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福岡国民文化懇話会2月定例会

2009年02月23日 09時14分54秒 | Weblog

 週末はいかがお過ごしでしたか?

 さて、土曜日に、福岡国民文化懇話会が開催されました。

 今回は、葦牙(あしかび)教育研究所所長で、元福岡県立高校の校長、志賀建一郎先生をお招きし、「元寇研究会設立について」と題してお話しをいただきました。

 皆さんもご存じのように、元寇とは、鎌倉時代に当時の中国大陸を支配していた元が日本を侵略した「文永の役」「弘安の役」を指します。

 私たちが教科書で学んできた歴史では、主に…

 ①元軍の集団戦法に、日本軍は一騎打ちで立ち向かったため被害が大きかった。
 ②元軍は「てつはう」という武器を使用し、日本軍を悩ました。
 ③元軍は筥崎宮や博多の町を焼き払い、日本軍は水城まで退いた。

 という印象が強いのですが、中村学園大学の佐藤鉄太郎教授の研究によって、有名な「蒙古襲来絵詞」を検証がすすめられ、新しい事実が提唱されてきています。

 例えば、竹崎季長が元軍に攻撃され、馬や足を射られている有名な場面…教科書でもよく見る絵ですが、よく見てみると、その背後には敗走する元軍の姿が描かれています。そして、反撃している三人の元軍の絵は、他の絵に比べて鮮明であり、顔つき・服装が全く違います。更に、実はこの絵詞は2枚つくられた物が切り貼りされてしまい、今は一つになっているそうなのですが、その切り貼りされている間にこの絵が描かれているし、下のライン(足下の線)が明らかに違うことが分かります。

 他にも、この「蒙古襲来絵詞」に書いてある内容を忠実に検証してみると、実は苦戦をしたのは元軍であり、博多の町も焼かれていない。日本軍は大変強く、よって、元軍は敗走し、「残ったのは1艘のみ」だったのだ、と主張されています。

 大変説得力もあり、これまで「神のご加護で」とか「偶然の台風が」国を救った、というだけで、これまであまり目立つことのなかった、実際に戦った鎌倉武士の奮闘ぶりを考えることができ、大変力を得る説だと思いました。

 又もう一つ…志賀先生の「話し方」「迫力」を、私は学び、お手本にしたいな、と思っています。実に生き生きとお話しをされ、聴衆の心を揺さぶります。皆さんも是非一度触れて欲しいです。

 志賀先生には、毎月、久留米市の水天宮にて行っている「水天宮輪読会」で輪読指導をいただいていますので、ご興味有る方は是非お越し下さい。

それから、 「元寇研究会」は、次回5月6日に行われます。詳しい内容を知りたい方は、弊社にお問い合わせいただいてもかまいません。

 …土曜日に頂戴したご講話のなかで、「チャイナ」の主張する「国境」の概念について興味深い内容がありました。明日にでも改めてご紹介いたします。どうぞお楽しみに。

(文責:横畑雄基)
 


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