<今回巡ったところ(北の部分)のS51年の航空写真>
●歩いた日:2020年12月11日(金)
●歩いた所
・高関上郷(四ツ屋):野際、二ツ屋
・花館:唐関、中台、萩台、葛野、富士見町、上佐渡、東裏地、下中野、上中野、下大戸、中大戸、上大戸
●歩いたログ(足跡)(道のり8.3km)
(以上の地図:国土地理院)
(📷19の「上大戸」の)十字路から、先ほど「唐関」に向かった道の方に向かう。
📷20:「上大戸」の集落を望む
帰り際になってようやく青空から日が射してきた。
中央奥に屋敷林と思われる大木が立ち並ぶ。赤い屋根の左下の建物が「上大戸会館」。その左手に店屋の自動販売機が見える。
ここから出発直後に進んだ道に引き返し、「二ツ屋会館」に戻る。
最後に、いつものように古い航空写真(国土地理院)をご覧いただく。まずはS51年の写真で、巡ったところの北の部分。
(S51年-1)
スタート地点の「二ツ屋会館」が写真の外になってしまったが、「二ツ屋」集落の一部が右端に写る。道筋は現在とほとんど同じで、巡った道を黄色線でたどってみた。
中段右端近くに、田んぼのど真ん中にある墓地がくっきり見える。ここが、「江戸時代」初期に「花館」の街中の現在地に移転する前に「長福寺」があった場所である。人家がないこの場所にどういうことから寺が建てられたのであろうか。
📷04に写る「唐関」の神社の銀杏の木が写る。その木の脇から小道が出ているのが見える。
同じ「唐関」で、📷05には鳥居と小さな石祠と杉の切り株が写っていたが、この写真には杉木立が写っている。
左下隅の方に、📷14に写る、墓地にあった大木が見える。
中央やや上寄りに、📷17では杉切り株が並んでいたが、この写真ではきれいな杉並木となって写っている。また、道のすぐ下(西側)にあった廃屋は赤い屋根の家で、家の左隣に見える木が、📷17の写真にも写っている木のようだ。
右上隅が店屋がある「上大戸」の十字路。庚申塚の脇にある木立も確認できる。
「上大戸」集落の西側の部分をよく見ると、巡った集落内の道のほかに、家並の北側を通る道が写っている(「道⇓」と印したところ)。この道の一部が、📷18-1:「上大戸」の一角2のところで書いた「昔の道跡と思われる狭い砂利道」と思われる。S23年の写真でも確かめてみたい。
余談だが、中央の田んぼ中に、整備される前の水路跡がくっきりと浮き上がっているので、これも後でS23年の写真で確認してみたい。
ところで、今回巡ったところではないが・・、
「下大戸」と記した字の少し上辺りから、黒っぽい色の四角い区画が右手にたくさん並んでおり、右端にはやや大きな区画が見える。また、真ん中辺りに赤い屋根の建物がある。この建物は「鮭孵化場」で、四角い区画は鮭の養殖池である。この孵化場は「明治」時代に設置されたようで、「玉川橋」すぐ下流の簗(ウライ)で捕獲された鮭の卵をここで孵化し、稚魚を池で育てて「玉川」に放流している。
次に南の部分。
左下が「花館」の街並。旧「羽州街道」から少し入り込んだところに「長福寺」がある。「二ツ屋」近くの元あった場所からは2㎞足らずの距離である。
当時、「国道105号」はすでに開通しているが、「大曲バイパス」は開通していないので、その路線を橙色で書き入れてみた。
「唐関」から南に延びる古い道と「国道105号」は、古い道なりに斜めに交差している。しかし、その後「大曲バイパス」が開通し、すぐそばに二つの国道が交差する大きな十字路ができたので、現在、古い道はピンク色の線付け替えられている。
「富士見町」にはすでに多くの住宅が建ち並んでいる。現在スーパーが建つ場所はまだ田んぼである。
📷10の地点が「萩台」の真ん中付近に当たる。前にも書いたように、牡丹紋様の瓶子が出土し、相当古い集落があったというが、「花館駅場」を創設するに当たり移転させられたため、一面に田んぼが広がり民家はまったくない。
(その8に続く)
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