ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

★旧仙南村飯詰・金沢を往く⑦(終)

2023年04月25日 | 旧仙南村を往く

<ブログに掲載したログの累計(累計の道のり:577.8km)>

●歩いた日:2023年2月23日(木)

●歩いた所

 ・飯 詰(飯詰):南中島、藤原、南飯詰、北飯詰、水上、槻木、沓形、轌町、北中島

 ・境 田(飯詰):上中野町、前村、箱出

 ・金 沢(金沢):中関、鞍掛、稜威女、向小屋、野中、小山城、北向小屋、小杉山、寺田

 ・野荒町(金沢):籠林、伊豆林、前谷地
 
●歩いたログ(足跡)(道のり8.4km)

(以上の地図:国土地理院)

 S51年の写真をご覧いただく。S51年は3枚で、まずは西側の部分。

 中央やや左下の「P」が車を停めた場所。

 前回のブログでも書いたが、「中島2号橋」は現在と違って、橋の南北の道が一直線になるようにかかっている。現在はログ地図で分かるように、北から来た道が橋のところで西に少し折れて川と直角になるようにかかっている。なぜそのように架け替えられたのか?。

 S51年の「出川」をよく見ると、「中島2号橋」の下流(西側)は未改修である。その後に改修された時に橋の付近も含めて川筋が少し変わってしまい(H28年の写真を見ると分かる)、橋の北と南の道を一直線につなごうとすると、川筋に対して斜めに架けなければならず、それを避けるために、かける場所と方向を変えたと考えられる。

 次もどうでもいいようなことであるが、「北飯詰」から「橋本橋」に向かう道が、「出川」から少し離れたところを通っている。H28年は川と接するように道が通っているので、S51年以降に実施された、田んぼの大区画化に伴って道が付け替えられたためだろう。

 現在「仙南小学校」が建つ場所に写る学校は「仙南中学校」である。なお、よく見ると、現在はグランドになっている場所に中学校の校舎がある。

 中学校の西側に当時の「仙南村役場」などの建物、北側に赤い屋根の体育館(現在もそのまま建つ)が見えるが、現在多くの公共施設が建つ場所には田んぼが広がっている。

 次に東側の部分。

 左下隅に「飯詰山」と「鞍掛山」がのぞく。

 東側から南側にかけて細かい区画の田んぼが広がる。この辺りは、S51年になっても10a区画にも整備されなかったようだ。

 中段のピンク色の線が現在の道筋。本文でも触れたように、今回は、現在の道の北側を走る当時の道を歩いたところである。

 次に歩いたところの北の部分。


 
 右手に「伊豆林橋」が写る。現在の道筋はピンク色の線となっており、それに伴って橋の位置も現在は北に少し移動している。

 今回は、「伊豆林橋」を渡って北に少し行った後、左折してまっすぐな道を西に進んだ。さらに、「前村」、「水上」を抜け、「出川」沿いを進んで「橋本」に向かった。

 最後にS23年の写真で、これも西側の部分から。

 この写真を見ると「出川」の北側、「飯詰山」の北側と西側の田んぼが、すでに一反歩(10a)区画に整備されている。整備されているところは旧「飯詰村」の「飯詰」に当たるところと一致するようだ。

 そして、田んぼの区画整備が行われると、必然的に川も改修される形になるので、写真中央部辺りの「出川」はすっきりとした川筋となっている。

 現在、「仙南小学校」がある場所を黄色線で囲んだ。当時は田んぼのどまん中である。

 最後に東側の部分。

 写真右半分、旧「金沢町(村)」の田んぼは未整備で、元々の地形を反映した入り組んだ複雑な区画となっている。従って、当時の道は、ピンク色の線で書き入れた現在の道と大きく異なっている。

 道沿いに密集して建つ家々のほかに、田んぼの中にぽつん、ぽつんと点在する家が多くある。ずっと昔からその場所に家があったと思われるが、写真をじっと見ていると、その場所に家を建てることになった一番大きな要因は何だったんだろうか、と考えてしまう。

(終わり)

●ブログに掲載したログの累計(累計の道のり:577.8km)

 次回からも「出川」シリーズで、さらに上流部を歩いた記事を掲載する予定です。ですが、まだ歩いておりません。従って、掲載まで少し間が開くと思いますのでご了解願います。


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