いわゆるひとつの「世代闘争」
そんなプランを講じつつ、1987年の新日本プロレスは進んでいく。
…ある時期までは。
「憂鬱からの脱出」は、最後まで叶わず
年齢じゃなく、見た目だけの問題で旧世代軍に入る藤原喜明の姿。
マサ・斎藤の諸事情により、猪木とタッグを組んだ武藤敬司の戸惑い。
活気があったジュニア戦線を置き去りにしたまま
オーエン・ハートの存在を宝の持ち腐れにした悲しい現実。
単なる猪木の延命行為という…小競り合い(小声で)
伝わらない小競り合いの果てに生まれた顔面襲撃。
1987年11月19日の後楽園ホール。
小林邦明と山崎一夫の不穏な動きが小さな導火線。
呉越同舟…だけじゃ治まらない歪みが視界に。
前田日明が木戸修&高田延彦を従えば
長州力はマサ・斎藤&ヒロ・斎藤を呼び寄せる。
派手な6人タッグ戦は、違った方向の派手な動きになった。
長州の背後から繰り出した顔面蹴り。
当時「プロレス道にも悖る」的な非難。
と同時に「グレート・アントニオのアレは」的な反論。
あの日あの時、グレート・アントニオの件に乗っかった私。
…まぁ、怪我させるにも程があるということで。
現在なら、前田はバッシングの嵐になるはず。
時代がUWFの流れに寄り添い、よりハードな路線が支持された。
「もっと格闘技」な時流に飲み込まれるように。
さて、派手なモノになると思われた上記の6人タッグ。
騒然とした事態を収拾するかのように高田延彦がフォールを奪われる。
その瞬間、名も無き観客が呟いた。
「高田、お前は大人だーーー!」
都内某所で見た裏ビデオに残された肉声。
最後の最後、型通りの顛末を残したのかもしれない。
プロレスならではの掟に従うかのように。
あの日、当日券で行く予定…だったんだよなあ。
(平日だったんで…哀しい事情を察して欲しい orz)
一方、まるで武勇伝のごとく輪島天龍の名前を挙げながら意気揚々と試合について語る前田日明。
リングの上では伝わらない器的なものが数十年経って、明確に見えてくるのは皮肉な結果ですね。
大人な対応をした高田も微妙な感じですが(笑)
前田日明の件。
正直、いろんな部分でがっかりしてるのは
ココだけの話にして下さい(苦笑い)
>大人な対応をした高田も微妙な感じですが(笑)
本文には書けませんでしたが
あの試合で一番おとなだったのは
何を隠そう、マサ・斎藤さんかもしれませんね。
…意見には個人差がありますbyさだまさし。