日頃の日記ブログとは別に,書き物もしてみようかなぁ。
と思った吉日。^^;;
いつまで続くかは解んないけど,まー書いてみよう。
第1弾シリーズは,FCが題材。
って,正確にはマイFCが題材。^^;;
なので,自画自賛でもしてみよう。(笑)
話は僕が小学生の頃から。。。
小学校の授業で,社会見学。
当然,地元企業の最大手「東洋工業株式会社」である。
そう現在は「マツダ株式会社」という会社。
見学の本命は,組み立てラインなどの工場を見ることであるが,
当然,世界唯一のロータリーエンジンの技術を紹介される。
と言っても,小学生にエンジンの動作理論だとかがロクに理解出来るはずもなく,
僕の心には「世の中のエンジンは全てロータリーエンジンである」と刻み込まれる。(笑)
そして,車は好きであったが,メーカーだとかに興味の無かった僕の心には
「世の中の全ての車は東洋工業で作られる」とも刻み込まれる。(大笑)
中学生になり,技術実習のエンジンの授業を受けるのであるが,
当然,説明はレシプロエンジンで行なわれる訳で,,,
「違う~。>_<」と心で叫ぶ事になる。
この時になり,初めてロータリーエンジンが特別なエンジンであることを知る。
そしてスーパーカーブームの頃,見事にフェラーリ,ランボルギーニにハマってた僕にとって,
リトラクタブルヘッドライトは特別な存在となり,
ロータリーエンジン搭載(当然マツダ車)で,リトラクタブルな車である
サバンナRX-7(当時SA22C)は,僕の心を射た車となる。。。
高校生となった頃には,フジテレビのF1レースの放送が始まり,
モータースポーツを「観る」ことに大いに関心を持つことになるのである。
そして,同じ部活で未だに続く腐れ縁となるKoji氏と出会ってしまう。
彼により,僕のマツダフリークぶりは更に増幅されたことは言うまでも無い。
否定のし様も無い。
その頃には,「セブンを買うぞ」と既に心には決まっていたのである。
高校を卒業し,就職をした1990年(平成2年),あるレーシングマシンを見ることになる。
それは,アメリカのレースIMSA GT CHANPIONSHIPで通算100勝目を勝ち取った
「Mazda RX-7・GTO」である。

写真はマツダ発行の「POLE POSITION Vol.23」誌から勝手に拝借。^^;
もー格好良過ぎ。
市販車形状がベースなので,ベースとなったFC3Sのシルエットが見える。
と言っても,中身はスペースフレームにカーボンとアルミのボディを貼っているから
全くの別物であるけど。
このアングルだと,FC3Sの形状が入ってるのが良く解る。

マイFCは最終的にこの形になることが希望である。<無理
後ろ姿は,

幅広ボディに市販車と同じテールレンズが装着されている。

これが市販車マイFCのテールレンズ。
これはもう,「NEW サバンナRX-7のマイナーチェンジ後」しか選択肢は無い。のである。
(現在の言い方をすれば「FCの後期」)
一直線にマツダオート広島(現・アンフィニ広島)へ試乗に行く訳だが,,,
入社1年目,免許取立て,18歳の僕に,,,
高額な車体価格のためのローンと,高額な保険代を賄えるはずも無く,
「セブン」への想いは,平成2年式,黒のFCに試乗しただけで潰えてしまうのである。。。
結果,平成2年式のファミリアアスティナを新車購入することになる。
マツダ車,リトラクタブルヘッドライトではあるが,ロータリーエンジンが無い。
更に翌年,アンフィニRX-7(FD)へとフルモデルチェンジしてしまい,
200~300万円台が販売価格であったFCに比べ,
最低が400万円近くのFDは,若輩ものには手の届かない「セブン」となった。
(この頃は,中古車を買う脳味噌は持ち合わせていなかった)
その後,アスティナで雨の中を走行中,スリップからコントロールを失い,,,
西広島バイパスのトンネル壁に,右フロントから接触。。。
そのまま右回転のスピンで,360度ボディをトンネル壁に押し付ける事になる。
見事,廃車。--;;
しばらく,バイク生活が続くものの,やはり車が欲しいので,
「妥協」して中古車を選択することにする。
「セブン」は中古車でも高く,↑の様なクラッシュをした後で,「買う」とも言えず,
マツダ車で2ドアな車を考える。。。
最初はカペラC2が欲しかったのだが,マニュアルで良いタマが見つからないことと,
お財布の大いなる事情により,,,
不人気車でマニュアルミッションのため価格もリーズナブルな,エチュードを購入する。
まぁ,何となくリアセッションがFCぽくて気に入る。(笑)
このエチュードが意外に当たりで,「中古車でも良いじゃん。」って脳味噌が植え付けられる。
その後,バイク仲間にジープでオフロードに連れて行かれたことから,
ジムニーをかなり衝動買いする。しかも新車。。。
オフロードを楽しんでいる頃,Koji氏がFDを購入する。
これにより,消えかかっていた「セブン」欲しいの火が小さく再点火される。
とは言え,ジムニーでのオフロードがかなり楽しくなっていたので,
すぐに購入を考えることは無いのだが。。。
2000年,岡山に転勤となることをキッカケに,エチュードを弟に譲り渡し,
ジムニー1台だけで岡山へ移住することになる。
しかし,岡山にはオフロードを走る友人は居ないし,気軽に走れるオフロードが
どこにあるのかも知らないため,オンロードでしか走らないジムニーは,
その役目を見失いつつある中,,,
Koji氏がFDでサーキット走行するのに同行し,
「セブン」欲しいの火は,「セブン」でサーキットを走るぞに燃え広がる。(笑)
その後,Koji氏の紹介でオークラオートへ行き,FCを探してもらうことになる。
Koji氏には,「サーキットで走るんだったら,FCではFDには敵わないよ」と
言われつつも,僕の心を走る「セブン」は「Mazda RX-7・GTO」であり,
それはFCベースでFDベースでは無いのである。
極論すれば「FDは僕にとって『セブン』では無い」のである。
FCの条件は,エンジンはオーバーホールするつもりなので,
無事故,基本的にノーマルに近いもの,黒色,当然マニュアル,
あと出来ればGT-Xグレードである。
予算は十二分に。^^;
が,10月にお願いしたものの,良い車体が見つかるまでに長期を要す。
基本的に妥協しないことにしたのもあるのだが,
イニシャルDブームで,多くのFCが白に塗り替えられており,
黒で状態の良い車両がかなり少なかったこともある。
その間,Koji氏含め,オークラさんとFCをどうして行くかのアイデアが,
ドンドン出され,夢のFCが構想される。
中には「そこまでやるんかい」とツッコミも入れていたのだが,
後々Koji氏から「当初構想より凄くなっとるじゃねぇか」とツッコミ返される事を
この時は誰も知らない。
そして,待つこと半年,翌年の3月にマイFCと相まみえることになる。
それは,平成2年式,黒色のFCである。
Koji氏のせいにしつつも,
実に10年越しの恋が実った瞬間である。(笑)
第2話へ続く。
と思った吉日。^^;;
いつまで続くかは解んないけど,まー書いてみよう。
第1弾シリーズは,FCが題材。
って,正確にはマイFCが題材。^^;;
なので,自画自賛でもしてみよう。(笑)
話は僕が小学生の頃から。。。
小学校の授業で,社会見学。
当然,地元企業の最大手「東洋工業株式会社」である。
そう現在は「マツダ株式会社」という会社。
見学の本命は,組み立てラインなどの工場を見ることであるが,
当然,世界唯一のロータリーエンジンの技術を紹介される。
と言っても,小学生にエンジンの動作理論だとかがロクに理解出来るはずもなく,
僕の心には「世の中のエンジンは全てロータリーエンジンである」と刻み込まれる。(笑)
そして,車は好きであったが,メーカーだとかに興味の無かった僕の心には
「世の中の全ての車は東洋工業で作られる」とも刻み込まれる。(大笑)
中学生になり,技術実習のエンジンの授業を受けるのであるが,
当然,説明はレシプロエンジンで行なわれる訳で,,,
「違う~。>_<」と心で叫ぶ事になる。
この時になり,初めてロータリーエンジンが特別なエンジンであることを知る。
そしてスーパーカーブームの頃,見事にフェラーリ,ランボルギーニにハマってた僕にとって,
リトラクタブルヘッドライトは特別な存在となり,
ロータリーエンジン搭載(当然マツダ車)で,リトラクタブルな車である
サバンナRX-7(当時SA22C)は,僕の心を射た車となる。。。
高校生となった頃には,フジテレビのF1レースの放送が始まり,
モータースポーツを「観る」ことに大いに関心を持つことになるのである。
そして,同じ部活で未だに続く腐れ縁となるKoji氏と出会ってしまう。
彼により,僕のマツダフリークぶりは更に増幅されたことは言うまでも無い。
否定のし様も無い。
その頃には,「セブンを買うぞ」と既に心には決まっていたのである。
高校を卒業し,就職をした1990年(平成2年),あるレーシングマシンを見ることになる。
それは,アメリカのレースIMSA GT CHANPIONSHIPで通算100勝目を勝ち取った
「Mazda RX-7・GTO」である。

写真はマツダ発行の「POLE POSITION Vol.23」誌から勝手に拝借。^^;
もー格好良過ぎ。
市販車形状がベースなので,ベースとなったFC3Sのシルエットが見える。
と言っても,中身はスペースフレームにカーボンとアルミのボディを貼っているから
全くの別物であるけど。
このアングルだと,FC3Sの形状が入ってるのが良く解る。

マイFCは最終的にこの形になることが希望である。<無理
後ろ姿は,

幅広ボディに市販車と同じテールレンズが装着されている。

これが市販車マイFCのテールレンズ。
これはもう,「NEW サバンナRX-7のマイナーチェンジ後」しか選択肢は無い。のである。
(現在の言い方をすれば「FCの後期」)
一直線にマツダオート広島(現・アンフィニ広島)へ試乗に行く訳だが,,,
入社1年目,免許取立て,18歳の僕に,,,
高額な車体価格のためのローンと,高額な保険代を賄えるはずも無く,
「セブン」への想いは,平成2年式,黒のFCに試乗しただけで潰えてしまうのである。。。
結果,平成2年式のファミリアアスティナを新車購入することになる。
マツダ車,リトラクタブルヘッドライトではあるが,ロータリーエンジンが無い。
更に翌年,アンフィニRX-7(FD)へとフルモデルチェンジしてしまい,
200~300万円台が販売価格であったFCに比べ,
最低が400万円近くのFDは,若輩ものには手の届かない「セブン」となった。
(この頃は,中古車を買う脳味噌は持ち合わせていなかった)
その後,アスティナで雨の中を走行中,スリップからコントロールを失い,,,
西広島バイパスのトンネル壁に,右フロントから接触。。。
そのまま右回転のスピンで,360度ボディをトンネル壁に押し付ける事になる。
見事,廃車。--;;
しばらく,バイク生活が続くものの,やはり車が欲しいので,
「妥協」して中古車を選択することにする。
「セブン」は中古車でも高く,↑の様なクラッシュをした後で,「買う」とも言えず,
マツダ車で2ドアな車を考える。。。
最初はカペラC2が欲しかったのだが,マニュアルで良いタマが見つからないことと,
お財布の大いなる事情により,,,
不人気車でマニュアルミッションのため価格もリーズナブルな,エチュードを購入する。
まぁ,何となくリアセッションがFCぽくて気に入る。(笑)
このエチュードが意外に当たりで,「中古車でも良いじゃん。」って脳味噌が植え付けられる。
その後,バイク仲間にジープでオフロードに連れて行かれたことから,
ジムニーをかなり衝動買いする。しかも新車。。。
オフロードを楽しんでいる頃,Koji氏がFDを購入する。
これにより,消えかかっていた「セブン」欲しいの火が小さく再点火される。
とは言え,ジムニーでのオフロードがかなり楽しくなっていたので,
すぐに購入を考えることは無いのだが。。。
2000年,岡山に転勤となることをキッカケに,エチュードを弟に譲り渡し,
ジムニー1台だけで岡山へ移住することになる。
しかし,岡山にはオフロードを走る友人は居ないし,気軽に走れるオフロードが
どこにあるのかも知らないため,オンロードでしか走らないジムニーは,
その役目を見失いつつある中,,,
Koji氏がFDでサーキット走行するのに同行し,
「セブン」欲しいの火は,「セブン」でサーキットを走るぞに燃え広がる。(笑)
その後,Koji氏の紹介でオークラオートへ行き,FCを探してもらうことになる。
Koji氏には,「サーキットで走るんだったら,FCではFDには敵わないよ」と
言われつつも,僕の心を走る「セブン」は「Mazda RX-7・GTO」であり,
それはFCベースでFDベースでは無いのである。
極論すれば「FDは僕にとって『セブン』では無い」のである。
FCの条件は,エンジンはオーバーホールするつもりなので,
無事故,基本的にノーマルに近いもの,黒色,当然マニュアル,
あと出来ればGT-Xグレードである。
予算は十二分に。^^;
が,10月にお願いしたものの,良い車体が見つかるまでに長期を要す。
基本的に妥協しないことにしたのもあるのだが,
イニシャルDブームで,多くのFCが白に塗り替えられており,
黒で状態の良い車両がかなり少なかったこともある。
その間,Koji氏含め,オークラさんとFCをどうして行くかのアイデアが,
ドンドン出され,夢のFCが構想される。
中には「そこまでやるんかい」とツッコミも入れていたのだが,
後々Koji氏から「当初構想より凄くなっとるじゃねぇか」とツッコミ返される事を
この時は誰も知らない。
そして,待つこと半年,翌年の3月にマイFCと相まみえることになる。
それは,平成2年式,黒色のFCである。
Koji氏のせいにしつつも,
実に10年越しの恋が実った瞬間である。(笑)
第2話へ続く。