~Memory Of Melodies~

趣味の範囲で色々なことを書き殴るブログ

「見せかけの魔法」

2006年06月23日 | Weblog
湿気を含む風が、鼻先に夏の香りを残していく。 霧雨のカーテンが街を包み、いつも見える景色を、フィルター越しに見ているような錯覚を覚えた。 

外観が虚ろな電車に乗り、ぼんやり遠くを見つめていると、車がゆっくりと走っているように見える。 なんとなく、そんな風景が懐かしく思えたが、理由は未だに分からない。 

いつもなら気にならない車内の様々な言葉達の往来に、妙に苛立ちを感じていると、隣にいた女性の腕の中で赤ん坊が泣き出した。 車内の注目を一斉に浴びた女性だが、その細い腕の中の子を、微笑みながら一生懸命にあやしている。 気がつくと、僕の苛立ちは赤ん坊の泣き声とともに、どこかに消えてしまっていた。


今回は小説から離れ、最近見た映画について紹介したい。

その映画とは「-劇場版- TRICK2」である。 この映画の全身でもあるドラマは、最初から欠かさずに見ていたので、今回も期待を膨らませ見に行ってきた。

「TRICK」と言えば、内容がコアで、登場人物もコアなので、見る人によっては捉え方が異なるだろう。 

とある島にエセ能力者がやってきて、TRICKを使って島民を騙し、宗教団体を立ち上げる。 その島から、ある人を探し出して、連れて来て欲しいという以来を受け、主役の二枚看板がエセ霊能力者に立ち向かっていくことになることで、物語がスタート。

村を一つ消し去ってしまうトリックや、巨大な岩に手をかざすだけで山の頂まで上げてしまうトリックもあり、その種明かしも「TRICK」の魅力の一つであろう。 勿論、最後には意外なトリックもあるが、正直に言えば、映画を見た人なら、前半でそのトリックに気づいた人も多いのではないか、と思う。

どうやら、この映画で最後らしいが、出来れば続投して欲しいというのが、僕の本音。 口惜しい作品であることは間違いない。

CMで映画の宣伝をしているが、皆、「よろしくね」を連呼している。 知る人ぞ知る伝説の芸人「ユートピア」のネタの一つだ。 口にゴムを銜え、お互いに距離をとって一気に離すという、今なら罰ゲームでよく見かけるネタを終始やっていたのが「ユートピア」である。 勿論、映画にも登場している。

エセ霊能力者役は、2時間ドラマ「赤い霊柩車」でお馴染みの片平なぎさ、キーパーソンは、今や売れに売れる女優でもあり、最近では、「なっちゃん」のCMでも有名な掘北真希である。 

内容・登場人物ともに、非常にコアな作品「-劇場版- TRICK2」。 初めて見る方でも、見たことがある方でも、十分に楽しめる作品だろう。

というわけで、画像もコアにしてみた。 秋葉原でメイドカフェのチラシを配布している女の子に群がる男達である。 「萌え~」とは言っていなかったが、嬉々として写真を撮っている男達に、女の子はこう言っていた。

「よろしくね」

お後がよろしいようで・・・。

「読めるけど読めない小説」

2006年06月14日 | Weblog
さわやかな夏の香りにそっと目を閉じると、鳥の声と木々のざわめきが、心地よいリズムで僕の耳に届く。 夏の福音に心を弾ませ、まるで羽の生えた靴のように足取りが軽く感じられる。

朱に交われば赤くなる。 オレンジ色の街灯が紫陽花の色を粉飾している。 まるで、紫陽花が社会の歯車のように見えて、僕と重なる。 ただ一つ、その紫陽花の本当の色は、僕にしか分らないだろうと思うと、途端に愛しく感じた。

今回は、また一つの本を読破した。 まさかの宮部みゆきである。

その本は長編小説で、600弱のページ数。 内容は一言に尽きる。 「最高だ」。

タイトルは「レベル7」。

僕は推理小説を読む際に、物語の顛末を想像しながら読んでいく。 今回もそうしていたのだが、見事に騙された。 二重、三重の展開に感服。 この小説を読んだ人が、小説家を目指していたら、その夢すら諦めてしまうかもしれない。 これは、宮部みゆきからの挑戦状であり、この物語を越えてみろ、という意図を感じてしまう。

推理小説は、よく「パズル」に例えられるが、ありきたりな推理小説は、鍵となるピースを一つ見つければ、全部解読できてしまうものが多い。 しかし、この「レベル7」は違う。 鍵となるピースを見つけ、そのパズルを形成し、完成させたとしても、ピースの裏にも違う絵が隠されていたような気持ちにさせられるのだ。 通りで、500ページまで読まないと、展開が読めないワケだ。

記憶をなくした男女が、自分の記憶を探そうとしている時、一人の新聞記者と名乗る男が現れる。 その人物と一緒に記憶を探すことになり、男女は自分達の様々な記憶の断片を見つけていく。

その裏では、女子高生が「レベル7まで行ったら、戻れない??」という謎のメッセージと共に失踪してしまう。 その女子高生を探すため、立ち上がったのが家庭の主婦。 

二つの物語が交互に展開していき、最後には見事に合致するが、それだけで終わらないのがこの小説の魅力。 大どんでん返しの結末が待っているのだ。 

様々な登場人物の中には、味方も敵もおり、誰が味方で誰が敵なのか、というスリルもある。 映画に「レザボア・ドッグス」という映画があるが、それと似た要素も感じられた。

「レベル7」とは何なのか? 女子高生の行方は? 見つけた記憶は本当に正しいのか?

謎が謎を呼び、謎を解くと謎が増える物語「レベル7」。 僕は、また一つ、宮部みゆきに魅入られた。 今度、買う小説は絶対に違うものを買うことにする。 そして、それが終わったら、宮部みゆきをまた読もう。 本当にレベルの高い作品である。 お後がよろしいようで。。。

画像は、しんちゃんの大好物。 肝心の味は、キャラメルコーンにチョコレートを塗りつけたような味だった。 おまけに入っているシールの袋を破る時、中に入っていたシールも破れてしまった。 中から出てきたのは、割れたオニギリだった(解る人だけ解って下さい)。 

「古典落語の面白さ」

2006年06月04日 | Weblog
暖かい陽射しに背中を押されるようにして、行き先も決めずに歩いた。 建設中のビルが巨大なガイコツのように、僕を見下ろしている。 街の色が変わり始め、太陽が最後の悲鳴をあげた。 月は見えない。

暦が変わり六月になった。 あっという間の春が、別れを惜しみ涙を流す時期である。 仕様がないから、春の涙に付き合ってやるか、という気持ちでいるが、雷だけはやめて欲しい。 一歩も動けなくなってしまう。

今日は、ちょっと趣向を変えて、落語を一席紹介したいと思う。 友人からの受け売りだが、古典落語の一つである。 


それでは、題目は「猫の皿」。

時は江戸時代、商人たちは、諸国を行脚し、安く仕入れたものを江戸に持ち帰り高く売ることで収入を得ていた。 ただ諸国を渡り歩くが、成果のないこともしばしば。 次に登場する商人もその一人だった。

商人「あぁ、疲れた・・。 何もいい物がなかったなぁ。 どうしよう・・。 とりあえず、茶でも飲んで、休みながら考えるとするか・・。 おっ、丁度いい所に茶屋があるじゃないか、どれどれ・・・ごめんよぉ!」

店主「はいはい、旦那さま」

商人「茶をくれ」

店主「はい、ただいまお持ちします」

商人「はぁ~、どうしようかね。 これじゃ、ただの歩き損だ」

こうして、商人が不毛な行脚に参っていた時、一匹の猫が商人の前を通り過ぎ、茶屋の戸口へ。

商人「おやっ? 猫だね。 どこに行くんだい? あぁ、そうか。 戸口に飯椀があるんだね・・・はて、あの飯椀、どこかで・・・あっ、そうだ! あれは有名な梅小鉢じゃないか! どうしてこんな茶店に梅小鉢が。 そうか! 店主は、あれが値打ちもんだってことを知らないんだ。 そうかそうか、だから猫の餌皿代わりに使ってるんだな。 よしっ、これは良いことを思いついた」

そして、商人は猫に「おいっ! おいで、おいで。 こっちにおいで」と言って呼び寄せると、猫が商人の膝の上へ。

商人「お~よしよし、いい子だねぇ。 おい!親爺、親爺!」

店主「はいはい、なんでしょう? あっ、いけませんよ、そんな汚い猫を。 お着物が汚れてしまいますよ・・・」

商人「いいんだよ、私は猫が好きでねぇ、この猫も可愛いじゃないか。 もし良かったら、この猫を私に譲ってくれないかい?」

店主「いけませんよ、そんな汚い猫を」

商人「私は気に入ったんだよ。 さぁ、譲ってはくれないかね?」

店主「まぁ、そこまでおっしゃるなら、汚い猫ですが・・・どうぞ」

商人「おぉ、そうか。 これはありがたい。 ほら、もうこんなに私に懐いてるよ・・・あぁ、そうだ。 親爺、猫は飯椀が変わると餌を食わなくなるっていうじゃないか、どうせなら、その飯椀も一緒に譲ってくれないかね。 もちろん、タダとは言わないよ。 2両だそうじゃないか、どうだい?」

店主「へぇ、この飯椀だけはご勘弁を」

商人「なんでだい? 別に高価なもんでもないだろう。 そんな汚い飯椀だ、譲ってくれてもいいじゃないか。 私は2両も出すって言ってるんだよ」

店主「へぇ、ですから、これだけは御譲り出来ないんです」

商人「どうしてだい? そんな汚い飯椀に価値もないだろう」

店主「へぇ、それが、この飯椀は、「梅小鉢」というそれはそれは高価な代物でして」

商人「・・・ど、どうしてそんな高価なものを猫の餌皿なんかに使ってるんだい?」

店主「へぇ、この皿を使ってますと、猫が2両で売れるわけです」


「猫の皿」は、大体こんな感じである。 多少、自分で付け加えたところもあるので、全体的な印象だけを見て欲しい。 説明は不要であろう。 古典落語の醍醐味がちょっとでも分ってもらえれば、僕は満足である。

落語にも、「落ちがあるもの」と「落ちがないもの」があるが、僕はやはり「落ちがあるもの」が好きである。 この「猫の皿」は「落ちがあるもの」で、僕の好きな部類に入る。 

このブログを書いていたら、また落語が聞きたくなってきた。 出来るなら、古典落語を見てみたいが、浅草演芸ホールは、朝の部以外は期待出来ない。 これは一つ、居酒屋で友人に披露してもらうしかないか・・・。