでしょう。
そんな「悪名なき自由の楽園」としてのn次創作をある意味で批判する目的で、
粋雅堂は2010年に『涼宮ハルヒ対ブギーポップ』という作品を上演しています。
その作品の中で西島大介先生の『泡色のブギー』の台詞を引用させて頂いているのですが、
それは単なる「ブギーポップの2次創作の2次創作(≒3次創作)」という意味だけでなく、
西島先生が自作に常に内在させてきた「オリジナルと複製」というテーマを取り込み、
「無限に増殖し/改変される原作品」というテーマ性への拡張を企図したものでした。
私がユリイカでデビューさせて頂くきっかけとなった『ハルヒ対ブギー』から6年が経って、
「n次創作の楽園」は、遥か遠くなってしまったような印象を受けます。
同時に、電子書籍や音楽配信など、「物質なき複製」は明確に加速しました。
「盗作・捏造」は未だに話題になりますが、「贋作」はもはや太古の言葉に近づきつつあります。
贋作者を肯定することはできませんが、「贋作」はあくまでも「原作」を前提とし、
分析し、解析し、習得する、一連の行為をもって、その模倣そのものをart(技術)と
するプロセスを経なければ「贋作」たり得ないという点こそが、
(主にコストの面で)利益が少なくリスクばかり多い「贋作」を駆逐し、
より柔軟なルールを持つ「n次創作」へと無毒化してゆく力学なのでしょう。
換言し、修飾する行為を必要とする以上、「贋作」は詩的な行いであるべきです。
分析し、解析する行為がある以上、「贋作」は「原作」の正しい批評でなければなりません。
しかし、それをただ行うことは、「複製」や「n次創作」であり「贋作」ではありません。
つまり、「贋作」は詩的であり、批評的であり、しかしあと何かなのです。
…詩と、批評と…あと何か。
10年前、マンガ家・西島大介の初期衝動を焼き込んだ名著『土曜日の実験室』の
サブタイトルであり、巻末に収められた作品の日本語題でもあるこの言葉を、
そして、ある意味で西島先生のおかげでデビューできたユリイカの副題でもあるこの言葉を、
「最も間違ったフォローワー」としてのモグリ学生である私が恩師にぶつける
またとないこの機会に、「贋作」と冠した凶器攻撃で叩きつける…
そんな公演になればいいなと思って名付けました。
モグリであるがゆえに、いつまでも卒業できない生徒(=DOMMUNEマンガ家)を
勝手に代表して、仮想上の恩師に贈る卒業証書返し。
それがこの作品です。
すっかりポピュラーな作家になってしまい肩身の狭い古参西島・姫乃ファンにも、
演劇なんて知りたくもないけど、アイドルは大好きなガチ恋病みヲタにも、
あるいはいつまでもエモいあいつの音楽を未だに聴いてるネットレーベルファンだとかにも、
真正面じゃなく変な角度から刺さるモノガタリになっている気がするので、
大阪の楽しい日曜の昼下がり、姫乃さんの可憐な笑顔を見るついでに
24分だけお付き合い願えましたら幸いです。
(全然作品内容に触れてないじゃないかって?いいのです。
一回性こそが、複製され得ない演劇の魅力なんですから)
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