かつて、西洋で、学問は三つであった。
神学、法学、医学。
とくに神学は、神の定めた世界の構成を知る
自然科学を兼ねていた時代もあったといえるだろう。
その、神学に立ち向かうことになったのが近代科学である、が。
その近代科学を芽生えさせたのは
魔術思想だったと思われるふしがあったりする。
まあ、科学のさきがけの時代であれば、
神学を否定することになる科学の思想も、
神学者からみればカテゴリー上「魔術思想」となんら変わりはない異端ではあったことだろう。
いずれにせよ、
「常識を覆そうとする」というのは、野蛮に見えるものである。
さて、天動説を唱えたとかいう時代、
その辺りにも魔術思想(どうもゾロアスター教系ではないかと思われるが)は巧妙に入り込んではいるが、
そこまで昔でなく、現代的なことを少し考えてみる。
まず「遺伝」あるいは「遺伝子」というものについて。
実は、かなり魔術思想がからんでいるのではないかと思うのだが、どうだろう。
「ソロモン魔術」の系譜をたどると、
この魔術師たちは遺伝子発見の前から、
そうとうに遺伝について考えていたのではないかと思われる。
いわゆる「能力者」が生まれないと後継者がいなくなってしまうために
人間同士をどうかけあわせると才ある者ができるのか?
ということを、検証したであろうことは想像に難くない。
ときとして、その時代には生きづらい障害者をも多く輩出した可能性があり
あるいは、現代の科学倫理に照らせば絶対に避けねばならない方法もとっていることだろうが、
親から子へ、何が受け継がれるのか、ということを調べたことであろう。
「性魔術」の分野においても
(諸派によってはエクスタシーそのものを巫術と同一視している部分もあるが、本当に目指したのは)
「地母神の甦」、すなわち己の輪廻回帰に近い。
あるいはもともと「ホムンクルス」を考えた「錬金術」系なども
己のコピーを創造すること、であろうかと思われる。
ケルトの魔術神ダグダについても
「死した兵を甦らせる鍋」というものをもっている。
現実的には「湯治」か「薬練」を示すだろうが、
男性性における「胎内回帰願望」の暗喩とも見える。
ダグダの鍋については、全く関係がないだろう
「中国房中術」にも似た雰囲気を感じさせる。
不老長寿の仙丹を作る道具、炉と鼎を、女性に見立てて、
身体の内なる薬を練る、というものである。
これも「性魔術」同様、脳波(シータ波)に影響をあたえる秘儀であると同時に
自己存続、あるいは己のコピー、あるいは遺伝子を遺そうとする行為に他ならない。
と、房中術には「先天的な力の源=親から受け継ぐもの」という解釈のある
「元精」という概念も存在し、
これは「遺伝子」にかなり近い概念であると言ってもよいだろう。
思想文化というレベルで考えれば、そういうことになるわけだが、
もっとも、馬や牛やといった家畜を育てた者たちであれば、
より「遺伝」というものを考えていたかもしれない。
ときとして、
「俗説」あるいは「オカルト」「まゆつば」とされることもあるわけだが
それを科学的に検証しようとする人間が現れるまで
蜃気楼を吐き続けることで、
実証できることもあるものである。
さきごろ、
「思考は現実化する」という言葉が流行したことがあったように思うが。
その前(二十世紀中盤?)には
「ある願望があなたの中に生まれる。
あなたは、それを実現する力があることに、同時に気づかねばならない」
という言葉もあった(J.S.バッハの子孫の言葉だったかと思うが)。
いやはや、魔術師(この場合、とくに魔女術の一派)は、
その遥か以前から、それを目的としたお茶目な研究をしてきたのである。
人間はなかなか本当の「脳力」を使いこなすことはできないものだ。
また、そんなことになったら社会性のある動物でなくなる懸念もあるのだが、
雑念をはらって「ぼんやりする」と
意外に、脳内は宝の山であったりすることもあるのである。