介護・・・天使になれない・・・。

今 介護されている方どうか その人のためだけど、自分まで疲れてしまわないように。1人で背負わないで…。

胃癌再発から約1年すぎて・・・義父77歳・・・永眠 

2010年05月21日 20時05分38秒 | 介護って・・・。
ここに来て下さった方々
いろいろとありがとうございました

平成22年2月26日 午前10時45分・・・
家族に見守られながら
静かに 眠ったまま 静かに息をひきとりました。

1月生まれだから、77歳の誕生会をしてあげたのが最後で・・・

今でも信じられないのですが、やっと現実を少しずつ 受け止めながら・・・

週に3回は家族でローテンションを組み、付き添い泊まりをしていましたが、

義母は 左半身少し不自由だから、父のご飯作ったりも出来なかったら、
ほぼ、病院診察も、付き添いもみんなで、、、長く辛い道のりでした。

糖尿もあったから、自宅では、朝晩の血糖値測定、インスリン注射をしてあげたり、

暮れには 肝臓の下に、大きな、がん細胞が出来、
胆道をつぶしていたので、顔や体 黄疸が出て一時 危なかったのですが、
今は胆道に、パイプを入れる、ドレーン手術も出来るのですね。

だんだん痩せていき、痛み止めも効かなくなったとき、幻覚が出たり、
人格がかわるほど、怒り出したり、目がすわり、本人も 死の恐怖と戦って
いたのでしょう・・・涙。

義母の 介護のプログでしたが、まさか、義父が 
先にいなくなるとは思ってもいませんでした。。。

義母は、脳出血 術後、甲状腺がん手術から5年たちましたが、
何とか自分の用は足せるので、助かっています。
週2回のディサービスと、週2回 訪問リハビリ 要介護2の母ですが、
やはり、家で診ている分、気が休まりません。

しかし 逃げも隠れも出来ず、なんとかなるさ・・・で、ガンバリマス。

胃癌術後 再発してしまった・・・。

2009年10月28日 19時07分41秒 | 介護って・・・。





ここをのぞいてくださる皆様・・・
とってもご無沙汰をしていました。

ごめんなさいね。

月日のたつのはなんて早いのか・・・


タイトルの通り 義父は今年の1月に CT検査したら
再発してしまいました。

写真は2年前の秋に見つかった、義父のスキルス胃癌の写真です。(病院でもらった)

手術はこんな状態でした。↓クリックしてくださいね

手術の日・・・クリックしてくださいね






胃癌の手術のあと TS-1の 抗癌剤を飲み続けていても、再発

飲み薬から 抗癌剤の点滴に変更

抗癌剤の副作用が きつくて、だるさ はきけ 脱毛 

抗癌剤も何種類もあるので、3回 3種類目の抗癌剤点滴も辛いので

先週の月曜日に 義父を連れて受診したときに、

抗癌治療を 本人の希望でやめることにしました。

主治医の先生も 「そうですか・・・わかりました」

と、あっさりと引いてしまいました。

じつは あまり良くない状態に来ているからなのです。

夫の・・・左手首骨折。。。

2008年01月15日 13時54分11秒 | 介護って・・・。
およよょょょ・・・・。

私はもう泣きたい。。。

ちょっとだけ・・・泣かせてください。。。。。

わぁぁぁぁぁぁぁぁぁん

1月8日 私が またまた胃が痛くて 胃腸科で 胃カメラをしていた時・・・

無痛 半睡眠 胃カメラをした後、別室で 

1時間の仮眠をするように

看護婦さんに言われて ベットで寝ていたら、

  携帯が ブーン ブーン

うつろうつろに 電話に寝たまま出ると、オットが・・・

「しもたー。手首折れてもた。どこの病院行こうか?」

えーーーーーーーー 冗談は よしこさん !!!」←昔はやった ギャグ。

寝ているところではなく はね飛び起きて、病院に連れて行きました。

ここまで 運気が 下がるとは・・・だんな様の介護も 受けてたちますわ

続きはまた書き込みますぅ。。。


進行胃癌の胃カメラ写真

2008年01月08日 20時38分26秒 | 介護って・・・。
キモくてごめんなさい。

義父の病院の先生に頂いた

写真が出てきたので・・・

この時 胃カメラの写真で スキルス胃癌ⅡB
でも 手術して 開けてみたら、ⅢB でした。

 誰でも 年に一回は どうでも 
   胃カメラをしたほうがいいです。

 主治医の先生がそう言っていました。

    早期発見が第一です。
 

胃癌 抗癌剤 ティーエスワンカプセル

2007年12月26日 00時26分31秒 | 介護って・・・。
  義父は おかげさまで手術の日から、
             1ヶ月で退院できました。



最近の 抗癌剤治療

  クリックしてくださいね

 ティーエスワンカプセル



  義父は 進行胃癌 ステージⅢB
  
  スキルス胃癌でした。

  胃の2分の1を 切除して

  2週間後 に取った物の ( 癌のある部位の ) 断層写真を
  
  主治医の先生から パソコンを 開きながら 見せていただき 

  主人と 私と 義父に 説明がありました。

  義父は リンパにも転移をしていたので

  抗癌剤治療 を しなくてはなりません。

  義父「先生・・・うら 悪い所を、取ってもたからそんでいいんかと思いました・・・」

  ポツンと そうつぶやきました・・・。

  3週間 ティーエスワン というカプセルの 抗癌剤を飲むのですが
  1週間 飲んだら 一泊入院して 抗癌剤の 点滴をして
  また 2週間 ティーエスワンカプセル飲んで、
  2週間は 薬のまず お休み。
  ↑が 1クールです。

  それを 5クール しなくてはならず・・・

  今 自宅で 朝晩飲んでいますが、高齢もあり 糖尿病 もあり
  副作用があり 食事して 胃が、もたれるから寝てばかりです。
  顔色もよくありません。
  
  精神的にも いろいろ考えて 落ち込んでいるみたいです。
  これから 続くにつれて 副作用にばてて来るかもしれません。
  
  家族に 癌の病人が出るとは思いもよらず
  なんていっていいのか 毎日が 無事に終わるのを
  感謝しながら これから がんばらなくては・・・

  胃の手術の後の 食事はとても気を使います。。。

  なぜなら 腸閉塞にならないように

  やわらかいもの 消化のいいものを・・・
  退院前に 管理栄養士さんに 話を聞きに行きました。  

CO 2 ナルコーシス

2007年12月08日 22時07分53秒 | 介護って・・・。
11月20日 午前9時からの

胃癌(術前2期)の胃2分の1切除の 手術。

朝 義父の 病室に 義母と主人 主人の弟が集まり
手術前の 義父に緊張をほぐすため、いろいろ会話をしていると
看護士さんが、
「さあ、手術室にいきましょうか?」と、みんなで歩いて手術室へ
入り口で 分かれて・・・心の中で皆祈りました。
無事 手術が成功しますように・・・・・・。

12時半過ぎに、看護士さんより 控え室に、
「手術が終わりました。取った物の標本をお見せしますから説明室にどうぞ・・・」

息を呑んで、説明室に・・・
主治医の先生が、
「これがお父さんの取った部分の胃です。この部分が癌です。」
と、私の横で義母が・・・
「主人は癌だったんですか・・・」
心配性の義母には、悪性の腫瘍としか言ってなかったもので・・・医者は・・・
「お母さん知らなかったんですか?」
主人は携帯で写真を取りました。
事前に医師から写真撮る人いますからどうぞと言われていたので
でも 私は撮る気持ちになりませんでした・・・。
採った牛タンみたいな胃と、丸いリンパのようなもの コロコロと・・・
気持ち悪くって・・・

医師は、最初の診断は 2期と言いましたが、
実際は3期bでした。リンパにも転移してました。と・・・
家族はつばを飲み込みありがとうございました・・・
だけを言い、無言で 病室で 義父が処置を済ませて部屋に来るのを
待っていました。
30分位してベットに横たわり白い顔した義父が戻ってきました。
麻酔も少しさめかかっていて、軽く会話が出来ました。
付き添いはいいといわれたが、私だけ残ることにして、
4時ごろ皆 帰ることになった。

4時半 5時・・・6・・・7時・・・
4時過ぎしゃべった後 大きないびきを立てて眠ったようだった。
5時過ぎ 主治医が来たときも大きないびきで起きなかった。
7時ごろ 傷のガーゼ交換したり オムツをはずしても起きない・・・
ふっと私はいやな予感がした・・・
副婦長さんに ちょっとおかしくないですか。何しても起きないし
以前 脳梗塞したことありますし・・・

大丈夫でしょう。麻酔でしょう。

と、言われたけど心配で、モニターをずっと見ていた・・・
9時半ごろ、ピピピ・・・血圧が141 161 180・・・
「看護士さんすぐ来てください。血圧が!!!」
私は叫びました。
「絶対おかしいです。医師を呼んでくださいーーー」
一人の看護士が、義父の目にライトを当て、
看護士「意識レベル・・・・・」
看護士「先生に連絡」
看護士「○○さん起きてくださいーーー」

義父は 手も足もぶら~ん。目は動かない・・・
私は「先生はいつ来るのーーー」

看護士「30分はかかります」
私「先生は帰っているんですか。か 家族に連絡は・・・」

看護士「先生が来てからに」

私「そ そんなーーー。」
待っていられるわけないので、すぐ主人に
私「義父さんが 動かない・・・すぐ来てーーー」

医師が到着。
私「先生なんで起きないんですかーーー」

医師「んんん。考えられるのは麻酔の性だと思います。
全身麻酔と背中に入れてある麻酔とで聴きすぎているのだと。」

私 主人 義弟「このまま 朝まで置いたらおかしくなっちゃう。
検査してーーー。CTと血の検査ーーー」
主人と義弟も来ている。みんなお葬式のことを考えていた・・・

ということで、無理やり検査をしてもらったら 血液検査に
CO2 ナルコーシスの症状が・・・↓

http://www13.plala.or.jp/thoraco/homework/0025.html

息が出来なくなり危篤状態に・・・すぐに ICU室に搬送。
義父の兄弟も義母も夜中に呼んで夜中の11時50分くらいに到着。
ICU室の前で待機・・・やがて 義父は酸素吸入器を付けて一命をとりとめた。
少しだけの面会が出来た。

死にそうな顔の義父。。。

よかった・・・死ななかった。。。

みんなみんな 涙して喜びました。。。



胃癌に 義父が・・・

2007年11月29日 18時41分09秒 | 介護って・・・。
また 大変な事態になりました。


義母が 入院して甲状腺の手術をして 退院して
一週間目の日 私は一週間目の義母の検診に大学病院へ

その日 義父は 胃カメラをした結果を聞きに 胃腸科に行き
私たちが帰ると 義父も帰ってきて、

「うら 胃の悪性の腫瘍があるで、紹介状もって入院せなあかんのや・・・」

えっ!!!まじ!!!

大学病院から帰った足で また 義父を連れて胃腸科に行き
先生に詳しく聞くと、胃の出口辺りに こぶが3個。

一日も早く手術したほうがいいです。と 言われ 家族皆肩の力が
抜けていきました。

人生のシナリオは誰が書くのか・・・運命なのか。。。

11月12日入院
11月20日手術。。。

 この手術の無事終了した夜 付き添いしていたときに
      大変なことが起きてしまいました。

また日を改めて書き込みます。。。涙
 

甲状腺 手術しました。

2007年10月26日 10時10分33秒 | 介護って・・・。

皆さん 心配して 訪れてくださった方々ありがとうございました。

16日手術で 23日に 退院しました~

入院前の検査結果 ( 喉のしこりに 針を刺して細胞を取った ) の時に、
主治医の先生に お手紙を書きました。

びんせん 一枚ですが、

「先生どうか・・・義母は ありのまま癌とか言うと 悩んでウツに

なってしまうタイプなので、今日の細胞の検査の結果は悪く言わないでください。

入院したときに 家族が先生に聞きますから、どうか今日は良性とか、ただの ポリープと言って下さい。」

と、受付で 看護士さんに カルテにはさんでもらいました。

この日 先生は うまく
「5段階のうち 良性よりの 2 ですから心配ないですよ。」 と 、本人に告げてくれました。

実際のところ 甲状腺濾胞癌の 疑いあり・・・でした。

で 入院の日 義母をつれて入院。2日後に手術。

義母の娘さんと 義父と 私。

手術が終わるまで 娘さんと食事に行って、後 部屋で待機。

3時間半位して 手術が終わり ベットに乗って戻ってきました。
義父を 病院内 探し回っても見つからない・・・汗
主治医の 先生の お話が あるだろうに・・・

まさかーーーと思い 自宅に電話したら、(車で1時間かかる)
           えーーーーっ、家に 帰っていたわ (激汗。。。゜゜゜)

娘さんと2人 結果を聞きましたところ 

「その場で 取った物の検査では一応 良性 だと思います。手術は声帯も 食道も 傷付けることなくうまくいきました。」

 と、 娘さんと ほっと 一安心でした。
一晩 全身麻酔で 頭や背中のの痛いという 義母に 体さすり一晩付き添うことに。
娘さんは学校行く子供がいるし、車で3時間かかるので、帰ってもらいました。

その細胞の 最終再検査の結果が29日です。

長々と書きましたが 最後まで 読んでくださってありがとうございます。

甲状腺 腫れてるなっ て 思ったり 食べ物がつかえるみたい と 思ったら
早めに 診察を受けて 邪魔なものは 早めに取ったほうが 
簡単な 手術で済むそうです。 

皆さんもこれから寒くなりますし

気をつけてくださいね

甲状腺乳頭癌・・・・・・。

2007年09月23日 14時12分05秒 | 介護って・・・。
またまた・・・・・義母に大変な病気が見つかりました
先日 義父と 定期検診に 脳外科に 受診して
食べるとき 喉になんかつかえるんです。
ど言ったら 耳鼻咽頭科に回されて、エコーや カメラを喉に入れたら
なんか膿があるなぁ・・・と 医者が。
そこで 義母が、「先生 癌ですか?」って 聞いたら、
「癌やなぁ。」と、言ったそうな・・・・

家に帰ってくるなり 
「私は癌やで手術せなあんかのや・・・」
そう言い・・・・・どよ~んと うつ状態・・・

なんで 医者が 簡単に 本人に言ったのか
即効で 医者に駆けつけ 事情を聞きに・・・

義母だけには 事実でも 事実を言ってほしくない家族の気持ちを・・・

18日に 紹介状の 病院に診察に行って来ました。
喉の しこりに 針を刺して 細胞を 取って 検査。
胃カメラ エコー よぼよぼと 疲れきった 義母を 励ましながら・・・

次は 25日の 細胞の検査結果を聞きに行きます。
そのときは 嘘でもいいから 先生に
 「細胞取ったら良性で、ただのポリープだわ。」
と、言い切ってもらおうと思います。


病気に勝つ前に 気持ちに負けてしまう義母だから・・・

甲状腺乳頭癌は とてもおとなしい癌で
     ●甲状腺乳頭がんについて●クリックしてね。

手術によって リンパに転移があってもきれいに取れる、
治る癌といっていい 予後も10年以上良好だそうで、

義母は、 癌=死 と、思うタイプなんで、
なだめる家族のほうが ウツになりそうです。
大丈夫といっても だめなの。
だから 看護婦さんから 先生に頼んで、ポリープだって言ってもらうつもりです 

10月の終わりか11月はじめ 私も付き添いになりそうで・・・・・
仕事とかの調整に バタバタしそうです。

義母は、 通所リハビリ  週2回 
      訪問リハビリ  週2回 
      整体師     週1回
けっこう 1週間 忙しいスケジュールでしょ。
恵まれているといえば 恵まれていますよね。
介護申請受けれるのに 受けていない、
家族が申請してあげない方もいるのだから・・・。

更新申請受けるときに 歩けるのに 歩けませんとか言ってますわ・・・・・。

元気になった義母

2007年08月22日 22時32分23秒 | 介護って・・・。
残暑御見舞申し上げます。
いつも見に来て下さってありがとうございます

義母は、右脳出血で 手術をしてから4年がたとうとしています。

術後 直ぐの 理学療法 リハビリが始まり 左手は動かないでしょう・・・
 と言う主治医の診断からは、リハビリを始めてしばらくたってから、
驚くことに・・・かすかに動きだした。
びっくりした。本人も リハビリの先生も・・・
今は 服のボタンかけや、ボタン、ホックのズボンは無理だけど
ゴム入りズボンの 上げるのに左がうまく上がらないけど、自分で
トイレもお風呂も 今ではなんとか出来ます。
食事はこぼしたり空けてしまったり失敗はありますが・・・

動けないときに 付き添って下の世話や マッサージ 着替え お風呂入れたり ご飯を食べさせてあげたりの事がなくなり 楽になりました。

家族に 病人がいると もちろん本人は一番大変でつらいけれど・・・
家族の気の重さが・・・気にかけるしんどさが・・・
病人のための 買い物の時間や 病院付き添いの時間や・・・家での気遣いが
義父は寝る前にマッサージしてあげたりよくしてくれるのですが、疲れきっています。

まだまだ 重度の介護をなさってる家族の方にはほんとに、心のつらさに
胸が痛みます。

お盆には長男である家には、人が集まります。
大勢の食事の用意、掃除、もてなしと・・・
何も十分に出来ずにお盆が終わってしまいました。
 
15日は実家のお墓参りに行って ご先祖様に手を合わせてきました。
そして お墓の周りの杉林の、
懐かしい新鮮な空気をいっぱい吸ってきました。