ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

★旧仙北町横堀を往く-5③

2024年07月10日 | 旧仙北町を往く

<「メタセコイア」がそびえる「仙北中学校」>

●歩いた日:2024年6月18日(火)

●歩いた所

 ・堀見内: 藍野、置上、北藍野、谷地、西福嶋、下東中屋布、堰端、福嶋、南福嶋、南谷地

 ・高 梨:八嶋、下八嶋、車瀬(旧仙北町高梨)

●歩いたログ(足跡)(道のり7.6km)

(以上の地図:国土地理院地図に加筆)

 (📸004から)また県道を東に少し進み、左折して「仙北中学校」の校舎の方に向かう。

📸005:「西福嶋」の「仙北中学校」

 ピンク色の校舎の上に太陽光パネルが設置されている。学校のHPを見ると、H14~16年に「エネルギー教育の推進校」になっているので、その一環として設置されたようだ。

 校舎の左手に体育館があり、その南側はグランドで、いかにも開放的な感じがする。

 写真中央、グランド脇に特徴的な姿をした高い木がそびえている。近寄ってその前にある立て看板を見る。

(「仙北中学校」の「メタセコイア」)

 木は、「生きた化石」と言われる「メタセコイヤ」である。

 説明によると、「仙北中学校」が創立して間もないS36年に、「秋田国体」を記念して旧校舎校門傍らに記念植樹された学校のシンボル、とある。歴代の卒業生にとっては、忘れられない木であると思われる。

 ところで、「メタセコイア」は私もほかで目にしたことがあるが、横に多くの枝を伸ばし、離れて見ると細長い三角形の姿をしていると記憶している。前掲写真に写るここの「メタセコイア」が縦長の棒状になっているのは、剪定しているからだろうか。

 さらに北に進んで、校門のところで足を止める。また立て看板がある。

(中学校野球チームの顕彰看板)

 立て看板には、2019年(令和元年度)に野球チームが全国大会で第3位になった記念に立てられたものである。そう言えば、地元の「秋田魁新報」に大々的に載っていたことを思い出す。農村の小さな公立中学校が全国第3位はすごい。

 看板の下の方に、その年の各大会の成績も出ている。それを見ると面白いことに、「大曲仙北」の大会でこそ優勝しているものの、県大会、東北大会とも決勝で惜敗し準優勝である。それでも全国大会では、粘り強さを発揮して3位になったようだ。ここに名前を記された生徒にとっては一生の思い出だろう。

 校門前を過ぎてさらに行くと、「川口川」にかかる橋がある。「上田茂木橋」である。この日の「仙北平野」歩きは、「矢島川」の橋も含め、この後4か所の橋に立ち寄った。「橋デー」のようだ。

 いったん橋を渡って引き返す。この辺りの川原でも「ヨシキリ」がしきりに鳴いている。

 中学校の校門近くまで戻って左に折れ、カギ型に曲がって田んぼ中のあぜ道を東に向かう。十字路に出たところで振り返る。

📸006:「西福嶋」の風景

 道奥やや左手が「仙北中学校」の校舎と体育館。その奥に「西山」。

 校舎から左に寄ったところに、細長くそびえる「メタセコイア」が見える。

 田植え後20日程か、稲の苗はしっかり根付き、たくましく生長し始めている。

 十字路から「川口川」の方を望むと、こんもりと木が生い茂っているところがあるのでそちらに向かう。

📸007:「地作」の墓地

 川のすぐそばにぽつんと木立が茂っているところは墓地である。同じ姓、同じ紋が刻まれているので、一族の墓なのだろう。良く手入れされている。

 ここは「地作(ジヅクリ)」という地名である。珍しいので「地名へのいざない」を開いて見ると、「地」→土地・土壌、「作」→耕作地に手を加えるで、荒れ地を耕作地に変えた場所、あるいは土地改良・客土をした場所とある。字義どおりである。

(④に続く)

 


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