<今回歩いたところのH30年の航空写真>
●歩いた日:2023年7月6日(木)
●歩いた所
・長野(長野):小合田、太田袋、杉ノ窪、五百刈、神林、関根
・黒鐙(清水):下黒土、上黒土、金鐙、瀬川
・賢木(清水):北又
●歩いたログ(足跡)(道のり7.3km)
(地図・航空写真:国土地理院)
(📸001の)跨線橋の上に立つといい眺めであるが、しばらく歩いて来てからまた上るとなるとおっくうになってくる。
跨線橋へ上る道に出るところまで行って、鉄道の方を見ると・・・。
(「神林地下道」)
跨線橋の脇に入口が見える。鉄道を横断する地下道のようだ。近づいてみると、入口の上に「神林地下道」とある。
跨線橋を上るよりだいぶ楽をして鉄道の向かい側に出る。出るとすぐ左手に我が愛車「ラパン」がある。車でまた「国道105号」に出、帰路につく。
最後にいつものように、歩いたところの航空写真をご覧いただく。今回の場所はH30年の写真があるので、それから。
(H30年)
左端に「田沢湖線(秋田新幹線)」が南北に、上端に「斉内川」が東西に延びている。左上隅に「国道105号」が写る。
歩いた道筋を黄色線で書き入れた。また、主な集落名も記入した。
跨線橋下の車を止めた場所が「P」。跨線橋の上から眺めた「斉内川」堤防上の桜並木が写る。川の対岸にも桜並木があり、その並木のそばにある黒っぽい大きな屋根は「道の駅なかせん」。
また、左上隅に鉄橋が見える。よく見ると、鉄橋にアーチのようなものはなく、また、両脇に橋のようなものがある。かけ替える鉄橋の工事が進められている最中のようだ。
跨線橋を下りて「神林」集落のすぐ手前で越えた水路(かつて「びるかわ」と呼ばれていたという)を示した。古い航空写真を見る時にいい目印になる。
中央やや下段に104棟のビニールハウスが建ち並ぶ、園芸メガ団地が目を引く。この団地は、大区画圃場整備事業の実施を契機に作られたとあったが、右下隅の田んぼ(「賢木」地区に属する田んぼようだ)以外は大きな区画の田んぼが広がっている。なお、白っぽく見える田んぼは「大豆」に転作する田んぼと思われる。
古い航空写真の場所を特定しやすくするため、ログ地図に載っている神社をピンク色で指示した。
なお、今回歩いたところではないが、「斉内川」の北側、「新山橋」近くに「中仙中学校」の校舎とグランド、「瀬川橋」近くに「JA秋田おばこ」の「中仙カントリーエレベーター」が見える。
次にS50年の写真で、まずは南側の部分。
左端に「田沢湖線」。左上隅が「P」が車を置いた場所で、当時は跨線橋がかかっていない。
右下隅、これも「賢木」になる地域と思われるが、まだ田んぼは未整備で、この後見るS23年と同じ姿をしている。それ以外の地域は、小区画ながらほとんどの田んぼが区画整理を終えている。
中央やや下より、橙線は今回歩いた道筋だが、当時はまだ通っていなかったことがわかる。この写真を拡大して見ると、📸006のところで触れたように、当時は細い道が家々の間を縫って通っていることわかる。
次に同年の北側の部分。
前掲写真と同じく、左端に「田沢湖線」と車を置いた「P」。橙色の線は今回歩いた道筋で、田んぼを大区画に整備する前でもあり、「新山橋」を含めて当時はまだ整備されていない。
中央左下寄り、水路の北側に2軒の家がある。H30年の写真にはない家である。どこかに移転したのだろうか。
「瀬川橋」をご覧いただきたい。橋のすぐ左手(下流側)、川の両岸に古い道が見える。橋を上流側にかけ替えしたことがわかる。かけ替えて間もない頃だろう。
川の北側に「カントリーエレベーター」と思われる建物(大きな影は高い建物であることを示している)ある。S50年以前に建てられたとすれば、県内で最も早く建設された「カントリーエレベーター」の一つということになる。
細かいことだが、「上黒土」の神社のすぐ北、📸011:「上黒土」の風景2に写る墓地がない。本文で「田んぼの整備にあわせて土地を捻出し、新たに作られた墓地のように考えられる」と書いたが、まさしく大区画化にあわせて作られた墓地である。しからばどこにあった墓地か。「⇖」のすぐ下、道から少し離れた田んぼ中に四角に区切られた土地があるが、これが墓地に見えなくもない。
最後にS23年の写真で、西側の部分から。
左側に「田沢湖線」(当時は「生保内線」と云った)が写る。左上隅に「長野」の街部がのぞいている。
左上の田んぼはすでに整備されている。「神林」を含めて旧「長野町」に属する田んぼのようだ。
黄色線は今回歩いた道筋で、当時は道が通っていなかった部分である。
上段左寄りに「斉内川」の旧川筋が写る。川はここで北側に蛇行していたことがわかる。「斉内川」自体はすでに改修を終えて、堤防も築かれている。
次に東側の部分。
左上の旧「長野町」以外の田んぼは、すべて未整備の状況にある。複雑に入り組んだ小区画の田んぼを眺めると、よくぞ、こんな風に田んぼを拓いたものだと思ってしまう。
その田んぼのど真ん中に形成された「上黒土」が、改めて大きな集落であることを実感する。
黄色線は、前掲写真と同様、今回歩いた道筋で当時は道が通っていなかった部分。
「瀬川橋」の南、「⇑」で示したところにS50年には見えない家がある。改めてS50年の写真を見ると、この家の筋向いと、右上、堤防に近い田んぼ中にS23年にはない家が建っている(「➡」の家)。どちらかが「⇑」で示した家が移転した家だろうか・・・。いろいろ想像を巡らすのも楽しい。
(終わり)
●ブログに掲載したログ(足跡)の累計(累計の道のり:598.4km)
累計の道のりが600km近くになってきました。だんだん歩く間隔が長くなり、500kmから600kmに達するまでしばらく(2年余り)かかってしまいましたが、「仙北平野」で歩いていない場所はまだまだあります。1000kmを目標に頑張っていきたいと思っております。
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