2010年9月5日
タイトル:仏教の基礎知識は知っておこう-1 沈黙の声
ショッキングな出だしで恐縮ですが、どなたもいずれはターミナル期を迎えます。一人として死を迎えない人はありえません。でも、もしかしたら例外があるのでは?ひょっとしたら、私は決して死なない、と固く信じているのが私たちの本音ではないでしょうか。
それはこの際ちょっと脇においておきましょう。
このブログは、まずはしばらくの回、不死について、不死というものがあるのかどうかについて語りたいと思います。ただ、肉体の死ということではなくて、死んだら何も残らないのか、という意味の「死」と、そうではなくて永遠に残るものがあるという意味の「不死」のことです。私はこれに関する質問を、いろいろな質問を、いろいろな場所で、いろいろな人から受けました。質問というより、その方の物の考え方を伺っていたとき、かならずしもご自分ではよくつかめていないと心の中でつぶやかれたのを私は聴いてきました。声なき声、沈黙の声というものはあります。きっと、あなたもよく考えれば、ごく親しい人の無言の声をお聞きになったことがおありでしょう。
私はこれに答えたいとこれまでも思ってきました。沈黙の叫び声が、介護現場から、病院から、家庭から、学校から、ふだんの会話からあがってきていたからです。
しかしながら、答えたくても、私とその人たちの間に共通の場が欠けていることが多かったのです。ですから、私の答えが十分に伝わることが少ないので、この場をかりて答えたいと思います。共通の場を「仏教」に求めましょう。もし、これを受入れていただけるなら、私のブログを続けて読んでみてください。不思議なご縁により、これまでずいぶんいろいろなことを学びました。
とても一冊の本では書きつくせないくらいあります。系統立ててこぎれいにまとまるようなものではありません。途中でおもしろくなくなったら、どうぞ休んでください。
それでは次回は、来週に。