昴星塾(ぼうせいじゅく)のブログ

リサ・ロイヤルの「ギャラクティック・ルーツ・カード」に親しむ会。不定期の掲載。

リラックスタイム 猛暑をいかにしのぐか / まじめなはなし 年金

2011年07月15日 | 日記

2011年7月16日

リラックスタイム 猛暑をいかにしのぐか / まじめなはなし 年金

今回は、2話にしました。最初のほうだけで閉じてしまってもいいです、損しますケドネ。

■ リラックスタイム 猛暑をいかにすごすか

 

毎日あまりに暑くておまけに熱帯夜。本物の熱帯のリゾート地のほうがまだ涼しいかも、と嘆きの声が聞こえてきそう。

 でも、外国はそう甘くない。ヨーロッパ方面、とくに南欧諸国、ギリシャ、イタリア、スペイン、ポルトガル・・これらの国債価格の急落とユーロの下落がこの2,3日急浮上してきた。予想されていたとはいえ、不穏な流れだ。とくに、イタリアの財政危機がもし本物なら、ギリシャ以上に大きな激震となる可能性がある。サッカーとパスタとオリーブとピザとワインのイタリア。僕は大好きだが、今でかけるのは、「ちょっと、待った!」の髭ジイである。

 旅行の代わりに、納涼特集とした。7月2日の同じ東京新聞に載っていたのだが、なんとなく比べて見ていて、あんまりおかしくて腹を抱えて笑い出した。ただ、男性軍は大喜びかもしれないけれど、ご婦人方からは猛反発を食らいそう・・。

ひたすらお許しあれ。

 

まずは、これ。箱根の温泉芸者さんたちが、そろって打ち水、「いらっしゃいませー」

 

 

 

行こうかな・・

 

次は傑作。時事漫画だけれど、ほとほと感心・・・

 

陰の声 「やっぱ、天狼星児って趣味悪いねェ・・」

すみません・・

 

       まじめなはなし

 

 若者の国民年金への期待と信頼が急速にしぼんできているようだ。30代以下の未納率が30%から50%以上らしい。問題は二つある。今の国民年金は、後の若い世代が、高齢世代の年金給付の基礎になる部分を支払っていること。もうひとつは、若者が今、年金を支払わないでいるということにより、彼らの30年後の年金給付はない、ということだ。

(払いたくないというより、派遣などの賃金では月13000円は払えない、という事実がある。)

 いずれにしても、制度としての年金はあと遅くても十年くらいで消滅だろう。

 これは、高齢者にとって、というか、あと十年後に高齢者の仲間入りをするであろう四十代、五十代、の人たちがとくに真正面から向き合わなければならない問題のはずなのだ。つまり、この世代の人にとって、後に続く若い世代からの年金の資金供給がないからだ。

 そのうえに、自分たちが積み立ててきた年金給付額も、大きな経済変動(今回の震災を予測できた経済評論家はひとりとしていないのだ)が必ず十年以内にあるはずだが、そのとき、間違いなく目減りするだろうから。

結局、払った分の給付がもらえない事態となる。先進国は経済成長戦略などとれないのだ。だから、年金が増えるはずもない。あるとしても、ひとつの安定成長しかありえない、もしくは災害で人口減少するのみだ。だからといって、いまの発展途上国に無理やり大量消費型の市場を作らせることをもくろむ先進各国の財界指導者たちは、まもなく荒廃して手が付けられない環境破壊された地球を子孫に残しても平気だろう。嘘だと思うのなら、テレビや新聞、雑誌の株式解説を読んでみてごらんなさい。目先の値動きに一喜一憂し、モラルも環境も安定した雇用の創出もまったく視野の外なのだ。とにかく、大手の企業経営者のほとんどは株主が利益を出せればそれで成功者なのだ。しかも、数億の報酬をもらって、それを財産権だなどと言い切っている。そんな権利を認める必要がどこにあるだろうか。

 要するに年金というものは、一定の金融取引での黒字がでなければ原資を損ない、給付できなくなる。そして、もうその可能性があるのだ。これまで年金の屋台骨だったのが国債だが、日本の国債もアメリカの国債も最近格付けを下げられた。これは深刻なことなのだが、大きなニュースにしないらしい。つまり、せっぱつまってニュースが大きく出る前から、40代以上の人は、(5,60代ならもちろんのこと、)年金を当てにしない生活を長期にわたってどう創り出すかを、今、まさに今、考えることが必要なのだ。そうしないと手遅れなのだ。まさか、40代以下の人たちが、あなたの老後のためにこれから身を粉にして働いてくれる、とは期待しないでしょう。

 では、どうするか。それは、地産地消で、各地域がそれぞれの自然を活かしながら、自立経営していくほかはない。各自治体のエネルギーの自立(スマートグリッド)強化こそが重要であって、海外市場ばかり見ている傲慢な巨大企業にもたれあう下請けはもうつぶれていくしかない。そういう下請企業が方向転換できるように導くのが政治ではないか。ところが、明治維新は、廃藩置県で中央集権国家を築いて、その後大久保利通を軸に強大な官僚主義的な国家資本主義の日本を選択した。その恐竜はこんどこそ、地をはいつくばることになる。例えてみれば、先日の「やらせのメール」で連日謝罪の九州電力のように。また、数千万年まえ、小惑星がユカタン半島に落ちて、一瞬にして恐竜の時代が終わったように。小さな哺乳類が恐竜にとってかわるのである。地域力が強まり、郷土意識と地球社会や自然環境との平和なつながりが続くように努めれば、天が味方する。これはそう思いたい、というのではない。必ずそうなのだ。だから、老害経営者や原発推進利益にこだわる政治家、経済団体の代表などが、明治時代を回顧し近代化の成功の夢をもう一度、などと大河ドラマのような発想、そんな傲慢な時代錯誤はやめなければならない。日本の自然と共生する郷土を守っていくことこそ、本当の保守だ。

そういう身近な目的と、手仕事を大事にする経済活動の場を共同でもつことができれば、やりがいがあるものなのだ。社会的インフラは、今回の震災ロボットでわかるように、歩行ロボット-アシモみたいなものはいらないのだ。モバゲーなどへのゲームきちがいを生み出すパチンコ自閉症みたいな技術もいらないのだ。むしろ、自前の、原子炉の中に入って活動できる、災害のときの安全をしっかりともたらす工業製品を残せばよい。そういう肝心なものへの投資に「興味がない」というのがこれまでの日本企業であり大学だ。だから、アメリカとかフランスの災害対応技術を使うはめになって、今も汚染水浄化がうまくいっていない。日本の技術思想の根幹の大敗北なのだ。

 家庭菜園や都市菜園の普及は特に今後の食糧難(外国が日本に野菜や肉を売らない事態、つまり、かれらも自国民を食べさせられるだけのものがなくなってくるからだ。バカな企業が遺伝子組み換え農業などを貧しい国の人におしつけて、どうなっているかよく見たらよい。)に対処するうえで不可欠だろう。都市はもっと雨水を大切にしなければならない。今のような、無駄に流してしまうのでなく、共同で貯水して、都市菜園に使ったり、広域水撒きをしてヒートアイランドを減らしたり、いくらでも知恵の出しようはあるのだ。そうなったら、雨を汚す原子力などあってはならない。火力発電も煙の処理ができないなら(できるはずだが、やりたくないのだ)止める覚悟が必要だ。

 トイレも水洗から、堆肥化の工夫を考える時期が近づきつつあるようだ。

 日本にあこがれているらしい外国人も、なんで日本人は、旧態依然とした政治家やマスコミや財界の発想にこだわるのか、と不思議に思っているにちがいない。「ものづくり」は大企業にあるのではない。日本のものづくりは中小企業にあるのだ。そこをもっともっと自立してやっていけるように、生活ができて社会にも役に立つと実感できるように活かせないようでは、政治にならないではないか。

(もうひとつ。日本人はマグロの刺身はごくすこし、ありがたくいただくことにして、もっと消費を減らそう。マグロ好きな人もこだわりの時はもう終わっているのだ。)