<今回のログ(足跡)>
●歩いた日:2022年4月6日(水)
●歩いた所
・高 梨:上高梨、繁昌、一ノ坪
・払 田:境田、高柳
・上野田:道添、中村、上添、道合、川端、四十八
・安城寺(旧千畑村畑屋):切上、竹花
●歩いた位置
●歩いたログ(足跡)(道のり6.2km)
(以上の地図:国土地理院)
左足の術後の回復にそれなりに時間がかかり、その間に雪の季節に入ってしまったことから、昨年の8月に「旧仙北町横堀」を歩いて(その様子は「横堀を往く-4」で掲載)以来、「仙北平野」歩きには遠ざかっておりました。
足の痛みも薄らぎ、調子も次第に良くなってきた頃を見計らって、雪の日は「イオン・モール」内の散歩、晴れた日はかんじきウォークや歩くスキーなどでリハビリに精を出した結果、ようやく一万歩(6km余り)程度のウォーキングに自信を持てるようになり、この(2022年)4月初めの晴れた日、7カ月ぶりに「仙北平野」歩きに出かけてきました。
歩いた場所は「払田の柵跡」のある「長森」に程近く、「丸子川」のすぐ南側に当たるところです。この後も「丸子川」沿いの地域を、「東山」に向かって川を遡るように歩いて行きたいと考えております。
それでは本文に入ります。
「大曲」の街から東に向かって車を走らせ、「大仙市役所仙北庁舎(旧仙北町役場)」、「高梨小学校」を過ぎてさらに東に向かう。やがて、以前(「高梨を往く-6」)に歩いた「上高梨」に入り、そこで車を停める場所を探しながら進むと、道右側の家並が途切れたところにあぜ道があるので、そこに車を停めてスタート。
車を走らせて来た道に引き返したところで、行く手を望む。
(「上高梨」から東を望む)
この辺り、道の右側は「上高梨」、左側は「繁昌」である。「繁昌」とはめでたい地名だ。手元にある「地名へのいざない」には、番所あるいは見張り番役所の意味か、という記述とあわせて、「高梨」を訪れた「菅江真澄」は、この地に昔住んでいたと伝えられている「万千代姫」の「万千代」が転じて「繁昌」になったと記している、との記述もある。
この日は晴れてはいるもののやや雲が多く、道の奥の「東山」は麓の辺りしか見えない。
ここは「高梨小学校」児童の通学路らしく、歩行帯を示す青緑の線が引かれている。「あれだけ積もっていた雪もあっという間に消えてしまったなあ」などと思いながら青緑の線に沿って東に向かう。やや大きな水路を越えてすぐの十字路で振り返る。
📸001:「上高梨」を望む
振り返ったのでこの写真では道左が「上高梨」。奥に「西山」がのぞく。
道左、手前から二本目の電柱の奥に我が愛車「ラパン」が写る。
十字路を左折して田んぼ中の道をしばらく北に向かう。右手前方の「境田」の家々が近づいたところでまた十字路になり、その角から西を望む。
📸002:「境田」から西を望む
西に向かう砂利道の脇に、高さの異なる二本の水路がある。水面が高い左側の水路が用水路、右側は排水路である。
道奥に雪が残る「西山」が、右手に「丸子川」にかかる橋が見える。
十字路から「境田」の道を東に少し進んだところで、来た方向を振り返る。
📸003:「境田」から南西方向を望む
見える家並は、左手前が「道添」、右奥が「繁昌」。「道添」の家々の手前を左から右に歩いて来たところ。
屋根下にうず高く積み上がっていた雪がまだ所々に残っている。
(その2に続く)
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