今日は、旧残堀川と立川断層が、自衛隊基地と交わるところです。
EとFです。 見辛くてすみません。
昔、米軍基地だった頃、基地拡張計画に対し、地元農民や学生達が反対闘争を繰り広げた現場です。
Eの旧残堀川の流路にあたる部分です。 砂川闘争当時、国が収用した土地でしょうか、草地になっています。
何となく、窪地になっているなと感じられます。 遠くに大きな樹が見えますが砂川三番の欅で、旧残堀川の流路は、その欅から写真右下に向かっていたと思われます。
立川断層方向を撮ったもの。
100m強東に歩いて、西向きを撮ったもの。 この草地が立川断層の通っているところだと思われます。
立ち並ぶ家の向こうが、旧残堀川の流路になります。
南側の自衛隊基地です。 航空機はヘリなどが主力のようです。
更に東に歩くと、整った農地。
その隣に、基地強化に反対する看板が。 まだ、当時の闘争は受け継がれているのだろうか?
広大な基地。 陸軍立川基地がつくられる過程で、多くの農地を接収してできたものだ。
砂川闘争は、小さい頃、父に連れられていった映画館のニュースで見た記憶がある。
1955年から1957年がピークで、1977年には米軍立川基地の全面返還が実現している。
成田闘争もその後におきているが、安保反対闘争などと時期的にも連動していた砂川闘争は、結果的に地元農民の勝利となった。 草地や農地となっているこの付近は、歴史や地理的遺構と、近年の大きな住民運動の歴史を包含して残っている。
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