2の2.長くなりましたが、それでは「感じる」、「想う」、「考える」を読書感想文に応用してみましょう。
なお、読書感想文では上記の通り「感」「想」を文字化するのですから「考える」という部分に関するご案内は少なめにとどめ詳細は「レポートと論文の書き方」のところでご案内致しましょう。
(感じたことの書き方)
以下「書き方」に限定してご案内しましょう。
まず、感じたことを書くときは「〇〇と感じた」と書きます。あたり前だと思わられるかもしれませんが書き終わったあとでご自身が見直すとき「想った」こととの区別がつかなくなるので「感じた」ことを書くときは必ず「感じた(感じました)」で文を結びましょう。
感じたことを文字化するときは「感じた(感じました)」で結ばれる前の文字列にも工夫が必要です。
「難しいと感じた」、「簡単だと感じた」、「重要だと感じた」、「不要だと感じた」、「丁寧だと感じた」、「雑だと感じた」、「大きいと感じた」、「小さいと感じた」、「意地悪だと感じた」、「優しいと感じた」等々思いつく感じ方は多彩です。
しかし、「感じた」に先行する文字と親和性のあるものが対象でないと文が成り立ちませんので注意が必要です。
「その山が大きいと感じた」は普通です。
「その山が優しいと感じた」は山を擬人化(人のように見る表現方法)していると見られるので間違いではありません。
しかし、「その山が雑だと感じた」という文字列には意味を補足する文が必要になるかもしれません。
補足する文が無いと意味不明だと評価される危険があります。
作家さんならば話は別ですが、夏休みの宿題で書く読書感想文では普通の人がそのように感じるであろうと思われるものと近いものをご自身が感じる対象に置くことをおすすめします。
しかし、他方、文字数を増やす(?)には「その山が雑だと感じた」という文字列もおもしろいかもしれません。
「なぜ『雑だ』と感じたかというと・・・」というぐあいに感想を発展させることができるからです。
ただし、このやり方は少し高度なテクニックに属しますから受けねらいであまり妙な「感じた」表現をすると収拾がつかなくなるのでご注意ください。
(「要約」の補足)
ここで、「要約」のところで書き忘れたことを補足します。
感想文に不可欠な要約ですが、これは感想文を書く人がその本の内容をある程度理解していることを示すものです。
したがって、目次を文章化して要約をつくることは推奨されますが、この作業の中でその本の内容を理解してください。
そうでないと「感」も「想」も生じませんから。
また、誰かが作った感想文のコピペは見る人が見るとすぐに偽物だと分ってしまうので、苦労するかもしれませんが自力で作成して欲しいと思います。
そのようにして作られた感想文は独創性があり読んでいてもワクワクするものです。苦労を楽しんでください。
(「感」から「想」へ)
感じることは自由で根拠もいりません。
「なんとなく・・・と感じた」という程度で十分です。
さて、そこで、この「感じた」ことを「想った」に発展させてみましょう。
「想った」ことは思い出したことでもいいし、思いついたことでも構いません。
想像したことでも、もちろん大丈夫です。
ここで大切なことは文字化の技術ですね。
これが大変、大変難しいのです。
これを表現方法と呼んでおきましょう。
この表現方法は学ばなければ身に付きません。
しかし、学び方は難しくはありません。
なぜならば、感想文の課題となった図書を読み終えていればその中で使われている表現方法を使えばいいからです。
課題図書が小説であればこの表現技法はたくさん含まれているはずです。
それが伝記であれば人の成長を描写する表現技法が多く含まれているかも知れません。
歴史書や歴史小説ならば時代を表す表現や、物事を表現する古い技法を見つけることができるでしょう。
そのような表現方法や技法を使ってご自分の感想文をつくるのもおもしろい試みだと思います。
さて、「感」から「想」へ至る過程を眺めてみましょう。
「感」は一瞬のひらめきかもしれません。
あるいは、後からじわっと浮かんでくるものかもしれません。
他方、「想」はこの「感」を脳や心にいったん取り込み、過去の思い出や「感」の記述から思いついたこととつなぐことで「感」とは違ったものとなって現れます。
例をあげてご案内しましょう。
大変きれいな日の入りを描写した記述を読んだと仮定しましょう。
挿絵があると想像が膨らみませんが、挿絵が無いと想像が膨らみます。
実際には見たことが無い日の入りを想像するのは難しいかもしれません。
とはいえ、中学生や高校生くらいになれば、いや小学生でも一度くらいはきれいな日の入りを見たことがあるでしょう。
そのときの様子はどうであったか思い出してみましょう。
「きれいだ」と感じた「感」を「あのときは・・・だった。」という「想」に発展させることができるかもしれません。
しかし、「あのときは・・・だった。」という部分の表現方法が難しく、これが(優劣をつける必要は無いのですが)感想文の評価が変わる要素になるのですね。
そこで、この部分は課題文の他の箇所で使われていて、自分が「想った」ことを的確に表現できそうな表現で描写してみるとよいでしょう。
そのようにして膨らませて行くと「感」から「想」に発展する部分は意外とあるものです。
もちろん、「感」のままにしておいても構わない部分もあるはずです。
そういうところはそのままに残しておきましょう。(つづく)
なお、読書感想文では上記の通り「感」「想」を文字化するのですから「考える」という部分に関するご案内は少なめにとどめ詳細は「レポートと論文の書き方」のところでご案内致しましょう。
(感じたことの書き方)
以下「書き方」に限定してご案内しましょう。
まず、感じたことを書くときは「〇〇と感じた」と書きます。あたり前だと思わられるかもしれませんが書き終わったあとでご自身が見直すとき「想った」こととの区別がつかなくなるので「感じた」ことを書くときは必ず「感じた(感じました)」で文を結びましょう。
感じたことを文字化するときは「感じた(感じました)」で結ばれる前の文字列にも工夫が必要です。
「難しいと感じた」、「簡単だと感じた」、「重要だと感じた」、「不要だと感じた」、「丁寧だと感じた」、「雑だと感じた」、「大きいと感じた」、「小さいと感じた」、「意地悪だと感じた」、「優しいと感じた」等々思いつく感じ方は多彩です。
しかし、「感じた」に先行する文字と親和性のあるものが対象でないと文が成り立ちませんので注意が必要です。
「その山が大きいと感じた」は普通です。
「その山が優しいと感じた」は山を擬人化(人のように見る表現方法)していると見られるので間違いではありません。
しかし、「その山が雑だと感じた」という文字列には意味を補足する文が必要になるかもしれません。
補足する文が無いと意味不明だと評価される危険があります。
作家さんならば話は別ですが、夏休みの宿題で書く読書感想文では普通の人がそのように感じるであろうと思われるものと近いものをご自身が感じる対象に置くことをおすすめします。
しかし、他方、文字数を増やす(?)には「その山が雑だと感じた」という文字列もおもしろいかもしれません。
「なぜ『雑だ』と感じたかというと・・・」というぐあいに感想を発展させることができるからです。
ただし、このやり方は少し高度なテクニックに属しますから受けねらいであまり妙な「感じた」表現をすると収拾がつかなくなるのでご注意ください。
(「要約」の補足)
ここで、「要約」のところで書き忘れたことを補足します。
感想文に不可欠な要約ですが、これは感想文を書く人がその本の内容をある程度理解していることを示すものです。
したがって、目次を文章化して要約をつくることは推奨されますが、この作業の中でその本の内容を理解してください。
そうでないと「感」も「想」も生じませんから。
また、誰かが作った感想文のコピペは見る人が見るとすぐに偽物だと分ってしまうので、苦労するかもしれませんが自力で作成して欲しいと思います。
そのようにして作られた感想文は独創性があり読んでいてもワクワクするものです。苦労を楽しんでください。
(「感」から「想」へ)
感じることは自由で根拠もいりません。
「なんとなく・・・と感じた」という程度で十分です。
さて、そこで、この「感じた」ことを「想った」に発展させてみましょう。
「想った」ことは思い出したことでもいいし、思いついたことでも構いません。
想像したことでも、もちろん大丈夫です。
ここで大切なことは文字化の技術ですね。
これが大変、大変難しいのです。
これを表現方法と呼んでおきましょう。
この表現方法は学ばなければ身に付きません。
しかし、学び方は難しくはありません。
なぜならば、感想文の課題となった図書を読み終えていればその中で使われている表現方法を使えばいいからです。
課題図書が小説であればこの表現技法はたくさん含まれているはずです。
それが伝記であれば人の成長を描写する表現技法が多く含まれているかも知れません。
歴史書や歴史小説ならば時代を表す表現や、物事を表現する古い技法を見つけることができるでしょう。
そのような表現方法や技法を使ってご自分の感想文をつくるのもおもしろい試みだと思います。
さて、「感」から「想」へ至る過程を眺めてみましょう。
「感」は一瞬のひらめきかもしれません。
あるいは、後からじわっと浮かんでくるものかもしれません。
他方、「想」はこの「感」を脳や心にいったん取り込み、過去の思い出や「感」の記述から思いついたこととつなぐことで「感」とは違ったものとなって現れます。
例をあげてご案内しましょう。
大変きれいな日の入りを描写した記述を読んだと仮定しましょう。
挿絵があると想像が膨らみませんが、挿絵が無いと想像が膨らみます。
実際には見たことが無い日の入りを想像するのは難しいかもしれません。
とはいえ、中学生や高校生くらいになれば、いや小学生でも一度くらいはきれいな日の入りを見たことがあるでしょう。
そのときの様子はどうであったか思い出してみましょう。
「きれいだ」と感じた「感」を「あのときは・・・だった。」という「想」に発展させることができるかもしれません。
しかし、「あのときは・・・だった。」という部分の表現方法が難しく、これが(優劣をつける必要は無いのですが)感想文の評価が変わる要素になるのですね。
そこで、この部分は課題文の他の箇所で使われていて、自分が「想った」ことを的確に表現できそうな表現で描写してみるとよいでしょう。
そのようにして膨らませて行くと「感」から「想」に発展する部分は意外とあるものです。
もちろん、「感」のままにしておいても構わない部分もあるはずです。
そういうところはそのままに残しておきましょう。(つづく)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます