粋雅堂藏書目録 ―Biblia-Catalogus―

劇団粋雅堂・主宰、神田川雙陽の雑記積み置き場Blogです。

M_C_L_D_AFTERWORDS

2014-09-17 21:59:50 | 粋雅堂雑記
<まえがき:ご来場ありがとうございました>

えっと、8月ぶりの更新です。

本当はこの記事は公演直後くらいにアップしようと思って書きためていたのですが、
なんとなく機会を逸してしまったために、残暑厳しい季節から、こんな凍える季節まで
下書きの隅に眠ることとなってしまいました。

それがなんでまたこんなタイミングで引っ張りだされたのかは、本題に譲るとして、
とりあえずは夏の公演の簡単な総括を、下書きのままに連ねたいと思います。

ということで、ものすごーーく今更かつ、ずいぶんと中途半端な間が空いてしまいましたが、
まずは劇団粋雅堂【M|C|L|D】にご来場、誠にありがとうございました。

予想通りステージ上と「ステージ上」が有機的にインタラクションした、
また予想以上にステージごとの趣の異なりすぎる公演になってしまい、
肌に合う方、鼻に合わなかった方、各々いらっしゃるのではないかと思いますが、
客席に来てくださったすべての方に、粋雅堂の現在形のステージをお見せできたことは
適度な虚脱感と過度な疲労感とともに、個人的な満足を感じております。

今回の公演に関しては(主に対面とTwitterを中心に)ぽつぽつご感想を頂いておりますが、
旧知のクラシック指揮者であられる市原雄亮先生がblogにて素晴らしい劇評
書いて下さったので、勝手に今公演の総括として挙げさせていただきたいと思います。

今回唯一複数回観に来て頂いた市原先生のご指摘にある通り、
「ミニマル・ミュージック」、「現代音楽」、そして「朗読劇と演劇」は、
粋雅堂の公演の間に横たわる2年間の、あるいは私が東京に帰ってきた後の5年間の
総括にふさわしい言葉たちだと思います。
してみると、「私が本当に作りたかったものは演劇なのか?」と首を捻ってしまいますが、
それでも、私にとって【M|C|L|D】は演劇でしたし、これからも演劇でしょう。
(…しかし、市原先生の記憶力には脱帽です。前掲のblog記事を読むまで、
酒席に最後にご一緒したのが王子神谷駅前のチェーンの居酒屋(庄やかどこか)だった
ことを、私はすっかり忘れていました)


<本題:【M|C|L|D】PS/AW>

本来はここからくどくどと(しかも2回に分けて)、【M|C|L|D】の技術的な話と、
劇中で語られなかった4本目の上演脚本の話をするはずだったのですが、
それはなんか、旬も過ぎたし(そもそも誰が読みたいのだという話もあり)もういいかなと思い、割愛します。

そのかわりに、師も走る慌ただしい年末にもかかわらず、
突発で公演の配信が(今朝思い立ち、その勢いで)決定したので、そのお知らせをしたいと思います。

題して、「(うちの劇団も)何も考えないまま10年経ってた・・・」番外公演『【M|C|L|D】PS/AW』

――――――――――公演詳細――――――――――
劇団粋雅堂
「(うちの劇団も)何も考えないまま10年経ってた・・・」番外公演
『【M|C|L|D】PS/AW』

〔公演日時〕2014年12月27日(土)20:00
〔配信サイト〕http://www.ustream.tv/channel/m-c-l-d
――――――――――――――――――――――――

…なんのこっちゃ、と思われるかもしれませんが(というか、そうでしょう)、
8月に【M|C|L|D】を上演させていただいた新宿眼科画廊さんが今年で10週年を迎え(おめでとうございます!!)、
それに併せて『何も考えないまま10年経ってた・・・』展が今日まで開催されているのですが、
親しくさせて頂いている多くの素晴らしい作家さんたちの素晴らしい作品に触れるうちに、
及ばずながら自分も何か(勝手に)この展示に想いを載せたいという気持ちが高まり、
私の個人史的にはこの(東京に戻ってきてからの)五年間の要所要所で必ず訪れてきた思い出の地であり、
この五年間の出会いがすべて収束してゆく特異点のような新宿眼科画廊という場所に(私なりの)敬意を表して、
また、同じくちょうど10周年の節目を共有する劇団粋雅堂として、
便乗して盛り上がりたい 同じ時間を過ごした意味を作品に残しておきたいという衝動を感じて、
新宿眼科画廊で上演した【M|C|L|D】を(きわめて混乱した形で)
『【M|C|L|D】PS/AW』として"再演"しようと決断しました。

“再演”、がカッコつきなのにはもちろん理由があり、演劇におけるごく一般的な意味での再演とは大きく異なるためです。
この“再演”は、
1)俳優は出演しない
2)8月の公演の録画・録音と、11月のドラマCD(あ、そうそう。そんなものを出したんです)を再構成する
3)私一人が舞台上で音響・照明・映像を操作することを“上演”と呼ぶ
という形式で行います。

普通の演劇の考え方で言えば、相当に奇異な形式ですが、
しかしこれはもともと、【M|C|L|D】という作品の本来の上演形式として想定されていたものです。
公演サイトとビラにも書かれているとおり、【M|C|L|D】は「Flagmented Acoustic Ghosts」という
架空の役者(群)を出演者に掲げており、これは雑に訳せば「断片化された音声の幽霊」という意味です。
“断片化”された“音声”の“幽霊”…。

「ずたずたに引き裂かれたテキストと、音声ファイルの集積が、我々の脳内での演劇の認知の形だとすれば、
それを認知系の外で提示することでも、演劇を構成できるのではないか?」

そんなシンプルなドグマが【M|C|L|D】という作品の原点だったわけですが、
それをよりピュアな形で実現しようとすれば、たったひとりのオペレータ(オペラトル)が、
断片化された“すべて”の集合を時間軸上で提示し、操作することこそ、正しいのではないかと、
【M|C|L|D】の製作のすべての時間で、私は思い続けてきました。

図らずも、一度上演されたことで、またドラマCDという録音物になったことで、
その所与の条件が整ったこともあり、この“後付の、音声と説明”を
舞台上でようやく展開することができるようになりました。

この“再演”があくまで一度の“上演”を条件とすること、
“純粋化”のためにいいわけがましい(この文章という)説明がまた付くこと(PostScript=追伸)、
そしてもはや、一度世に問われたモノガタリは、“事後”の存在(AfterWords=あとがき)に過ぎないものであること…。

それらすべてを受け容れた上で、【M|C|L|D】の末尾に、PSとAWという新しい文字列を付け足し、
“再演”と言い張ることにしました。

…説明が長くなりました。
そういうことなので、この作品は【M|C|L|D】の録画の配信であり、私ひとりによる【M|C|L|D】のリミックスです。
少なくとも、このブログの文章よりはわかりやすく、愉しみどころがある…と信じておりますので、
お暇でしたら、ぜひ。

(ところで、配信をやると決めた直後に、本家の眼科画廊の展示のクロージングパーティの話を知りました。
…知ってたならそっち行きたかったなぁ…。なんて。)

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