このブログでも書いたことがありますが、ボチボチ外国語の勉強しとります。ただ外国語というのは勉強をしたからといってすぐに成果が出るわけでもありませんので、日常の勉強というのは大変地味で苦痛な作業です。
となれば、「何かもっと効果的な方法があるんちゃうんかい」という気持ちが湧いてくるというのが人の子というもの。しかしながらそういう気持ちがあると、いかにも今目の前にある勉強方法というのが非効率で無駄なものに感じられてしまい、モチベーションの維持が困難になります。
勉強をする前に、まず効果的な勉強方法はないものか、と探し回ったり、「効果的な方法が見つかったら死ぬ気で勉強しよう」などという出来もしない未来への期待に満足してしまいかねません。
もちろん昔のように検索効率の非常に悪い昔ながらの辞書を使うなど、物理的に非効率な勉強方法というのはあるとは思います。しかし、結局外国語を使いこなせるようになるためには、外国語の表現の仕方(文法)と単語を理解・記憶し、ネイティブの話すスピードに慣れ、加えて作文やスピーキングといったアウトプットにつなげられるようになる、ことが必要になります。
こうした単純な構造でとらえれば、やらなければならないのは、多くの外国語の文章を「読み、聞き」、その中でわからない文章の構成や単語をわかるまで調べることと、それをアウトプットする練習をする以外ありません。
わからない文章を何度読んでもわかりません。子供が言葉を覚えていくプロセスは、自分の話したい言葉と対応した現実の対象物があって、それを誰かが「こういうことがいいたいんか?」と言ってくれ、それを聞いて覚えていくものだと思います。そうした恵まれた環境が期待できない以上、自分で辞書や参考書を調べる他にないはずです。
よく言われることですが、私が中学生や高校生のころは、インターネットといった便利なものは普及していませんでした。それが現在では生の外国語がいくらでも簡単に手に入れることができますから、それらを使えばすぐに勉強が始められます。
いずれにせよ最近私自身が、何か面白い勉強方法はないものかと調べてはいるものの、一向に勉強をせず、能力向上の方はちっとも成果が表れてこないことに苛立ちを覚えつつあります。勉強方法で悩むのではなく、地味な勉強を始めて、その中で手持ちの教材等でもその外国語が理解できない、などの問題に直面してから、対処方法を考えたほうが良さそうです。
勉強はストレスですが、勉強方法で悩んで先に進まないのはもっとストレスだということに、ようやく気がついたということろでしょうか。
となれば、「何かもっと効果的な方法があるんちゃうんかい」という気持ちが湧いてくるというのが人の子というもの。しかしながらそういう気持ちがあると、いかにも今目の前にある勉強方法というのが非効率で無駄なものに感じられてしまい、モチベーションの維持が困難になります。
勉強をする前に、まず効果的な勉強方法はないものか、と探し回ったり、「効果的な方法が見つかったら死ぬ気で勉強しよう」などという出来もしない未来への期待に満足してしまいかねません。
もちろん昔のように検索効率の非常に悪い昔ながらの辞書を使うなど、物理的に非効率な勉強方法というのはあるとは思います。しかし、結局外国語を使いこなせるようになるためには、外国語の表現の仕方(文法)と単語を理解・記憶し、ネイティブの話すスピードに慣れ、加えて作文やスピーキングといったアウトプットにつなげられるようになる、ことが必要になります。
こうした単純な構造でとらえれば、やらなければならないのは、多くの外国語の文章を「読み、聞き」、その中でわからない文章の構成や単語をわかるまで調べることと、それをアウトプットする練習をする以外ありません。
わからない文章を何度読んでもわかりません。子供が言葉を覚えていくプロセスは、自分の話したい言葉と対応した現実の対象物があって、それを誰かが「こういうことがいいたいんか?」と言ってくれ、それを聞いて覚えていくものだと思います。そうした恵まれた環境が期待できない以上、自分で辞書や参考書を調べる他にないはずです。
よく言われることですが、私が中学生や高校生のころは、インターネットといった便利なものは普及していませんでした。それが現在では生の外国語がいくらでも簡単に手に入れることができますから、それらを使えばすぐに勉強が始められます。
いずれにせよ最近私自身が、何か面白い勉強方法はないものかと調べてはいるものの、一向に勉強をせず、能力向上の方はちっとも成果が表れてこないことに苛立ちを覚えつつあります。勉強方法で悩むのではなく、地味な勉強を始めて、その中で手持ちの教材等でもその外国語が理解できない、などの問題に直面してから、対処方法を考えたほうが良さそうです。
勉強はストレスですが、勉強方法で悩んで先に進まないのはもっとストレスだということに、ようやく気がついたということろでしょうか。