ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

★旧中仙町豊岡を往く-4⑦(終)

2024年06月28日 | 旧中仙町を往く

<「神成橋」たもとから「上村」、「フカウヂ」方面を望む>

●歩いた日:2024年5月12日(日)

●歩いた所

 ・斉内(旧太田町):川原

 ・大神成      :前田、上村、フカウヂ

●歩いたログ(足跡)(道のり5.4km)

(以上の地図:国土地理院地図に加筆)

 潜水橋から引き返す。橋のたもとは河川公園になっており、トイレも設置されている。公園内を少し歩き回った後、道を引き返す。すぐ左折して田んぼ中の道を西に進む。

 田んぼで代掻き作業をしている人がいる。トラクターから「ゴツゴツ、ゴツゴツ」という大きな音が頻繁に聞こえてくる。土の中に石が多く混じっているためである。これでは代掻きローターリーがすぐだめになるであろうと、気の毒に思ってしまう。

 田んぼ中から「上村」方面をのぞむ。

📸012:「上村」の風景3

 田んぼの向こうの段丘上に「上村」の家々と、中央やや左手に「お金塚の松」が見える。

 段丘の中腹に、白いガードレールのように見えるのは、蓋をかけられた「第二田沢開拓」の用水路である。右端の建物は、📸010に写る「営農飲雑用水施設 第1水源」で、用水路は杉林の縁のところから段丘下に下り、「第1水源」の脇を通っている。

 「みずほの里ロード」に出て「神成橋」に向かう。橋を渡る前に歩いて来た方向をもう一度振り返る。

(「神成橋」たもとから北西を望む)

 前掲写真とほぼ同じ風景だが、奥の茶褐色が混じる山は、📸008に写る山で、その右下、杉林の向こう側が「フカウヂ」である。

 手前は段丘下に広がる田んぼである。こうして見ると一枚毎にかなりの段差があり、かなり傾斜があることがわかる。

 中段に見える道は、先ほど右から左に歩いて来た道だが、田んぼの段差にあわせて道も平らなところと傾斜のあるところが交互になっている。

 「神成橋」を渡って車に戻る。

 余談だが、「斉内川」南側の川沿い(旧「太田町斉内」)、「神成橋」から潜水橋の間も河川公園になっている。だいぶ奥まで車で入って行けるようなので行って見る。広い駐車場の一角に大きな案内板がある。

(「仙北平野」のサイクリング・コース)

 見ると、「仙北平野」を巡るサイクリング・コースの案内板である。細かくて分かりづらいので、主要な街、JR線の名称を書き入れた。

 左下に「大仙市」とあり、さらにその左に小さく「North Time Bikeway」と書かれている。調べると、「大仙市」、「仙北市」、「美郷町」に設定されたサイクリング・コースのうち、「仙北平野」を巡る二つのコースを示した看板のようだ。

 右上に「みずほの里ロングライドコース 約80.8km」と「美郷ラベンダーコース 約23.5km」とある。緑の線で描かれた「みずほの里ロングライドコース」は、「仙北平野」を完全に一周するコースで、今回歩いた「みずほの里ロード」(看板左上、「大神成」と記入した辺り)もコースの一部となっている。

 私が「仙北平野歩き」を始めた頃、車の通行が少ない道を選んで歩いていたこともあり、「広々とした農村の風景を眺めながら、こんな道をサイクリングしたら最高だろうなぁ~。宿泊施設などをつなげたコースを設定して人を呼び込んだらよいのに!」と思ったことがあった。私が思ったくらいだから、同じ思いでちゃんと企画する人がいて、サイクリング・コースはちゃんと設定されていたようだ。

 なお、コースは上記のほか、「角館」や「田沢湖」を巡るコースを含めて数コースあるようなので、自転車が好きな人は(私みたいに歩きたい人も)是非訪れてほしいと思う。

 最後に、いつものように歩いたところの昔の航空写真をご覧いただきたい。今回も最新の写真がないので、S51年の写真から。

 当時は「みずほの里ロード」が未開通なので、現在の道筋を橙色で書き入れてみた。「みずほの里ロード」以外の、今回歩いた道筋をピンク色で示した。田んぼが現在のように区画整理されていないので、田んぼ中の道は現在と異なっている部分が多い。

 緑色は、河岸段丘の大きな段差が走っている線。

 「第二田沢開拓」の用水路はすでに完成しており、「斉内川」を横断するパイプラインがはっきり写っている。

 車を止めた場所が「P」。当然ながら「神成橋」はかかっていない。

 少し拡大して見ると、「お金塚の松」、曲家風の「フカウヂ」の茅葺の家を確認することができる。

 📸007:「フカウヂ」の一角に写る、小さな三角形の池の位置(写真のやや右上)辺りに目を凝らして見たが、池らしいものを確認することはできない。水が干上がっていてよく写らなかったのだろうか。

 次にS23年の写真。


 
 少し見づらいが、S23年の写真は貴重である。

 下段に、川幅の広い「斉内川」が写る。白く写っている部分は、砂利の川原と思われる。S51年の写真などと比較しながら「神成橋」と「パイプライン」の位置を書き入れてみた。

 緑は、S51年と同じく河岸段丘の線。

 この写真を見てまず驚くことは、小区画の未整備田ではあるが、ほとんど現在と同じ範囲に田んぼが広がっていることである。「菅江真澄」が「江戸時代」の末期に訪れた「大神成村」の経済を支えたものは山間(ヤマアイ)に拓かれた田んぼであろう。従って、現在ある田んぼの大半は「江戸時代」に拓かれたと考えられるが、戦後の写真であっても、その田んぼの姿を目にすると感慨深いものがある。

 左上、参道の奥にある「菅原神社」の位置がはっきりわかる。当時、神社の周囲は木が茂っていないようだ。戦時にはあちこちで大量の木が伐採されたと聞いたことがあるが、ここも伐採されたのだろうか。

 写真中央付近、段丘のすぐそばに「お金塚の松」が、「フカウヂ」の集落のなかに茅葺の家がはっきりと写っている。古い写真でこんなのを確認すると嬉しくなる。

 「フカウヂ」の一角に四角いため池と思われるものが写っている。📸007に写る、小さな三角形の池とほぼ同じ位置なので、この池の一部が残ったものと考えられる。道路の改修などに伴って大半が潰れてしまったと考えられる。

(終わり)

●ブログに掲載したログの累計(累計の道のり:656.1km)

 「斉内川」を遡り、緑線を書き入れた、「東山」の麓(山中?)まで歩きましたので、「斉内川」シリーズはこれで終わりになります。

 次回からも川シリーズを続けることとし、「丸子川」の支流、「川口川」シリーズを投稿していく予定です。その手始めは、「川口川」と「丸子川」の合流地点のすぐ上流、「旧仙北町横堀」を歩いた記事ですので、引き続きよろしくお願いいたします。

 


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