~Memory Of Melodies~

趣味の範囲で色々なことを書き殴るブログ

「笑わない数学者」

2006年07月23日 | Weblog
夏に似合わない服を着て歩く人たち。 頬に冷たく当たる風に、身震いさえするほどだ。 猫が寄り添って寝ているが、その気持ちがよく分かる。

日が長くなったせいか、街のネオンが明るいせいか、夜を忘却してしまいそうだ。鳥や猫や僕もそれに悩む。 

ちょっと失礼。 うちの猫の足にコンセントが絡まり、テレビと壁の間から出れなくなっている。 自業自得。 しかも、何故、自分がそこから出れないのか?という顔をしているので、尚更、可笑しい。 

猫は夜行性。 夜を忘却してしまうのも無理はないか・・・。


さて、今回は小説を紹介する。 古本屋で見つけて、タイトルにのみ惹かれて買った小説だったが、これがなかなか面白い。

タイトル「笑わない数学者」 著者・森博嗣

ジャンルは推理小説で、タイトルの通り理系の要素が入っているが、哲学的な一面も見せるので、僕には打って付けの本になっている。

語り手は、大学助教授。 その助教授とタッグを組んでいる教え子が、ある場所で起こった殺人事件の謎を解いていく。 と、ここまでは普通の推理小説。 だが、この小説は、事件の真相とは別のストーリーで謎を残したまま終わる。 珍しくはないかもしれないが、僕にとっては新鮮だった。 

犯人も捕まり、事件も解決と思いきや、ある人物についての謎が残る。 その人物こそ「笑わない数学者」となっているのだ。

そして哲学的な部分では、最後の「笑わない数学者」が公園で遊ぶ子供に出した問題にある。文章は異なるが、ここで紹介したいと思う。

自分を中心に半径1mの円があるとする。 では問題。 その円周の線をまたがずに、また踏まずに外側にいくことは可能であるか? 答えは・・・可能である。

これは「定義」の問題である。 円の中を外側と定義してしまえばいいのだ。 そう、普通は内側である。 普通の人はそう答えるであろう。 ただし、円がどんどん大きくなっていった時のことを考えてみよう。 今居る自分の円をもっと広く考えてみるのだ。 果ては地球の裏側まで、するとどうだろう? 自分の居る範囲の大きな円は外側で、裏側にある小さな円が内側になるだろう。

そう、だからどんなに小さな円であろうと、そう定義してしまえば、内側にも外側にもなるのだ。 

人間の先入観や常識は、しばしば視野を狭くしてしまう。 社会通念、一般常識などがそれにあたる。 勿論、道徳や倫理観などはまた別の問題である。 

物事を定義せず、常識に囚われず、多角的視点をもつことで、物事の本質を見抜くことも出来るのだ、と僕はこの本から学んだ。

最後に、「笑わない数学者」より、数学の問題があったので引用する。

第一問、10が2つ、4が2つある。 この4つの数を四則計算(加減乗除)して、答えが24になる式は?

第二問、7が2つ、3が2つある。 この4つの数を四則計算(加減乗除)して、答えが24になる式は?

最近、流行の脳トレとして、どうぞ・・・。

「死者の宝箱」

2006年07月18日 | Weblog
追憶の雨音。 悠久の時間。 不変の日常。 遠慮がちに吹く風に、猫の寝息が重なる。 僕の布団を堂々と占領する猫。 僕の布団は、風の通り道に敷いてあるから仕方ない。 僕は猫の邪魔をしないように、体を横にする。 チラリとこちらを見る猫は、そのまま、また目を閉じた。


今回は、また映画を見に行ってきたので、そちらを紹介することにしよう。

「パイレーツオブカリビアン ~デッドマンズチェスト~」 

周知の通り、ウォルト・ディズニーが送るシリーズ2作目である。

名優ジョニーデップを筆頭に、豪華俳優がズラリ。 内容は、前作の続きというほどでもないが、前作の伏線は見事に活かされている。

デッドマンズチェスト(死者の宝箱)を制すものは、世界の海を制すと言われる宝箱を探すため、奔走するジャック・スパロウ船長(ジョニー・デップ)。 

そのジャックが持っているコンパス(自分の欲しいものを示す)を捕らえられた恋人の為に手に入れなくてはならなくなったウィル・ターナー(オーランド・ブルーム)

そして、その恋人であるエリザベス(キーラ・ナイトレイ)も牢獄から何とか抜け出し、ウィルを探す旅に出る。

死者の宝箱には鍵がかかっており、その鍵を持っているのが幽霊船の船長でもあるデイヴィ・ジョーンズ(ビル・ナイ)。 

ジャックに会ったウィルは、コンパスの為に、単身幽霊船へ。 デイヴィ・ジョーンズから鍵を奪うために、試行錯誤を繰り返す。 ここにも、前作と今作を結ぶ人物が登場する。

作中では、ウィルとエリザベスが結婚前夜に捕らえられ、上記の経緯になるのだが、エリザベスとジャックも何やら怪しい雰囲気。 メインストーリーからは逸れているものの、こういったサイドストーリーも注目であろう。

宝箱の在り処は? 宝箱の中身は? そして・・・ジャックが死んだ?

「パイレーツオブカリビアン」は、どうやら3部作。 次回作品は、来年になる模様。 気になる・・・。 続きが早く見たいというミーハーな気持ちだが、この夏は面白い映画もたくさん上映される。 そちらを見て、しばらくの我慢である。

そう、当ブログでも小説の方で紹介した宮部みゆきの「ブレイブ・ストーリー」が映画化され、ただ今、上映中である。 約1200ページにも及ぶ作品を2時間で収めるのは、大変な作業だと思うが、是非、見てみたい映画である。

また、以前に当ブログで少しだけ書いた「花田少年史」も映画化になったようだ。僕の大好きな漫画である。 あんまり何かを見聞きして泣いたことがない僕だが、泣きたい時は、必ずこの漫画を読む。 それが映画でやるというのだから、気にならないはずがない。 

画像は、銀座プランタンにあるアンジェリーナのモンブランである。 日本一美味いモンブランというわけで食べてみたが、大変美味しかった。 ほのかに香るチーズと底にあるタルト生地、中のクリームには荒めの砂糖を使用しているのか、食感がまたいい。 1つ450円ぐらいだが、値段以上の価値を味わえた。 この深夜に、お腹が減ってきた・・・・。

「悪魔の謀略と天使の攻略」

2006年07月09日 | Weblog
いつもより遅く起きることで、小さな幸せを感じる。 朝食には、ブラックのアイスコーヒーとトースト、BGMはカーペンターズの「close to you」である・・・というのは、僕が中学生の時に一度だけした思い出である。 

この話をすると、周囲の人間達は笑う。 妙に大人振った僕が面白いのだろう。 勿論、笑ってくれて構わない。 周囲の笑顔は、僕の原動力になるからだ。 

現実的な話に戻ろう。 朝食はカップラーメンである。


今日は、先週見てきた映画を紹介したい。 僕はこれで3週連続で映画を見に行っていることになる。 1ヶ月のペースから言えば、新記録を樹立している。

その映画とは、「M:I:Ⅲ」である。

ご存知、「イーサン・ハント」ことトム・クルーズ主演、「M:Iシリーズ」の最新作である。

「M:I:Ⅱ」の大胆不敵なアクションから一転、「M:I:Ⅲ」では、計画性の高い知的な作戦や、裏の裏まで考えられているシナリオ。 矛盾点は、そこそこあるが、内容は、かなり楽しめた。

トム・クルーズは格好良すぎである。 ブルース・リーではないが、見せる筋肉ではなく、獲物を狩る筋肉をしている。 映画の為かどうかは分からないが、あれほどの肉体を作り上げるとは、凄いの一言である。

そして、今回の作品で、イーサン・ハントは結婚してしまう。 映画の最初のシーンなので、書いても問題ないだろう。 映画全体に「愛の為に?」、それとも「仕事の為に?」という点が観客までも葛藤させてくれる。 答えは勿論・・・・。

とにかく、知的で、権謀術数のシナリオに、僕はある一つの漫画を思い浮かべていた。

それは、「ルパン三世」である。 

ハイテクな電子機器、高い身体能力、仲間達の理想的なバックアップ。 「M:I:Ⅲ」は、ルパン三世を見ているようで、「成長する映画」というイメージを構築することが出来た。 映画でシリーズを作る場合、非常に難しいとされているが、そんなジンクスも、何のその。 「M:I:Ⅲ」は、早くも僕の殿堂入り候補だ。

画像は、映画を見る前に食べた。 ビックリオムレツ。 「あまりの大きさに驚かないで!」とメニューに載っていたので、早速、頼んでみると・・・普通のオムレツが来たので、僕はビックリした。 料理は異なるが、僕が今までに食べた最大のオムライスの比ではない。 最大のオムライス「ポムの樹」のLLオムライス。 持って来るウエイトレスの腕が笑うという大きさ。 

今年の1月1日の画像が、そのオムライスである。 ちょっと、大きさが分かりにくいのが、難である。

読者を活かす小説

2006年07月04日 | Weblog
「青は藍より出でて藍より青し」とは、筍子の言葉である。 この言葉は、故事の一説であり、意味は、青が元の藍よりも青く鮮やかであるように、元は普通の人間も、努力すれば大成を成す事が出来るという意味である。

今日の空は、藍よりも青く、白い絵の具をこぼしてしまったかのような雲が、僕に夏をイメージさせてくれた。 陽が傾くにつれて、落ち着いた風が吹き始め、そいつが僕の心をなぞっていく。 途端に、小さい頃に夜遅くまで自転車で走っていたことを思い出した。 たぶん、その時に感じた風の記憶が蘇ったのだろう。 それと共に、母の怒声も思い出したが、何とも言えず懐かしく、今までに失くしたものも思い出せた。 不思議な一日だ。


今日は、今までにない変わった小説を紹介したいと思う。 

「ブギーポップは笑わない」 著者・上遠野浩平

いつもと違うというのは、出版社が電撃文庫であるということ。 そう、アニメやら漫画の小説でお馴染みの出版社である。

ちなみに、この作品はドラマでも映画でも実写化されている。 

普段、芥川賞作品やら直木賞作品やらを読んでいて、手が出しにくい人もいるだろうが、この作品に限っては、普通のアニメ・ゲーム小説と混同してはいけない。 僕の好きな哲学的要素が存分に含まれた作品で、話の展開も面白い。

登場人物の視点で物語が進んでいくというのは、普通の小説でもあること。 しかし、この作品に限っては、複数の登場人物の視点から物語が進んでいくため、話の内容が想像しやすく、それこそ活字を読んでいるだけで、大袈裟でもなく臨場感を感じることが出来るのだ。

ブギーポップとは、主人公の少女の中にいる二重人格(実際は違う?)の人物のこと。 世界の危機には、ワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の口笛を吹いて現れるのだ。 

彼は、「僕は自動的なんだよ、周囲に異変を察知したときに浮き上がってくるんだ。だから名を、不気味な泡(ブギーポップ)という。」のだそうだ。

話の中の一説を抜粋して記載しておく。 僕の気に入ってる言葉だ。

「普通とは、どういうことだと思う? 普通とは、そのままで何も変わらないということだよ」

ブギーポップの科白ではないが、僕はこの一説が好きでしょうがない。 そのままで何も変わらないのが普通であれば、変わりたいと思うのが人間の向上心というものである。 また、確かアインシュタインだと思ったが、こんなことを言っている。

「常識とは、18歳までに身に付けた偏見のコレクションのこという」

人間が向上するためには、努力もそうだが、何にでも挑戦し、失敗や成功などを繰り返し、色々な経験を積まなければならない。 その上で見つけた自分だけの答えが常識よりも何よりも大切なのだ。 常識というのは、そういった意味では、想像力や向上心の手枷足枷のようなもの。

飛躍し過ぎかもしれないが、僕がこの本から学んだ一つの答えがこれだ。

そう、これを「青は藍より出でて藍より青し」というのだ。

生殺与奪白書

2006年07月02日 | Weblog
空一面に覆い被さる雲。 太陽の欠片さえ見当たらない空は、通り行く人たちの心までも曇らせ、街全体を暗くさせる。 これでは星への願いも跳ね返されてしまう。 

街の至る所で、笹と一緒に揺れる短冊を見た。 思ったよりも、子供たちの願いは多いようだが、天の川を流れていく子供たちの願いを想像すると、渋滞をおこしてしまうかもしれない。 だが、オリヒメとヒコボシは、その願いを拾いやすくなるだろう。 そして願いは、きっと叶うはず・・その願いを忘れない限り。


今回は先週見た、映画を紹介することにする。 

その映画とは「DEATH NOTE(前編)」である。

簡単に言えば、死神の落としたノートに、殺したい人物の名前を書くと、実際にその人物が死ぬというのがテーマである。

主人公・夜神月(ヤガミライト)は、法律を学ぶ、頭脳明晰、成績優秀な大学生で、将来は警察官僚を目指している。 父親が刑事部長であり、ある日、ライトは法律では裁かれない人間がいることを、警察の極秘ファイルから知ってしまう。

証拠不十分で無罪、または不起訴・・それを知ったライトは、日本の法律の脆弱性に頭を抱えることとなる。 このまま警察官僚という職に就いたとしても、正義の為に仕事をしているという意識が持てないのではないか、と。

そんな時、ライトは一冊のノートを拾う。 そのノートの端書を呼んで、試しに名前を書いてみると、実際にその人物が死んでしまうという事件が起こる。 これを機に、次々と法では裁かれない人間を殺していくライト。 

警察でも連続殺人事件という形で捜査を展開するが、犯人の尻尾を掴みようがない。 ところが、そのライトに立ち向かう「L」という一人の人物が現れる。 

「L」は、世界で起こった数々の難事件を解決したことでも有名な、探偵のような人物。 ライトと同じく、頭脳明晰で、「L」にかかれば、解決できない事件はない、と言われるほどである。

その二人が、互いの知力を賭けて勝負する。 それが、「DEATH NOTE」という映画である。 死神がCGで登場する以外は、至って、理路整然としている内容である。

ライトは、権謀術数の限りを尽くし、正義の名の下に人を殺していく。 巷からは、キラと呼ばれるようになり、悪という悪を排除し、真に平和な世界を創造するというのが彼の目的である。

「L」は、状況証拠から、あらゆる策を立案し、ライトを追い詰めていく。 悪人を殺したとしても、殺人は殺人。 それは、決して許されないというのが、彼の心情であり、信念である。

この映画を見た人は、どちらが善で、どちらが悪だと思うのだろうか。
僕の意見としては、当然、○○の方が正しい・・・と、しておく。

主人公・ライト役には、若年にして、その演技力が光る藤原竜也。 刑事部長の父親役は、ちと古いが、料理の鉄人で「アイアンシェフ」とそのまま叫んでいた加賀丈。 Lは、新進気鋭の若手俳優松山ケンイチ。 他にも、香椎由宇、戸田恵梨香、細川茂樹、瀬戸朝香、藤村俊二などのキャストが軒を連ねている。 ちなみに死神の声は、中村獅堂がやっている。 なかなかの面々である。

映画は、前編・後編の二部作品。 後編は、11月になるようだが、前編だけでかなりの面白さ、後編が今から気になるところである。

画像はこの話題を更新しようとした日時が記載されている。 今日までフリーズの嵐と仕事の都合(忙殺)。 従って、今、書いているが、もう朝になりそうだ。