蛙の掘立小屋~カエルノホッタテゴヤ~

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「夢二の妻」にしかなれなかった女~岸たまき(2)

2005-09-18 00:17:46 | れとろ・とりっぷ
好きあってした恋愛結婚。しかし、二人の結婚生活は長く続きませんでした。気性の激しいたまきと、繊細な感受性を持つ夢二。しかも揃って我が強い。二人の間には喧嘩が絶えず、2年で協議離婚。
たまきは後に夢二との関係を振り返った手記で、偽造された印により騙されるようにして夢二の父・菊蔵により別れさせられたと言っています。あくまでたまきの言い分ですので、果たしてそこまでエゲツナイ手段がとられたのかは不明です。しかし、菊蔵が夢二たち夫婦の生活ぶりに呆れ怒ったこと、たまきに主婦失格の判を押したこと、二人に別れるように言ったことは考えられます。八幡で父を手伝う仕事を辞めて、家出同然に上京した夢二。そもそも、郷里にいられなくなったのは、父の女性問題が原因。そのせいで姉も離縁され。彼の父に対する気持ちは決して穏やかではなかったと思います。しかし、この時ばかりは父に従ったところを見ると、夢二自身、この結婚に疲れていたようです。
また、たまきにしても、夢二に正統派の絵画の勉強をさせようとしますが、あるいは個性を殺すことになると窘められ、あるいは展覧会に落選しと、夫としても画家としても、頼りないものを感じていたと言えるでしょう。
菊蔵が促すまでもなく、互いに疲れはてていたのです。

しかし、二人の縁は離婚のみで切れることは無く、この後も次男、三男が生まれています。有体に言えば、腐れ縁というやつです。

この二人の関係に止めを刺したのは、父・菊蔵ではなく、「第二の女性」彦乃の登場でした。彼女の登場で夢二の心は少しずつ離れていき、とうとう破局へと転がり落ちていきます。
当時、夢二がたまきにやらせていた夢二デザインの小物を売る店「港屋」。そこは一種の美術サロンとなっていました。ここに出入りしていた若い才能の一人に、東郷青児がいました(よろしかったら、こちらもどうぞ)。東郷は夢二不在の「港屋」で、たまきの為に「夢二ふう」絵葉書を描くなどしていました。そして、彼らの間が「怪しい」という噂がたつようになったのです。林えり子氏は『愛せしこの身なれど 竹久夢二と妻他万喜』で、二人があたかも不倫関係にあるように密告したのは彦乃ではないかとしています。有り得ないことではないですが、夢二自身、大正3年12月17日の日記で、次のように記しています。
男はその愛する児の口から「かあちゃんと東さんとパヽさんのゐないときねたよ」と聞いて「さうかえ」とばかり言ってだまつてしまつた。
それをきいてゐたばあやは
「そんなこといふのぢやありません」
とたしなめたが子供は何故いけないのだか知らない。
(中略)
近所でも「あのおくさんは旦那様のるすに若い男と歩いて金でもしぼつてゐるんだろ」とばあやに言つたさうだ。

既に噂は広がり、夢二の耳に届かないわけにはいかなくなっていたのでしょう。
サロンの女王が取り巻きのうちの一人を寵愛していただけなのか、実際に取沙汰されたような関係だったのか。真相は藪の中です。
しかし嫉妬に心とらわれた夢二は、自分が既に彦乃と付き合っていることは棚に上げ、富山の宮崎海岸で刺した刺さないの喧嘩となります。このとき、夢二のたまきに対する執着は消えいきました。しかし、たまきからは消えませんでした。

夢二の絵に「SAYONARA」という作品があります。袴をはいた女先生が、青い洋服の女の子を外まで送っている絵です。これは、離婚後自活の為に保母の見習いをしていたたまきをモデルにしたものだと言われています。確かに、パッチリと開いた先生の目は、たまきに似ているかもしれません。
このとき夢二は、ここで出会ったのも神のお導きだと言って(二人はキリスト教に傾倒していました)、たまきによりを戻すよう持ちかけました。彼女は躊躇いながらもその言葉に従います。
後から振り返れば、それがたまきの方から夢二と縁を切る、最大のチャンスだったかもしれません。

追記:
夢二日記の内容を修正。引用追加。(2005年9月22日)

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