ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

★旧仙北町横堀・旧中仙町清水を往く(その1)

2018年07月13日 | 旧仙北町を往く

●歩いた日:2016年6月24日(金)

●歩いた所

 ・横 堀(旧仙北町):沖田、川戸賀、星宮

 ・清 水(旧中仙町):丙泉、乙沖田、北大吹、南大吹、南谷地

 ・鑓見内(旧中仙町):前田、板屋

 ・四ツ屋(旧大曲市):谷地、前田、切上、東田

●歩いた位置

●歩いたログ(足跡)(道のり9.2km)

(以上の地図:国土地理院)

 7月に入って、西日本における記録的な豪雨災害のニュースが連日放映され、被害の大きさには驚くばかりです。被害に遭われた地域の皆様には心からお見舞い申し上げます。豪雨災害は近年毎年発生し、年ごとに集中的に降る雨の量が増し被害の規模が大きくなっているように感じます。こうした被害をハード的(河川改修や築堤・堤防嵩上げなど)に無くすることは、技術的にはともかく、予算的にはほとんど不可能なことでしょう。地球温暖化を防ぎお天気の神様を怒らせないようにすることが、とても大事なことと思います。

 さて、我が「仙北平野」もしばらく雨の日が続き、久しぶりに晴れ上がると30度を超す暑さとなり、脚の不調とあいまってしばらく出かけられずにおります。そこで今回は、一昨年の6月下旬に歩いた記事を掲載します。場所は、「旧大曲市」の「四ツ屋」、「旧中仙町」の「鑓見内(長野)」と「清水」、「旧仙北町」の「横堀」にまたがる地域ですが、歩いた道の長さなどから「横堀・清水」をタイトルとしました。なお、以前に掲載した「旧中仙町清水を往く-1」と場所的に重なる部分もありますので、あわせて読んでいただくのも良いかもしれません。

 前置きが長くなりましたが、本文に入ります。

「国道105号」から、「羽後四ツ屋駅」のすぐ北側で「田沢湖線」を越えて東に向かう「県道261号」がある。その国道と県道の交差点脇にある、地元産品を手作りした総菜をバイキング形式で選んで食事ができるレストラン「ひだまり」(その後、同場所にコンビニが開店したことからレストランの位置が30mほど移動した)と国道との間に、昔の「角館街道」の欠片が残った空き地があるので、そこに車を止めてスタート。

 まずは県道を「田沢湖線」の跨線橋の方に向けて東に進む。少し行くと道の右手に家々の間を巡る道があるので、県道を離れてそちらに向かう。跨線橋への登り口当たるこの辺りは「谷地」、「前田」である。「四ツ屋駅」から東側の田んぼ中に点在する各集落に至る古い道を進んで、「田沢湖線」を横断しようとするが踏切がない。跨線橋があるので踏切がないのは当然ともいえる。仕方がないので、跨線橋下の小さなトンネルをくぐって北側に出、鉄道を横断できる場所を求めて鉄道沿いの農道を進むことにする。この日、車に戻る直前に撮った写真であるが、その鉄道沿いの道である。

 かなり歩いても鉄道を横断できる踏切がない。結局、写真左奥に見える集落、「前田」(こちらの「前田」は「旧中仙町長野」の「鑓見内」に属する)まで歩いて鉄道を横断し、東に向かう。

 右手奥に「JAおばこ」の「ライスターミナル」(米の集出荷施設)を見ながら田んぼ中のまっすぐな道を進む。この日は曇りであるが、田植えしてからひと月ほど経った青々(緑々?)とした田んぼの眺めは気持ちいい。

 やがて道脇に墓地があり、そこで来た道を振り返る。

📷001:「板屋」の一角から「前田」を望む

 道右奥が「前田」の家々で、そのすぐ手前を「田沢湖線」の鉄道が走り、先ほど横断した踏切も写る。

 きれいに整備された墓地の隣に小さな社があり、その脇に馬頭観音の大きな石碑がある。石碑には某という兄弟の馬商が建立したと刻まれている。馬商は「馬喰」(バクロウ)のことと思われるが、「馬喰」を辞書でひくと、「馬のよしあしを鑑定する人、馬の病を治す人、馬を売買・周旋する人」とある。我が家にも耕運機が入る前(S30年代初め頃まで)は馬がいた。馬喰のような人が来ていた記憶もある。馬がいなくなっても馬屋は残り、そこで祖父がしばらく子取用の雌牛を飼い、田んぼに入れる堆肥を作っていた。

 社の辺りからかなり大きな集落に入る。「板屋」である。やがて歩き始めた時の道と同じ「県道261号」に突き当たる。

(その2に続く)


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