ボランティアを行なっていて、どうしようもなく困った事がありました。
何年か前にある重度障害者の一泊の集まりにボランティアとして
参加した時のことです。
私は、小学校低学年の女の子の担当になりました。
その子は、食べることが出来ないので
鼻から管を通していました。
歩くことはできるので、その時も元気に妹さんと
はしゃいで遊んでいました。
エレベータが大好きで私は、彼女と妹さんと何度も何度も
エレベータに乗り降りしました。
「きゃーきゃー。もう1回!」
喜ぶ顔がうれしいので、何十回も乗っては降り、
乗っては降り・・・。
その困ったことは、突然起こりました。
部屋で3人で遊んでいた時のことでした。
妹さんがついついいらだちからおねえちゃんを
責めたのです。
「どうして、そんな簡単なことができないの?」
というように・・・。
ただ、単純においかけっこしてただけなんですが、
ふっとコトバにしたみたいでした。
おねえちゃんは、移動には困りませんが
そんなに俊敏に動作できるわけではないんですね。
わーーーーっ。とお姉ちゃんは泣き出しました。
「私、変でしょ?出来ないの変でしょ?」
と口走りながら。
私には子供がいないんです。
子育ての経験もない。
本当に咄嗟にどうすることもできなくて、
自分がこの子だったらどうしてほしいかを考えました。
「変じゃないよ。変なんかじゃないんだよ。」
わーーっと泣きながら、その子の小さい肩を抱きしめていました。
2人してわーーーーっ。
妹さんも泣いちゃって、3人してわーーーーーっ。
冷静に考えると、バカですね。
大人が何やってるんだという感じです。
でも、その時その子のせつない気持ちに答える事が
泣いて抱きしめることでしかできなかったんです。
その後、ほどなく騒ぎはおさまりました。
「泣いたカラスがもう笑った」
子供は、けろっと感情を切り替える事ができるからです。
会議から戻ってきたお母さんにこの事を報告すると
「そうですか・・・。」
とちょっとさみしそうに微笑みました。
もしかしたら、姉妹によくある光景なのかもしれません。
きっとあの子達は、そんな事忘れちゃったんだろうなあ。
でも、私には忘れられない出来事になりました。
何年か前にある重度障害者の一泊の集まりにボランティアとして
参加した時のことです。
私は、小学校低学年の女の子の担当になりました。
その子は、食べることが出来ないので
鼻から管を通していました。
歩くことはできるので、その時も元気に妹さんと
はしゃいで遊んでいました。
エレベータが大好きで私は、彼女と妹さんと何度も何度も
エレベータに乗り降りしました。
「きゃーきゃー。もう1回!」
喜ぶ顔がうれしいので、何十回も乗っては降り、
乗っては降り・・・。
その困ったことは、突然起こりました。
部屋で3人で遊んでいた時のことでした。
妹さんがついついいらだちからおねえちゃんを
責めたのです。
「どうして、そんな簡単なことができないの?」
というように・・・。
ただ、単純においかけっこしてただけなんですが、
ふっとコトバにしたみたいでした。
おねえちゃんは、移動には困りませんが
そんなに俊敏に動作できるわけではないんですね。
わーーーーっ。とお姉ちゃんは泣き出しました。
「私、変でしょ?出来ないの変でしょ?」
と口走りながら。
私には子供がいないんです。
子育ての経験もない。
本当に咄嗟にどうすることもできなくて、
自分がこの子だったらどうしてほしいかを考えました。
「変じゃないよ。変なんかじゃないんだよ。」
わーーっと泣きながら、その子の小さい肩を抱きしめていました。
2人してわーーーーっ。
妹さんも泣いちゃって、3人してわーーーーーっ。
冷静に考えると、バカですね。
大人が何やってるんだという感じです。
でも、その時その子のせつない気持ちに答える事が
泣いて抱きしめることでしかできなかったんです。
その後、ほどなく騒ぎはおさまりました。
「泣いたカラスがもう笑った」
子供は、けろっと感情を切り替える事ができるからです。
会議から戻ってきたお母さんにこの事を報告すると
「そうですか・・・。」
とちょっとさみしそうに微笑みました。
もしかしたら、姉妹によくある光景なのかもしれません。
きっとあの子達は、そんな事忘れちゃったんだろうなあ。
でも、私には忘れられない出来事になりました。
子どもがいても分かりません。
生まれたときからその子を育てていなければ、
とっさには分からないでしょう。
でもうめももさんの抱きしめてあげたことは、
言葉よりもとっても大きな「愛」があったと思いました。
入院中に見つけた記事に
「人間が 永遠にやさしさを 忘れないために
神さまは この世に 障害者を贈り続ける」
と言う言葉がありました。
うめももさんの記事を読んで、この言葉を思い出しました。
健常者も障害者も笑って暮らせる世の中に
したいですね。
「障害者が一番障害者を差別しているんやで。オレも車椅子乗ってるけど知的障害の人を見て、『オレの方がマシ』って思うもんなぁ。。。」
「目の不自由な人が耳の不自由な人を見ても、オレと同じこと言ってたわぁ。。。」
自分のことって一番気になることなんですよねぇ。
他の誰かよりもマシだ、って。。。
でも、そう思うことって、ごくごく自然なことなんだと思いませんか?
>「私、変でしょ?出来ないの変でしょ?」
>「変じゃないよ。変なんかじゃないんだよ。」
私には自然です。
みんな違っていて当たり前。
だから、彼女は自分が変だと思った。
みんな違うから幸せなんです。
だから、みんなで抱き合えたんですよね!
ごめんなさい・・・。
つらい思いさせるつもりはなかったんです。
この事以外でも、私は同じ年代の子供から
「私、変でしょ?」と言われた経験があります。
その子は障害を持っていませんが、複雑な家庭環境にありました。
障害や病だけが悲しみに人をひっぱるんじゃないんです。(障害を持っていても、HAPPYな人はいますし。)→特集をしたナカロックさんとか・・・。
どんな状況であれ、心に傷を持つ人がそう思うんだと感じました。
そして、人間は完璧じゃない。
泣いたり落ち込んだり傷つく事もあるけれど、
きっとたちあがり生きていく。
あのボランティアであったこの事は、子供の強さ(人間の強さ)を改めて知る出来事でした。
quedonoさんが出会った障害を持った方の率直な気持ちは、とてもわかります。
そう、quedonoさんがおっしゃるように自然な事かもしれません。
「皆、違って当たり前。」
quedonoさんのいうような考えが普通に人々の心に芽生えていくようになれば、もっともっと楽に生きることができるはずです。
世の中にある争いや差別もなくなるでしょうね~。
いえいえ、辛くなって泣けてきたんじゃないですから、
安心してくださいね。言葉不足でした。
感動の嬉し涙・・・のほうです。
いまは辛くて泣けてくるというのはないですね。
すべて、嬉し涙です。
「いつになったら涙は涸れるのか・・・
と、ずっと思っていましたが、
一年間も泣き続けることはありませんでした。
いまから思えば短い期間ですが、当時はとってっも長く感じましたね。
涙の分だけ強く・やさしくなれたかなぁ
って思います。
心が痛かったんです。ほっ。
感動~お~良かったぁ~。
そっか・・・。未歩さん、いろいろありましたものね。
未歩さんの強く・やさしく!!には、
私が、太鼓判を押します。(ど~んと。)
未歩さんのように、穏やかさをそなえた人間に
私もなりたいです。