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雑多な書き散らしブログ

新・里見八犬伝(FC)攻略講座2

2011-04-03 21:00:00 | 新・里見八犬伝(FC)

げぼ。

ツッコミどころが満載なこのゲームについて、さまざまなサイトを巡っていると、
意外と誰も指摘していない事実がいくつか存在する。

道節(忠)以外のキャラでスタートさせると、道節を仲間にする際に
「いぬかい どうせつ」
と名乗ることは前項にも記したが(道節は「犬山」である)、


親兵衛(仁)以外のキャラでスタートさせて、親兵衛を仲間にする際
「しんべい」と名乗るのも
相当におかしな話であろうと思うのだ。

親兵衛。

普通に読み慣らしてカナをふると
「しんべえ」
である。

歴史的かな遣いをすれば
「しんべゑ」
である。

衛の音読みであり、いずれにしても「い」と仮名をふるのは間違いである。

より正確な発音をするならば、「we」と発音するのが近しいはずで、発音どおりに仮名すると「うぇ」である。

「しんべうぇ」
である。

ためしにパソコンで「しんべい」と打って変換すると
「親米」となった。

アメリカと親しい八犬士とはなんぞ。


げぼ。


さて、前回は
「荘助(義)でスタートさせ、地理的な傾向をつかむことが重要」という極めて個人的な主張をした。

彼でスタートさせると敵と遭遇しないので、毒沼にさえ気をつければある程度あちこちに行ける。
さらに、行った町や村に転移することができる呪文を少しのレベルあげで覚えることから、
敵に会わない状態で町を探しておくことが効率的になるのである。


他のキャラクターの場合、出発地からいきなり遠出するのが無謀で、
たどりついていない町や村へ行くのに、めっぽう強い敵と遭遇する可能性があるため
序盤のゲーム効率は格段の差となる。

(もっとも、そこらへんを何とかするワザもあるのではあるが)


さて、フィールドの話。

大雑把にいって、関東地方の地図である。
かなりだだっ広いが、北は茨城から、南は静岡まで、といったところだろう。

作中、村人のセリフに東西南北ではなく、日本の地名で言われることがたまにある。
そのため、関東を簡単にでいいので知っておくとよい。

さて、はなはだ簡単ではあるが、
仲間キャラクターが日本のどのあたりで見つかるのか、北から順に追っていこう。



だいかく(礼)「こうしんさんのむら」
庚申山というよりは、栃木県の足利あたりと思う。
庚申山のふもとといえばふもとであろうか。
村の近くを川が走っているが、利根川と思われる。
この川沿いに南にくだると途中に橋があり、わたると「よりい」「おおつか」方面へ。
わたらずに更に川をくだると「ふるかわ」。
東の大平原(関東平野)のなかに「とらいみんのさと」が宇都宮あたりとおぼしきところにある。



けの(智)「よりいのまち」
埼玉県の寄居。
すぐ北に「まえばしのしゅく」(群馬県の前橋)があるが、そこはダンジョン。
やや西に荒川をわたる橋があり、こえると「としま」。
橋をわたらずにとにかくひたすら南下すると途中に城があり、さらにずっと行くと「おおつか」。



げんぱち(信)「ふるかわまち」
茨城県の古河(こが)。
町のすぐ南を東西に横切るのが利根川で、
西に川をのぼると橋、わたると「よりい」「おおつか」方面。
川にそってそのままのぼると「こうしんさん」。



しの(孝)「おおつかのさと」
東京の大塚というよりは、千葉の船橋、浦安、行徳あたりのイメージ。
大塚だとするとあまりに豊島と離れすぎているだろう。
近くを荒川が海にそそいでいるので、川に沿ってを北上するといずれ「よりい」。
東へ進路をとると山があり、入り口をみつければ「とうがね」が見つかる。



どうせつ(忠)「としまのまち」
東京の練馬、豊島あたり。
荒川があるので東にはすすめない。
北上して橋を渡ると「よりい」。
南は、ずっとすすみつづけると箱根あたりに関所がるが最初は用なし。


こぶんご(悌)「とうがねむら」
千葉県の東金のことと思われる。
山の中から出て海沿いを北へ進むと「おおつか」
海沿いを南に進み、川を渡ってすぐ東に「ようろうがわ」



そうすけ(義)「ようろうがわのさと」
千葉県の養老川。
里から南の山のなかに「かのう」
西へ進んでから北上し、東へ入れる山道をたどると「とうがね」



しんべい(仁)「かのうのむら」
千葉県の鹿野山、のことだろうか。むしろ千葉県の里見に程近い気もする。
南にある「たてやまじょう」はセーブポイントではなくダンジョン。
北上しながら上手く山をぬけると「ようろうがわ」




この八箇所、仲間を獲得する上で重要となるので

荘助以外でのプレイでは
どちらに向かえばいいのか、あてどもなくさまようのではなく、
即座に道のりがあたまに浮かぶくらいにしておくとよい。


序盤、さまよったら「げーむおーばー」の可能性が跳ね上がることを、重々覚悟しておかねばならない。



といったところで本日は終了。





新・里見八犬伝(FC)攻略講座1

2011-04-02 21:00:00 | 新・里見八犬伝(FC)

げぼ。

さて、このゲームの魅力といえば何か。
ツッコミどころの多さであろうか。

何かが違う、と私の心がこたえる。



たいした情報も与えてはくれず「げぼ」と遺言する村人たちの無念さを思いながら
フィールドに出てみると、このゲームの真の面白さが見えてくる。


エンカウント(敵との遭遇率)のまちまちさに驚くこと限りない。


敵と、まったく会わずに遠くまで出かけることもできることがある。
逆に、一歩進んだだけで敵と出くわすこともある。

この奇妙なばらつきが、本作をクソゲーたらしめるひとつの要因なのだが、

……つまり、
敵とあわないなー、と思って少し村から離れただけで、到底適わない強敵と出会い「げーむおーばー」。
じゃあ、れべる上げだ、と思って村の周囲で経験値を稼ごうとしたらなぜか敵に会えず、
思わずちょっぴり村から離れた瞬間に強敵に会って「みんな しんでしまった」。

人は、失敗を繰り返しながら学ぶものだ。
そんなことをゲームに教えられて自己満足にひたることができれば、しめたものである。


良質のRPGであること、とは、序盤に「プレイヤーを」育てることに他ならないとある人は言った。
ピンチになったときにどう切り抜けるか、キャラの行動はどういうもので攻略にどう役立つか。
そういったことを学びながら、試行錯誤を楽しむことでそのゲームに没頭できるようにするわけである。

要は「ツカミ」、「導入」こそが、プレイのモチベーションなのであろう。


さて、と、すると、本作はこのツカミを作ることに、決して成功しているわけではない。
なにせ、ちょっとしたことで死んでしまうわけだ。

さらに、このゲームが厄介なところは、一番最初に八犬士の誰からスタートさせるかを決めねばならない点にもある。

つまり「げーむおーばー」を一度体験して、別の八犬士からスタートさせようとすると、まったく話が変わっていて前回の「げーむおーばー」の経験が生かせないのだ。

個人的には
仁・礼・孝・信あたりから初めて、再びそれらのうち別のものを選んだとしたら、やる気は確実に失せるものと考えている。

仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌
八つの珠から選択する画面が、一番最初である。

八犬伝を知っている者であれば、この珠の銘をみただけで、それを持つ人物が誰であるのか即座に分かるものであろうと推察するが、知らぬものにとっては、何のことやら、というものだ。

解説する。

仁・犬江親兵衛尉金碗仁(いぬえ しん ひょうえのじょう かなまり まさし)
キャラデフォルト名【しんべい】親兵衛
出発地「かのうのむら」
新八犬伝(映画・小説)の主人公、光と闇の両方の性質をもつ。
血気盛んでエネルギーをもてあましている感じの青年になりかけの百姓の若者。
野生児キャラの雰囲気なので、農具(かま、なた、おの)を得意武器とする。
出発地は「げぼ村」。
レベルアップがはやく、「はやさ」のステータスがメキメキ上がるので攻撃が当たりやすい。
攻撃力が決め手にかけるので当たったところでボスには蚊が刺した程度のダメージ、ともなる。

義・犬川長狭荘介金碗義任(いぬかわ ながさのしょうすけ かなまり よしとう)
キャラデフォルト名【そうすけ】荘助
出発地「ようろうがわのさと」
小説では、めくらの唖でいざり(盲目の聾唖者で歩けない)の乞食の子ども。
映画では、本編中は語られることはないが昼の光のなかでは目が見えないという裏設定あり。
本作でも、目も見えず、口もきけぬ、とされる。
生命力(HP)のなさが目につき、ほとんどの武器は装備させてもうんともすんとも使いこなせない。
ただし、最高の法力(MP)を持ち、ほとんどの回復の術と最強の攻撃呪文を使いこなし、さらに町に瞬間移動する術も使う。
が。口がきけぬうちは呪文が使えないという細かい芸風。
さらに、目が見えぬため、このキャラでスタート&一人旅をしている間は、敵と会わなくて済む。
レベルアップは遅いが、敵と遭遇しないでフラフラ出歩けるという特性のため、
かつ、出発地ほどちかくにセーブポイントがあるため、たいがいのサイトでは攻略初心者にオススメされている。

礼・犬村大学頭金碗礼儀(いぬむら だいがくのかみ かなまり まさのり)
キャラデフォルト名【だいかく】大角
出発地「こうしんさんのむら」
馬琴の描く大角と境遇が一番似ているのではないかと想像できるが、山伏衣装である。
学問者であり、本作ではからくり職人とのつながりがあるとのことで、映画の印象からも、なんとなく火薬使いのイメージ。
妻の雛衣を養父に食われるという境遇の人。
ゲーム中に描写はないが、小説と馬琴の作品により養父は「児肝」(胎児の肝)を欲したものと考えられる。
スタートすると妻の敵討ちをほのめかされ、目と鼻の先にその養父がいるのだが、仲間集めを先決に考えたほうがよい。
(ちなみに、私が1993年、最初にクリアしたのがこのスタートである)
出発地とセーブポイントが近い。
序盤はぼう系統の武器でしのぎ、中盤からは「なんばんだらい」というマスケット銃と思われるものに装備をかえる。
いずれにしても、学者かたぎなので弱いというのが通説。

智・犬坂下野介金碗胤智(いぬさか しもつけのすけ かなまり たねとも)
キャラデフォルト名【けの】毛野
出発地「よりいのまち」
見世物小屋の用心棒、性別がモザイク。
小説では両性具有となっていて、用心棒というよりもその肉体を見世物として悲痛な人生を送っていた。
映画では、新体操のリボンで結婚披露宴で舞い、ターゲットのクビをとる暗殺者。
本作でも舞の名手となっている感じ。
小文悟がなかなか仲間にならないスタートを選んだときに頼りになる。
そのためには「ふきや」という武器と「くろしょうぞく」という鎧があるとよい。
火の系統の術を使うが、攻撃呪文は荘助以外はあてにしてはならない。

忠・犬山道節帯刀先生金碗忠与(いぬやま どうせつ たてわきせんじょう かなまり ただとも)
キャラデフォルト名【どうせつ】道節
出発地「としまのまち」
武芸者で、とある事情で息子のクビを切り落とすハメになり、後追い自殺をしようとしている侍。
ほかのキャラでスタートさせ、この道節を仲間にしようとすると「いぬかい どうせつ」と名乗る。
小説では毛野ラブ。
映画では余命いくばくもないのに脂ぎった人という不思議さ。
しかし、小説も映画も本作も後半にねばり強いのが共通。
最強武器を店で買わねばならないが、それによって化ける。
水系統の術を使うが、武器で叩かせたほうがよい。
というのも、このゲームでは呪文も身をかわす判定があるからだ。

信・犬養現八兵衛権佐金碗信道(いぬかい げんぱち ひょうえごんのすけ かなまり のぶみち)
キャラデフォルト名【げんぱち】現八
出発地「ふるかわまち」
ふるかわの首切り役人。
映画では、敵方の兵隊だったのが裏切ってくる感じだが、影が薄すぎる。
罪人の処刑をこばんだことによって、ふるかわ城主に反逆したとみなされて、おたずねもの状態でスタートする。
そのため、現八でスタートする初心者は、まず間違いなく一回は「げーむおーばー」を経験するだろう。
一番最初に町で会話をしようとする人物が、現八を追っている城の侍であり、近づいたが最後、確実にやられる。
袋小路に追い詰められたところからスタートしているのに、出ように出られない狭い空間を、せっせと歩き回ることで道をひらくしか方法はないと考えられる。
出かたを見つけたときの感慨はひとしおである。
なにがどうしてそうなったのか、イマイチ分からないという感慨をも含むが。
他のキャラと比べると、初期にわりと良い武器を持っているが、本質はヤリ使い。
町からでることさえできれば、すぐとなりがセーブポイント。

孝・犬塚信濃介金碗戌孝(いぬづか しなのすけ かなまり もりたか)
キャラデフォルト名【しの】信乃
出発地「おおつかのさと」
馬琴の八犬伝で序盤の主人公とされ、もっとも成長描写が詳細な若侍。
馬琴の八犬伝、小説、映画、本作、とも、キーワードは浜路と村雨と思っておけばよかろう。
とにかく、浜路を探したり、浜路の仇を探したり、村雨を探したり、他の八犬士を探したり、自分探しのお人である印象が強い。
出発地は、ふたたび「げぼ村」。
親兵衛よりもちょびっと手が込んでいるが、とにかく「げぼ村」になる。
で、浜路の仇! と、下手人である幻人に(羅刹坊という手加減バージョンになっているとはいえ)むかっていくと、かなうはずもなく瞬殺される。
ときとして、この幻人に話しかけて、バグが起きることすらもある。
げーむおーばー候補第二位である(一位は「信」の珠の現八、三位は「礼」の珠の大角と考えている)。
風の系統の術使いだが、防御力をあげる効果の術は使えなくもない。
回復の術を持っていないのが苦しい。
村雨丸という源家の宝刀が良質の武器であるが、初期は幻人に、中盤は船虫に奪われ、強さをいかんなく発揮できるというわけではない。

悌・犬田豊後介金碗悌順(いぬた ぶんごのすけ かなまり やすより)
キャラデフォルト名【こぶんご】小文悟
出発地「とうがねのむら」
気は優しくて力持ち、というか、怪力過ぎて力加減をしないと簡単に相手を殺せてしまう大男。
うっかり弟のクビを絞めてしまって殺害、泣いて駆け寄った母親をふりはらったら打ち所が悪くて死亡、クワを振り上げて妻と子どもの恨みを一矢むくいようとした父親に棒切れを振り回して撲殺、という連続殺人鬼。
本意ではなかったとはいえ、大切な家族全員を自分の手で葬りさってしまった哀しい人。
映画でも常に荘助のそばにいるが、小説の描写でも、とても荘助を大事にしている。
馬琴の八犬伝でも小文悟と荘助のふたり旅の印象は強く、そのため、このスタートでも最初に仲間になるのが誰か、割と簡単に推測できる。
とにかく怪力で、棒系統の武器で真価を発揮、刃物は得意でないという装備である。
出発地に、初期の所持金で手に入る、事実上の最強武器が売っているので、このスタートもほどよく推奨されている。
他のスタートを選んでも、小文悟を仲間にしておけば敵を撃破できる確率が大幅に増え、序盤からずっと世話になる。
「はやさ」がないため、十分にれべるあげをしてもボス戦で攻撃があたるのは20%前後を覚悟する必要がある。


個人的な攻略推奨は
義・悌・仁・智・忠・孝・信・礼
といったところであろうか。

義でフィールドのどこに町があるのか、どこに仲間がいるのか、といったことを確認してからであれば、どこからはじめても問題はない。

二点ほど注意すべきは
・大角の養父(おにぐも)を倒すまで次の仲間が増えない。
・幻人(羅刹坊)を倒すまで次の仲間が増えない。
というスタートが存在することだが、倒さなくても仲間が増えるスタートもあり、まちまちである。


さて、長くなったが、
このゲームの魅力、というより、もともとの馬琴の八犬伝の魅力でもあろう、
個性ある仲間がだんだんと集っていくのが、いかにもRPG的で面白いのだ。
江戸時代に、この感覚があったというのがすごいことと思える。

もっとも、お隣の国、中国ではそのずっと前から、水滸伝とか西遊記とか三国志とか封神演技とか、仲間集めが面白い作品は多かったわけだが、馬琴もその魅力に取り付かれたのではないかと思ってやまぬ。



仲間が集まれば、強敵にも勝てる(かもしれない)。
そして強敵に勝てるようになれば、だんだんと強くなっていくはず!


初期には、どうにもしようがないめちゃくちゃ強い、と思っている敵を、
いずれあっさりとやっつけることができるようになるのだ。

スタート時には、毒の沼地を3歩歩いただけで死んでしまう荘助が、最高呪文一発で「へびおんな」5匹をやっつけるときがきたときのニンマリは、誰かに見られてさえいなければ、大いに快感であると思う。


あたかも。リバーシ。
全面が敵の色で埋め尽くされた盤面で、たった一手で逆転してしまうかのような面白さが、ある。





……そこに行き着くまで、
つまり「導入」が、本当に長くてとっつきづらいのではあるが、
だからこそ苦労した甲斐があったように感じるものなのであるとおもう



新・里見八犬伝~光と闇の戦い~(ふぁみりぃこんぴーた)

2011-04-01 20:00:00 | 新・里見八犬伝(FC)

1989年に発売されたFC用ゲームである。

ちなみに、この時代1983~1989年あたりに発表されている八犬伝の多くは、

原作・鎌田敏夫

となることを知っておかねばならぬ。



いわく、日本史や文学史に名高い滝沢馬琴(曲亭馬琴)の「南総里見八犬伝」とは性質を異にするのだ。
いずれにしても名作ではあると個人的には感じている。


さて、この鎌田版「八犬伝」ついては語るべきことは多かろう。
少なくとも三つのメディアを使用して世に送り出された。

・映画
・小説
・ファミコン

時はバブル期の終焉であるから、情報化社会のさきがけともいうべき表現媒体の多様化をはんなりと感じさせる。


さて、このゲームといえば、当時のファミコン世代に衝撃を持って受け入れられたと考えられる。

かくいう私がそうであり、小学生以下の子どもには難解すぎるし、当時のオトナではこのゲームに時間を費やす暇はなかったであろうから、インターネットなどで情報がやりとりされていなくとも、圧倒的に「クソゲー」のレッテルを貼られたことは想像に難くない。



ゲーム中のセリフに有名な一節がある。

「ここは かのうのむらです ……げぼ」


「げぼ。」

この謎の言葉こそが、いまだクソゲーとしてマニアに愛されるものであることは言うまでもない。


右も左も分からずにゲームをはじめ、いわゆる「第一村人」に話しかけると、このセリフがきける。

そして、ふたたび同じ人に話しかけた瞬間に、子どもたちは青ざめるのである。

「すでに いきたえているようだ」


話しかけたら死んでしまった!!


なんと恐ろしいことをしたものか、と。
それ以降、村人に話しかけられなくなった子どもがいたのではないだろうか。いや、いたに違いない。


想像するに、この「げぼ」とは、吐血であろうか。


とりたてて、私がいまさらいうべきことではなく、少ないとはいえ幾つかのホームページで確認できるように
「すでに いきたえているようだ」
という村人キャラグラフィックは、小気味良く足踏みをしつづける。
話しかければちゃんと話しかけている方向を振り向く。

それでも

「すでに いきたえているようだ」

……

ドラゴンクエストの定番にも
「ただのしかばねのようだ」
というものがある。

これもやはり、子どもの想像力によれば
「ここで人が死ぬような何かあったのだ」
という凄惨さを描いていて印象深いものであるが


くだんの、かのうの村というのはよりいっそうにシュールである。

謎のことば「げぼ」と言い残し、
話しかけたら、その村人の最期であり、
しかしなぜか、キャラグラはうごめき続け、


村人のほとんどが、そうなのである。


にも、かかわらず、だ。


曲調は、妙に陽気で、音楽だけを聴いたならば
「のどかな村なんだなあ」
と思わずにはいられない。

つけくわえると、
村の主要な機能であるところの宿屋であるとかお店であるとかは、



その凄惨さを微塵もみせない通常営業である。

よろずやなどは、
「へい、まいど!」
と、それはもう商人全開とでもいうべき元気なあいさつで迎えてくれる。

大虐殺が行われたであろう村で、暗い雰囲気もなく、


かといって、今の日本のように復興のためにカラ元気で招福しようとかいうのでもなく、




能天気な音楽、うごめきつづける死人、システマチックなあきんどに囲まれて、
やや、人間不信になりそうなスタートは、このゲームの本当の過酷さをあらわすのに十分でない。


気が向いたら、今後もこのおもしろ世界を紹介しようと思う。