光と影のつづれ織り

写真で綴る雑記帳

旧残堀川と立川断層3 砂川闘争の跡

2009年05月27日 | ぶらり探訪

今日は、旧残堀川と立川断層が、自衛隊基地と交わるところです。
EとFです。 見辛くてすみません。

昔、米軍基地だった頃、基地拡張計画に対し、地元農民や学生達が反対闘争を繰り広げた現場です。

 

 



Eの旧残堀川の流路にあたる部分です。 砂川闘争当時、国が収用した土地でしょうか、草地になっています。

 



何となく、窪地になっているなと感じられます。 遠くに大きな樹が見えますが砂川三番の欅で、旧残堀川の流路は、その欅から写真右下に向かっていたと思われます。

 



立川断層方向を撮ったもの。

 



100m強東に歩いて、西向きを撮ったもの。 この草地が立川断層の通っているところだと思われます。
立ち並ぶ家の向こうが、旧残堀川の流路になります。



南側の自衛隊基地です。  航空機はヘリなどが主力のようです。



更に東に歩くと、整った農地。 



その隣に、基地強化に反対する看板が。  まだ、当時の闘争は受け継がれているのだろうか?



広大な基地。 陸軍立川基地がつくられる過程で、多くの農地を接収してできたものだ。

 

 



砂川闘争は、小さい頃、父に連れられていった映画館のニュースで見た記憶がある。
1955年から1957年がピークで、1977年には米軍立川基地の全面返還が実現している。
成田闘争もその後におきているが、安保反対闘争などと時期的にも連動していた砂川闘争は、結果的に地元農民の勝利となった。  草地や農地となっているこの付近は、歴史や地理的遺構と、近年の大きな住民運動の歴史を包含して残っている。



 



 



 



 



 

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