~Memory Of Melodies~

趣味の範囲で色々なことを書き殴るブログ

「舞妓Haaaan!!!」

2007年06月25日 | Weblog
先日、綺麗な夕焼けを見た。 考えてみたら、もう夏至。 一年で最も太陽が高く上がる日。 ほぼ真東から太陽が昇り、ほぼ真西に沈んでいく日である。

遠くの山並みに沈んでいく太陽がまぶしくて、直視するのが困難だったが、空が一言で言い表すことの出来ない色をしている。 仕事そっちのけで、太陽が完全に沈むまで見ていたが、沈んだ後の空も太陽の余韻が漂い、東から闇が迫ってくるのが、何とも言えず幻想的だった。

仕事に戻るものの、しばらく目がチカチカしていて、仕事にならなかった。 太陽の余韻は、僕の目にも残っていたようだ。 そしてこの後、仕事にも余韻を残すことになった(残業)・・・。


さて、今週は映画三昧!と言っても、2作品しか見ていないが、そのうち一つを紹介したい。 もう一つは後日、アップすることにする。


「舞妓Haaaan!!!」

ご存知、クドカンこと宮藤官九郎が脚本を手がけた作品である。 主演は阿部サダヲ。 僕が大好きな俳優さんの一人である。 その独特の個性は誰にもマネ出来ないものを持っている。 勿論、今回の映画でもその力を存分に見せ付けられた。

それでは他の登場人物と合わせて、内容を少しだけ紹介してみたい(毎回、少しだけと言って、書き過ぎてしまうので、気をつけながら書いてみます)。


鬼塚公彦(阿部サダヲ)は、カップラーメンが売りの食品会社に勤めるサラリーマン。 公彦の夢は、舞妓と野球拳をすること。 そんな公彦は舞妓の写真を撮っては、自らのホームページに掲載している。

そんな彼のホームページに突然現れた謎の荒しことナイキ。 ちなみにネット上で、他人の意見にチャチャを入れたり、喧嘩を売るようなことを書き込む人を「荒し」という。 で、その荒しの被害にあった、公彦は舞妓と遊ぶ、つまり、お茶屋遊びをすることを固く決意する。

そんな彼に、幸か不幸か突然の辞令が下る。 それは、京都の加薬工場に左遷されるというものだった。 それを聞いて喜ぶ公彦だが、一方でそれを喜んでいない人物もいた。 公彦に思いを寄せる、大沢富士子(柴崎コウ)である。 実は、二人は彼氏彼女の関係?であり、左遷の話から二人は別れることに。

京都の工場に着いた公彦だが、ここでやっと自分が左遷されたことに気付く。 ナイキに一泡吹かせるために来た京都。 しかし、お茶屋の一見さんお断りは常識。会社の社長でもある鈴木大海(伊藤四郎)に土下座をして、お茶屋に行こうとするも、夢叶わず。 そして、社長から「俺を儲けさせてくれれば、連れてってやる」の一言。

俄然、やる気の出た公彦は、自分を馬鹿にしたナイキを何としてでも見返してやりたいと、不眠不休で仕事に精を出す。 そして、念願のお茶屋遊びに行くことに、そこには何と・・・。

彼のことがどうしても忘れられずにいた富士子は、彼を追って京都へ。 舞妓になるための修行をし、念願の舞妓デビューを果たす。 そして、公彦と出会うのだが・・・。

ナイキとは? 野球拳は出来たのか? そして、二人の運命は? 


今回も書き過ぎた感じがするが、まぁ自分では及第点。 映画の内容は、まだまだ語りつくせない。 終り方も綺麗だし、他の出演者も豪華な顔ぶれになっている。

公彦の上司である矢崎部長には生瀬勝久。 お茶屋の女将には、吉行和子(さつき)、真矢みき(こまつ)。 舞妓には、京野ことみ(小梅)、小出早織(駒子)。 そして、Mr.オクレも出演している。

この豪華キャストでハズレはない!と思って期待が大きくなりすぎてしまったのか、若干、ストーリーの奇抜さだけが抜きん出てしまっているように感じた。 だが、先述した通り、終盤は良かった。 「舞妓」という存在意義や葛藤、一見さんを断る理由に関しても、正当な理由があることを初めて知った。 秋葉原にメイド喫茶というものがあるが、お茶屋遊びは似て否なるもの。 今まで、想像でしかなかった部分が、映画という世界を通じて、実像として捉えられることが可能になった。

京都には2度ほど行ったことがある。 勿論、お茶屋遊びなどは出来なかったが、実際の舞妓さんを生で見たときは、見惚れてしまった。 京都弁も神聖なものに感じたし、視線を合わせることが出来ないくらい高貴な人のように感じた。

そして画像だが、京都に行ったときに撮ったものを載せれば良かった。 ウチの近所の景観じゃ、様にならない・・・。

「しゃべれども しゃべれども」

2007年06月12日 | Weblog
東京はまだ梅雨入りもせず、ジメジメとした空気が流れている。 鬱陶しい時期であり、僕が一番嫌いな季節。 去年だったか、同時期のブログ内容にも書いたと思うが、6月は「紫陽花」の季節でもある。 花言葉は「移り気」。 衣替えの時期というのも、もしかしたらここから由来してるのかもしれない。

で、世間は年金問題の話で持ちきり。 払った記録がなくなり、将来的な年金保障がなくなるという話だ。 まるで「振り込め詐欺」。 それを国が主犯でやるわけだから凶悪である。

ウチは大丈夫だ、と考えずに、国民はトコトン騒がなければならない。 何故なら、今の労働者に負担がかかるからだ。 消えた年金を補填するのは、また国民のお金なのだから。 馬鹿馬鹿しい話だ。 思えば、政治家の年金未払いの問題もあったし、自分達の金の管理だけは一丁前に出来ているのか?という話だ。

最後に、これだけは言いたい。 今の国会では、年金問題は誰の責任か?なんて追求をしているが、とんだ茶番だ。 国民が知りたいことは、責任の所在ではなく、払った金の所在。 謝って済むなら、国民の税金で生活する政治家はいらない。

さて、いち早くこの年金をどうするか?という実際問題に目をつける政治家は誰だろうか?


今回はまたまた映画を見に行ってきたので、その映画を紹介しよう。

「しゃべれども しゃべれども」

国分太一が主演というにもかかわらず、香里奈が全面的に宣伝役になってしまっている落語がテーマの映画である。

そう、落語を題材にした物語で有名なのは、「タイガー&ドラゴン」。 この映画と比べてしまうと、タイドラの方が面白いと思ってしまうが、だからといって、この映画がつまらないわけではない。 いや、むしろ面白いといえよう。

今昔亭三つ葉(国分)は、古典落語をこよなく愛する落語家。 周囲が時代錯誤だと罵るものの、三つ葉の信念は揺るがない。 好きこそものの上手なれ、とは言うものの、三つ葉の落語はイマイチ客にウケない。

師匠である今昔亭小三文(伊藤四郎)も、三つ葉に説教をし、古典落語をなかなか教えようとしない。

そんなある時、小三文が講師となって、一般庶民に話を教える講座があり、弟子である三つ葉も付き添いで行くことに・・。

そこでしかめっ面をして、講座を聞いていた十河五月(香里奈)がいきなり部屋を飛び出していく。 気になった三つ葉は、その後を追い、何故最後まで聞いていかないのか?と聞くと、十河は「あの人は本気でしゃべってない」と言い返す。 三つ葉は、では本業である落語を聞きに来てみてはどうか?ということで、十河を高座に誘うが、無視して出て行ってしまう十河。

当日の高座。 前座に出てた噺家が、美人が落語を聞きに来ていると騒いでいる。何も知らずに高座に上がった三つ葉の目の前には、十河が・・。

舞い上がってしまった三つ葉は上手く落語を喋れずにそのまま高座を終える。 その後、十河は三つ葉に「どうしたら上手く人と話せるようになるのか?」と聞いてくる。 困った三つ葉だが、ちょうど踊りの先生をやっている母親・春子(八千草薫)の弟子である郁子(占部房子)が、大阪から来て学校で苛めにあっているという甥・優(森永悠希)に、友達と仲良くなれるように話し方を教えてあげて欲しいということを承諾したばかり。 もし良かったら、ということで十河を誘う。

そうして始まった売れない落語家・今昔亭三つ葉の話し方教室。 自分は落語しか教えられないと、古典ではあまりにも有名な「饅頭こわい」を教えることに。

さて、師弟関係になった十河と三つ葉に恋愛感情? イジメにあっていた優が行方不明? 新たな生徒の登場?

様々なストーリーが展開され、首尾よくまとまっているシナリオは落ち着いて見る事が出来た。 ほのぼのとしていて、テーマが落語ということもあり、粋(いき)な面が点在しているように思う。 また一つ、いい映画を見てしまった。 また寄席にでも行きたいものである。

最後に、「猫ひろし」とかけて、「自分のブログ」と解く。 その心は、「全然落ち着きません」。 お後が宜しいようで・・・。