gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

幻想 (弐)

2008-11-08 22:07:57 | 日記・エッセイ・コラム
P1010738_2

所変わって北極の民イヌイットが住む世界は、白が支配する世界「白」や「黒」は明るさを意味する言葉で、色ではないとされているものの雪や氷の状態の微妙な違いを見分ける事が出来るのだろう。冬、白色の世界の住人である彼らは、16、17の白を示す言葉を持つという、我々日本人は、四季があり、温帯、海に囲まれ南北に長く、等々変化に富む地勢的な理由からか、繊細な違いを表す多くの色名を有する世界でも稀な民族と認識しているが、北極の白の世界を16、17も区別、認識する事はおそらく不可能な事と思われる。認識する事が出来ないという事は、つまり聞いても、読んでも理解出来ないという事であり、青い空、白い雲、赤いドレスのダンサーが…と言ってみても百人百様思い描く色は異なるといういい加減な所があるのであり、普段の会話の中で共通に認識していると錯覚しているだけで、随分と多くの誤解を無視しながら情報の交換は進んでいるのである。

これは、別に色に限った事ではなく、例えばフィリッピンアンダマン海で水上生活を何世代にもわたり営々と営んできた漁民の一族が水平線に対する思い、イメージ、近くはよく手入れされた京都北山杉の垂直線の中、あるいはまた垂線と水平線で構成されたビルの林立する摩天楼の環境の中で、小さな頃から日常を過ごした人間では空間を構成する其々の線に感じるイメージが当然異なるはずである。

要約するなら人間が創り出した多くの曖昧さを内包する『言葉』のみならず実際に目に映る『色』や『形』あるいは『音』?までもが個々の体験からくるイメージのズレを有しているという現実であり、これらを最小単位として構成されている文学、平面あるいは立体等の視覚又音楽等の表現領域においては相当な行き違いがあるとしても不思議な事ではないはずである。こうした事が先に紹介したH氏の「我々は自分の見ている(感じている?)……」との誰もが一度感じた事のあるであろう疑問?漠然とした不確かな不安をもよおした原因なのかもしれないのである。

長い事、物を創り出す傍ら矮小な美意識を論じて来た事を振り返ってみた時、軽い眩暈にも似た恥ずかしさを覚えているのは、最近とみに美について論じる機会が少なくなった事が幸いしているのかもしれないと、日課の様になった黄昏時のぼんやり時間、草むす庭?で谷川のせせらぎ声を聞きながら物を創り出す背景について考えるのである…。  《頭目》
P1010739_2P1010740_2





幻想 (壱)

2008-11-08 22:06:15 | 日記・エッセイ・コラム
P1010734_2

我々の生活の中で当たり前と思われている常識、小さい頃からいつとはなしに刷り込まれた知識の中には『?』マークの付く事柄も多くある様に思える、歳をとって少し疑り深くなったきたという事なのだろうか、近年やたらに不可思議に思われる事が目に付く様になったきた。

数日前、放任主義農法?を試みるH氏と話をしていた時、彼は自分の見ている(感じている?)色や形と同じものを他人も見ているのだろうかと、ずっと疑問を感じているという様な内容、これは僕が物創りの道に入った時、感じていた不安感の様なものと同じであり、今は大きな塊として心の中に存在してはいないのだけれど、常に、自分の心の中を覗き込む癖のある人や子供の頃の好奇心を持ち続けている人にとっては永遠の疑問なのかもしれないと感じた。

そんなこんなの解答結論という訳ではないのだけれど、例えば一般に我々が信じる色についての概念がいかにいい加減なものであるのか、小さい頃、我々に教育という名の下に刷り込まれた『暖色』や『寒色』、小学生時分に買ってもらった12色のクレヨン、いいとこの金持ちボンボンなど金や銀の入った、当時高価な30数色のクレパスは羨望の的であったが、上等のやつには蓋の裏あたりにレモンの輪切り状の図(色環という)があり例の暖色、寒色、中間色云々の説明があった様に記憶している。
心の真っ白な子供は、先生という権威の押し付けも手伝い、これを何の抵抗もなく受け入れたのだ。しかしこれは一部、地球の温帯に位置する先進国、文化的優位な地、国の人間が創った身勝手な概念であり、決して世界共通のものばかりではあり得ないのだ。
ちなみに世界各地の色に対する感受性、イメージの聞き取り調査アフリカ、灼熱の空気が支配する砂漠、乾燥した大地では、熱い暖かい印象を受ける色、すなわち暖色とは、ほぼ一年中照りつける太陽、雲一つない濃い青一色の空、つまりブルーであり、寒色とは乾いた大地にほんの一時期やって来る雨季、白っぽかった大地が濡れた色、こげ茶色、身の回りの世界がこの色に染まって来ると涼しい風が吹き渡るのだ。更に想像をたくましくすれば、水が溢れ、草木が芽吹き、生命の乱舞が起こるこの一時期、こげ茶色は寒色というだけのイメージに留まらず、もっと豊かな喜びの概念を内包しているのではないだろうか。
《頭目》
P1010736_2