蛙の掘立小屋~カエルノホッタテゴヤ~

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「夢二の妻」にしかなれなかった女~岸たまき(1)

2005-09-17 23:09:11 | れとろ・とりっぷ
夢二に最も大きな影響を与えた「三人の女性」。気が強い姉さん女房、たまき。芸術に対する感性を持った、彦乃。少女のような無邪気さと、年齢以上の強かさが同居するお葉。個性がそれぞれ異なれば、夢二に対する愛のあり方もそれぞれ異なりました。
先ずは、たまきから。

岸たまき(戸籍名:他万喜)は加賀金沢出身で、代々儒学者として藩に仕えた家柄でした。明治維新により武士から士族になった人々の大多数は、「武士の商法」という言葉のとおり、新時代に馴染めず転落の一途を辿りました。しかし、たまきの父・岸六郎という人は先見の明があったようで、裁判所の判事としての道を選び成功します。武家の伝統と父の成功。この二つがたまきにお嬢さんとして育つことを許し、彼女の奔放な性格を助長していったと言えるでしょう。
父は高岡で判事を勤め、たまきもこちらで縁付きます。が、その相手は夢二ではありません。県立高岡工業学校で図画を教えていた日本画家・堀内喜一。彼がたまきの最初の夫です。しかし33歳の若さで病死。たまきは所謂「未亡人」となりました。

良くも悪くも行動力が有り余っている彼女は堀内喜一との間に出来た子を養子に出し、兄を頼って上京。早稲田鶴巻町に「つるや」という絵葉書屋を始め、名物女将となります。彼女の美貌に惹かれてやってくる人々の中に、当時まだ学生だった夢二がいました。
出会った当初の夢二に対する印象は、決して芳しいものではなかったようです。早稲田実業の学生だと言うが、髪はモサモサの長髪で、役者の絵葉書は無いかと訊かれ無いと答えると、それじゃあ売れないと文句をつけてくる。しかも、

「それなら僕が、早慶戦の絵を描いてあげよう」

などと言ってくる。
しかし、既に雑誌の小間(こま)絵(=カット)等を描いていた夢二の着眼点は確かでした。彼の絵を葉書にしたところ人気となり、夢二は絵葉書作家としての名声とたまきの心両方を手に入れたのでした。

追記:
堀内喜一のプロフィールを、一部修正。(2005年9月22日)

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